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母のこと⑥家出した私

こんにちは
看護師まーです。

今回は母を介護していた時のお話。

抗がん剤治療の選択がなくなり、症状緩和がメインになった母は数ヶ月間は元気に過ごしてました。

その後、少しずつ状態が悪化、母の隣りで寝てトイレに付き添う日々が続きました。

時間が経つにつれ、私の体力を蝕むようになりました。

寝てるのだけれども、ぐっすり眠れない日々。
看護師なので夜起きて対応する事は慣れていたのですが、夜勤を毎日しているような感覚になり、介護負担を感じるようになりました。

父は仕事を続けており、介護を手伝う事はありませんでした。

そんな中、休日を迎えたある日
午前中に予定があり、私は友人に会いに外出しました。母の事もあるのでお昼頃には帰宅予定でしたが、

お昼前に父から電話が
「お前、お母さんが大変な時にいつまで何やってるんや? 飯の用意はどないするんや? さっさと帰ってこい !」

ご飯の用意どうするんや?
私にはリフレッシュする時間も与えてもらえないの?介護するのは娘だから当たり前?
そんな思いを抱きながら、帰宅しました。

家に帰るやいなや、父から怒鳴られ、
大喧嘩になってしまいました。

「そんなええ加減にするんやったら、もうお母さんの面倒みんでもええわ!」
と父が啖呵を切った事に、私の中で堪えていたものがプチっと切れ、お母さんには悪いなと思いながら「勝手にすればいいやん!1人でお母さんの面倒をみればいい!」と家を飛び出しました。

行く当てもありませんでしたが、1人電車に乗り、私は泣いていました。

このしんどさが終わる時は母がこの世から居なくなる時。早く終わって欲しい気持ちと終わってほしくない気持ちとゴチャゴチャして複雑でした。介護を手伝おうしない父にも嫌悪感しかありませんでした。こんな状況になってしまった事がただ悲しくて涙が止まりませんでした。

何度か夫から連絡がありましたが、なかなか私の気持ちが収まらず帰宅したのは夜10時過ぎでした。

普段看護師として働いているので介護する事はそれほど負担ではないはずなのですが、家族を看るというのはまた違いました。
心身ともに疲れていました。
それでも母には生きて欲しかった。

帰宅後、母に謝りました。
父とは口をききませんでした。
そしてまたいつも通り介護生活に戻りました。  

翌朝、父から「もう怒らんといてくれ、お父さんはどうしたら良いか分からんのや。」と

長年、母は父の身の回りの事をしてきました。
父は仕事だけしかしてこなかったので、家事が全くと言っていいほどできませんでした。
時代だったのかもしれませんが、最低限1人で生活できる程度には家事ができるようにしておくべきだと思いました。残された父はいまだに苦労しています。

今、介護を頑張っておられるご家族の気持ちが良くわかります。私よりもずっと歳をとった方が介護していることも珍しくない。老老介護をされている家族も多いと思います。
どうか介護されている家族にも労いの言葉を、時には介護者がお休みできるよう代わってあげて下さいね。

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看護師まー


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