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スポーツ、肉体の痛みと、喪失とZINE


 土曜日。イベントである。
ラウンドワンに行って、運動しようということになっってた。
家族の定期テストがあとひと月先に控えており、そのまえに思いっきりリフレッシュしたいというのだ。

 楽しみだ、と思うことと同時に、気が重くなる。

 イベントごとの記憶は、朝の準備の進捗のことでもめたり、服がないとか、朝のシャワーの順番をめぐって、何か巻き起こる。なにもない日ももちろん、あたりまえにあるのだが、どうも構えてしまって、案の定、家族は寝起きがわるく、予定の時間よりだいぶ過ぎてしまう。髪型やらなんやら。

朝、炊き立てのご飯で、おにぎりを握った。しゃけ、梅干し、海苔をまく。
ご飯の堅さは、ちょうどいい。
うちは、無水鍋でご飯を炊いている。家族が、米とぎ奉行(鍋奉行みたいな感じで使ってみる)で、水加減は、彼女に任せておけば大丈夫で、あとはわたしが焦がさず炊き上げれば上出来なのだ。  ちょっと焦げていたけど。

 合計、七個つくる。ひとりだけ、包みの中に三つ入っている。 

 準備に手間取りつつ、みんな割と上機嫌で、地下鉄の駅へ。

 向かう道中、気持ちがえぐられるような出来事があったが、心の中にしまっておいて、今日は思い切り楽しもうと思う。
乗り換えをして、南北線へ。北18条の駅でおりると、近所とは雰囲気が違う。北大や他にも大学や専門学校が近くにあるからか、飲み屋が多い。この辺りには、シーソーブックスという本屋さんがあるので、行ってみたいなと思っているのだが、乗り換えがネックになっていて、今年中に行こうと思っていた場所。たしか、シェルターもやっていたはず。ちがうか、あとで調べることにしよー。

 三人でならんであるく。常日頃、歩くときは、わたしがいつも真ん中になる。

二人で、家族が並んであるく姿を見たいなという気持ちは、いつもあるのだけど、それは、親であるわたしの勝手な願いだから。
好きに歩いたらいいじゃない、と思えるように目下努力中。
大切な人と、大切な人同士の人間関係まで、わたしの力でなんとかしようとするなんて、おこがましい。それぞれのペースで、やりかたで、築いていくものだ。介入できないし、でも気になってしまう。 過去なんども失敗しているのに、我が子にまで、押し付けがましく望んでしまう事がある。

 薄曇りの広い空の下、石狩街道を渡り、東区に突入すると、「なんか不思議な雰囲気だ」と家族が言った。

 ラウンドワンは、午前の早い時間にもかかわらず、もうにぎわっており、でも混雑というほどではなく、最初に目当てのカラオケに行った。一人ひとブース使用。一人、普段から歌わないから、困惑して、えー一緒にいっていい?と聞かれたけれど、拒否する。
ひどい親。わたしも思いっきり歌いたかったのだ。勝手な親。子供じみた親。


 わたしが、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」を歌おうとしていると、家族の一人が入ってくる、開いていないから、どこにも行くところがないから、居てもいい? と聞かれる。

 カラオケを切り上げ、ゴーカートへエントリーしていたため、ゴーカートコーナーへ。また、ひとりは、怖いからやめておくと言って、ベンチへ。

 スタッフから説明をしてもらう。

 ゴーカートの操作は簡単だ。

 中央に設置された、ゴーカートやセグウェイやローラースケートもできるフリーリンクは、上の階の吹き抜けからも丸見えだし、ひやかしの他人の目が多くある。

 自意識の取り扱いに関して、年齢的なものもあったのだろう。今までなら、なんでやらないの?!と、なっていたのだが、「じゃあ、行ってくるね!」と待ち人に声をかける。


マリオカートの気分でコースを何周もする。

 ゴーカートを終え、スポッチャへ。スポーツコンプレックスがあるけれど、体を動かすのがイヤというわけではないから、家族だけで楽しむゆるい運動は、心底楽しかった。

 バレーと、バドミントン、サッカーと、バスケ。青春を追体験しているような気持ちで、バッティングのコーナーへ。

 恐ろしくて、ボールを見送るだけ見送って、外へ出てくる。はやい、魔球だ。ぶつかったら、骨折するだろう。

 表示をみないではいったから、どうやら100キロの速度の上級者むけのところだった。
打てたら逆にすごい。
そのあと、65キロ速度のも挑戦したけれど、かすっただけで、金属製のバットから、手に伝わる振動が恐ろしく、打ち返すことなどできなかった。痛い。

 スポーツは痛みなんだ。痛烈に思う。

 痛い苦しい。

 でもスポーツ人口って、文学の人口よりも多いきがする。

 わたしの日常だけなのか。本の話をできるひとなんて、あんまり居ない。ゼロではないけれど、しない。結局のところ、友達や知り合いがすくないからだと思うけれど。

 でもたとえば職場で、そんな事を話すことができたら嬉しいな、と思う。イキイキできるなと思う。まるで、社会人の常識としての、自分の政治観を語るまじ、の様な規制が敷かれて居るみたいに、スポーツの話題は多いのに、文芸にかかわるはなしは皆無。

 わたしは、できるだけ肉体に生じる、いたみを避けてきたのだろうか。

 肉体より精神を傷つけてくるほうが多かったのだろうか。

 スポーツをやっていたら、もっと健全な考えができて、いびつな内省思考に歯止めがかかっていたかも。

 ボールを受け止めたり、苦しみながら走ったり、ぶつかり、打ちのめされたり・・・・・スポーツに対しての抵抗は、スポーツを舞台にした、小説への抵抗とも密接につながり、たとえば、わたしは、町屋良平氏の、芥川賞受賞作も全部読めていない。ボクシングの小説は、角田光代もかいてるよな。

町屋さん。文藝の受賞号を時々読み返す。

彼はわたしと、同じ年齢で、だから、またいつもの、勝手に親近感を抱いている。彼の記者会見の時に来ていたジャージは、とても彼によく似合っていた・・・・・・。嫉妬がすぎるので、この辺で。

 

 肉体との距離をはかるときに、わたしがつかう頭の筋肉(この言い方は、自分の言葉じゃないきがする)わたし全体の感覚器官を駆使して小説を読むわけだけど、それは、肉体に対して劣等感でしか語ることができないだろう。

 スポーツをしたくない理由として、露出したくない、動いている時の自分の顔が嫌いだ、とか、手の形、爪の形、体毛の有無、手の長さ、足の長さ、外見的な要素で避けている部分が多い。

 だから、呪術廻戦でのメカ丸みたいな参加の仕方でスポーツをすることに憧れる。

 おにぎりを食べ、休憩。漫画コーナーで、わたしは寄生獣の最終刊、家族は、私の幸せな結婚を。ひとりは、ライフかなんかを読んでいた。

  

 財布に、六百円ほどしかはいっておらず、ホットスナックも買わずに、おにぎりを、もくもくと食べる。

 それから、ゲーセンのコーナーでそれぞれゲームをして、またカラオケに入ったり、それぞれに楽しみ、ときどき合流した。また、五階でスポッチャをして、帰りはUFOキャッチャーを無料券で一回ずつやった。もちろんとれなかった。

 帰りにヨドバシカメラに寄ろうと思ったけれど、時間がなく、帰りに丸井で、おやきを買って帰る。

 

 17:00からのオンラインの話はまた後日書こう。

 一人のカラオケで歌ったうたは、以下の通りである。

エレカシ「俺の道」「シグナル」「友達がいるのさ」他。
チューリップ「心の旅」「青春の影」
米米CLUB「浪漫飛行」
金井克子「他人の関係」
Mrs.GREEN APPLE「ケセラセラ」
順不同、その他沢山のリクエストをいただいたけど歌えませんでした。

夜は牛しゃぶサラダと、桜でんぶとか、鮭のあまりとかでちらし寿司風にした。

一人寝落ちしたため、二人で夕食。

不滅のあなたへという、漫画のはなしになり、呪術廻戦のはなしになり、久々に楽しくはなせた。
不滅のあなたへ、の第一話で号泣していたのに、ストーリーを覚えていないところが、沢山あるため、今日は漫画をレンタルする予定。

きっと、読めないけど。
これを書いているのは日曜の朝。
天気がよい。雲のない塗り壁みたいな空。
今日は、ZINEの草稿を作りたいのだ。
寝ないでもいい体力がほしい。

有料じゃなくても、太字にできるんだ!note。

今度必ずいってみる!


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