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短編小説「私を忘れないで」

静かだ
年金をもらい何気ない毎日を過ごしている
預金もそこそこあるし、家族と平穏に慎ましく暮らしている。
私は、若い人と話をするのが好きだ。

自分の体験談を語る
生きた証ともいえる

どんなに昭和の厳しい荒波をくぐり抜けてきたか
営業の電話で指にタコができるほど電話をかけまくったことか。
この話をするとにキョトンとされることが多い。

それでも若い人にまだまだ伝えたい
自分がどんな苦労してきたか
君達はまだまだ甘い
苦労のくの字も知らない
もっともっと教えたい。

まだまだくたばるわけにはいかない。

馴染みの喫茶店の女の子にもこの話をよくする
ニコニコ聞いてくれる
自分の話が受け入れられた時はとても満足だ。

いつものように店に行くと
丹念にコーヒーを入れてくれるはずが、突然、何やら機械のようなものに変わっていた。

こぽこぽと音を立てて、コーヒーがしたたるのをを見るのが好きだったのだが
注文するとボタンを押していた。

うーんと微妙な気持ちになったが
相変わらず店員さんはにこにこしているので、無言で飲んだ。

美味しいと言えば美味しいが
いつもの手で淹れてくれるコーヒーの方が私は好きだった。

自然と行く回数は減っていった。

それでも私が行かないと困るだろうし、話も聞きたいだろうと思い
久々に行ってみた。

少し雰囲気が変わっていた。
前はもう少し古風な作りだったが
あちこちに干からびた花が飾ってある。

何やら視界が鬱陶しい。
音楽もなんだか騒々しい。

私の指定席だったカウンターはなくなっていた。

渋々と奥のテーブルに座る

誰とも話さず、黙々とお茶をすする
随分、味気なくなったな
物足りなさを感じながら帰る。

なんだか行きづらくなったな
だんだんと足が遠のいていく

他に行く場所もないので数週間ぶりに行くと
今度は、入り口に何やら柑橘系の植物の匂いが漂ってきた。

流石にこれには参った。
鼻をつんざくような香り
私はこの手の香りがどうも苦手だ

帰ろうとすると、いつもの女の子が
にっこりと満面の笑みを浮かべてお辞儀をした。

だんだんと私の存在を忘れているらしい。

虚しさを感じながら、また新たな自分の居場所を探している。

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