もう頑張っている人には何を伝えればよいのだろう
昔を思い出すと、大学生の頃は「強く生きようね!」と謎に言い合っていたような気がする。
が、そもそもこの時に使われる「強い」とはどんな意味を持つのだろうか。
ストレス社会と言われる昨今、ストレスを感じる対象もストレスを感じる量も人によってかなり差があることがわかってきた。
今まで「強く生きようね」と言い合えていた人たちは、もしかしたらそう大きなストレスを感じていなかったのではないか、と考えるようになった。
例えば「強く生きる」仲間の抱えるストレスの対象は、逃げたい自分にあったのかもしれない。
自分の不甲斐なさに直面して、治したくもないし受け止めたくもないし、その結果ストレスを感じていたのではないか。
だから、自分に向き合う「強さ」が欲しい。
受け止められる「強さ」が欲しい。
そういう意味合いで「強く生きる」と言っていたのかもしれない。
じゃあもうすでに向き合っている人にはどうはげましたらいいんだろう。
自分の抱える課題に直面している人はもう十分「強い」のではないだろうか。
そんな人に「強さ」を更に求めるのはなかなかおこがましいのではないか。
かと言って、弱くてもいい、というのも相手の尊厳を踏みにじっているように感じてしまう。
結局どういえば、どう伝えれば良いのかわからなくなってしまった。
というよりも寧ろ、何を伝えたいのかもいまいち分りかねている。
もうすでに頑張っている彼らが何を求めているのか、皆目見当もつかないからだ。
そうして頑張っている彼らに何を伝えるべきかわからないまま、今日も一日を終えようとしているのであった。
アマゾンの奥地にでも向かうとするか。
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