震災クロニクル【2012/7/15~】(62)

僕は一人の少年に出会った。それは何のことない大人の繋がりから偶然知り合ったに過ぎないのだが……。物静かで痩せ型、13歳の中学校1年生だ。その子とはとある柔道スクールで出会った。彼は初心者で、受け身から始めていた。勿論、自分も少し教えたり、組手を教えたりしていたが、別に試合に出るとかそういう目標があったわけではない。

自分は暇な時間を埋めるため、そして、震災の爪痕を少しでも目にしたくない為でもある。また、これからの自分から目を背けたいといったネガティブな理由で柔道を始めたわけだが。

その少年は反応の薄い感情表現が苦手な子供だったように思えた。

というようなことがあったのは4月の出来事。


7月も中旬になり、その子とも雑談をすることが多くなった。ある日、震災のことが話題になって、自分は東京に避難したことなどを苦労話を盛ってはんした。できるだけ悲惨にならずに面白おかしく話したつもりだ。周りは和やかになった。その少年も笑っていた。

すると、その少年は話し始めた。震災の時に母親を亡くしたという。自分を屋根に逃がして波にのまれたという。壮絶な話だ。とても笑顔で聞けない。そこからは辺り一面海になり、そこら中にポツンポツンと一軒家の屋根だけが見えた。そこで彼ないったい何を考えたのだろう。太平洋のど真ん中に置き去りにされたような孤独感を数十分間味わった後、状況は一変する。

自分の家を含めて、浮かんだ瓦礫、そこらにある屋根もろとも海にひき始めたのである。引き潮で沖にもっていかれそうになったとき、

「そこから離れろ!!」

近くの屋根から大きな声が聞こえた。辺りの瓦礫が海に運ばれようとしているとき、彼は屋根から屋根へ飛び移り、海に運ばれて行かないように必死に足掻いた。跳びまわり、瓦礫に移ったり、他の屋根に飛び乗ったり、延々とその場所から海側に行かないよう、山側から流れてくるものに跳び乗り続けたのである。

結果、津波の一波は去り、彼は急いで保護された。


彼は父親と二人暮らし。すべてを失ったにもかかわらず、ここ数カ月で笑顔も戻った。こんな話を普通にできるぐらいまで、彼のこころは成長していた。聞くと涙なしには語れない壮絶な体験談なのだが、彼は淡々と話していた。その日は何事もなく過ぎていったが、その日から彼は柔道に熱心に取り組み、すっかり元気になっていった。思い出としての震災はどうしても悲劇的なものとなって、人によってはトラウマになって二度と立ち上がれないくらいに絶望に浸ってしまう。その点、彼は乗り越えた。これから彼は強く成長して自分の体験を後世に伝えてくれるはずだ。そんなことに思いをはせて、今日も彼と組み手をしようと思う。

震災から1年数カ月。そのときに小学生だった世代は中学校へと進学していく。誰しもが彼のように乗り越えられるとは限らない。もちろん心に深い傷跡を残したままの子どももいるだろう。この問題をどう解決していくのだろう。カウンセラーでも過去は変えられない。結局受け止められるまで僕ら大人は見守るしかないのだ。とても悲しいことだが、現実を受け止める準備ができるまで、この街を含めた被災地はじっと彼らを包んであげるような包接さをもっていること、今はこれだけしかできないだろう。

盛夏は昨年より盛大に。そして鎮魂を銘打ったイベントもそこら中に。

静かに見守ることも大切な鎮魂歌だということ。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》