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結局、「しあわせ」なんてこの世にない


「幸せになりたい」
みんな、そういうことを漠然と言うようになった。
28歳、女性、独身。
ここ1年、女友達との集まりには「幸せって何?」というテーマが常にある気がしている。
恋人がいる人、いない人、結婚したい人、結婚を考えてない人、既に結婚した人、子供が生まれる人、、みんな、結局どこかで「幸せになれなくて」焦っている。

この焦りについて、少し冷静に分析すれば、妊娠出産を考えたら、女性の体には多少のタイムリミットがあるからだ。もちろん、若いから全て上手くいくわけでもないことを、あたしたちは知っている。そしてそれが女性の全てでは無いことも、あたしたちは分かっている。

あたし自身、多分なにかに焦っている。
焦りながら、男性を羨ましく思っている。
「20代の頃なんて適当に生きてたよ」「そうだな、将来のことなんて考えられてなかったよ」と語る男性芸能人のトークを見ながら、こんな会話、女性に有り得るだろうかなんて思った。
モラトリアムという言葉があるように、何者でもない時期というのはかけがえのないものだ。あたしについて自問自答ができる時間は尊いものだ。それが、男性の方は長い時間が認められているように感じている。一概には言えないことは分かっている。あくまで主観の話だ。

恋人とは長い付き合いだけど、結婚の話には進まない。それにモヤモヤすることもありつつ、ほっとしているあたしもいる。この気持ちの言語化はとても難しい。あたしは、いろんなことに重く責任を感じがちなので、誰かの人生をともに背負うことに、どきどきしてしまう。本当は、お互い肩の力を抜いた方がいいんだろう。それでもあたし達はお互い重い。この状態を「決心できないなんて、愛がない」と評する人もいて、その時は落ち込んだ。でも、もうそんなの称したところで仕方ない。落ち込んだのは、あたしもそう思ったことがあるからだ。愛を計るには最も手っ取り早いプロポーズを、あたしは求めている。愛に手っ取り早さなんてないのかもしれないのに。互いに自立しているあたし達が、手を取る瞬間ってどんな瞬間なんだろう。いや、ここまでのあたし達だって、ちゃんと手を取り合ってきたんだけどな。

冒頭に戻り、幸せとはなんだろうと漠然に思う。今までどんな瞬間に幸せを感じてきたであろう。

幸せの体感速度は早くなるばかり
傷が癒えていく速度は遅くなるばかり

のびしろ(Creepy Nuts)

上手く言ったものなのよ。大人になるってこういうことなのよ。この歌大好きなんだよ。

もう自分は若くないと何故か強く思っている。自虐的になる。焦る。女の価値は若さと美しさであるという呪いは、なんでこんなに潜在的にあたしの中にあるのだろう。誰からも言われていないのに、何を苦しんでいるのだろう。

人それぞれ、という言葉は自由で美しいけど冷たい。みんなと同じ、という言葉は窮屈だけど安心する。自由に生きていく、あたしはあたしの道を行く、という美しさに憧れながら、窮屈さを手放せないんだよ。

どう生きていくのかを考えられること、選択肢が自分の手にあること、大切だと思える人が健康で近くにいること、働き、食べて、寝ることが出来る、本当はそれが全部幸せなんだ。あたしたちが「漠然と」思いを馳せられるこの瞬間さえ、本当は贅沢なんだろう。「しあわせ」を渇望し続けるのはやめたい。


本当は今、戦争反対、停戦せよと声をあげないといけないのに、自分のことばかり考えている。ブルジョワだ、あたしだって。
生きていることさえ、不思議な感覚なんだ。
それでも、ふふっと笑える瞬間と、ごはんの美味しさに、安心し体をもたれる日々なんだ。

考えよう、学び続けよう、今のあたしはこんなんでも、明日のあたしは違うかもしれない。明日のあの人もこの人も、変わるかもしれない。  
いつだって、人は生きないといけないのだ。


私は今日まで生きてみました
時には誰かに裏切られて
時には誰かと手を取り合って
私は今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からもこうして生きていくだろうと

私には私の生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるのでしょう
けれどそれにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きていく
明日からのそんなわたしです

今日までそして明日から(吉田拓郎)


あたしのもやもや、あたしの小さな小さな気持ちをぐちゃぐちゃ語るよりも、この歌ひとつで全て語れちゃう気がする。歌って、言葉ってすごいね。




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