【短編小説】 秘密のペンダント
誰が持主
体育の授業が終わって教室に戻り、御崎美奈は、机の中からペンダントを取り出し首にかけ、その上から上着を被った。それを見ていた貝沼麗奈が、目ざとくペンダントに気が付き、とがった声を出した。
「そのペンダント。私のものよ。どこで拾ったの」
「えっ。何のこと」
美奈は訳が分からず、麗奈の顔を見返した。
「しらばっくれないで。ペンダント拾って知らんふりして」
麗奈の真剣な顔を見て、美奈はようやく事態の急迫を知る。
「何言ってるの。これは生まれた時から私のものよ。麗奈。欲しくなったの?」
「嘘言わないで。私。先ごろどっかで落としたのよ。私だって生まれた時からよ」
大きな声で言いあう二人の周りにクラスの生徒が集まってきた。下手な田舎芝居でも見るように皆が無表情に事の成り行きを注視している。中には、にやにや眺める男子生徒も混じっていた。
「麗奈の言う通りだわ。私、麗奈が首にかけているのを見たことがあるわ」
麗奈の友達が加勢すると
「美奈が言うんだから間違いないわよ。これは絶対に美奈のものよ」と美奈の友達が言い返す。
美奈も麗奈もここ仙台市の私立高校で、二年生の春を迎えていた。校舎の外は、快晴で、お日さまの光は明るく、穏やかな日和となっていた。桜の開花も間もなくに違いない。けれども教室の中はさらにエスカレートした。
「これは私のものだわ。返してよ」
友達の応援に勢いを得、麗奈は目にかかる前髪越しに美奈を見て近寄ると、美奈の胸に手を入れ、ペンダントのトップを引っ張った。美奈は取られまいと後ろに身を引いた。すると、鎖が切れて、美奈は後ろによろめき束ねた髪が揺らぎ、ペンダントは麗奈の手に残った。
「おおー」
周りの同級生からどよめきの声が漏れた。
その時、クラス委員の通報に驚き、バタバタと担任の畑石孝信先生が駆け付けた。
「どうした。真昼間から喧嘩はないだろう」
若い畑石先生が自信なさげにゆらゆらと美奈と麗奈を分けに入った。
「昼だからやってるんじゃない」
後から男子生徒のヤジが入る。
「そんなもの学校に持ってくることはないだろう」
畑石先生が麗奈が握っているペンダントを指さすと
「話が違うよ、それが誰のものかだよーん」と男子生徒からまたまたヤジが飛び,皆がどっと笑った。
先生は、ひやかしを入れた生徒を睨んだが、それ以上はかかわらず、睨み合っている美奈と麗奈に向き直った。
「とにかく、ペンダントは一つしかここにはない。どちらかが嘘をついているということだな。ここでやりあっていても埒があかないし、教員室に来てもらおう。それまでそのペンダントは先生が預かるから、僕によこしなさい」
畑石先生が手を差し出すと、麗奈は嫌がって般若のように目を怒らし後ずさりした。先生がさらに手を出すと、麗奈はしぶしぶ手に握っていたペンダントを差し出した。それは麗奈の汗にまみれ、ぬるぬるとほのかな温かさがしみ込んでいた。若い男の潔癖か、先生は人の体温の感触を避けるかのように、ペンダントを指でつまんで持ち去った。
迷路の探索
教員室には、最初に麗奈が呼ばれた。教員室のソファーに座り、前には、指導教員の皆橋公子先生と担任が座り、尋問が始まった。
「とにかく分からない。一つしかないペンダントを取り合うなんて、まるで子供じゃないの」
畑石先生が大きな難問の前に、さも困ったように話を切り出した。
「貝沼は、どうして他人のペンダントを自分のものだというんですか」
「だって。自分のものは自分のものだからです」
「それはそうだけど、人が身に付けていたものを自分のものだとは、言うだけなら誰でも言えるだろう」
「言ってるだけじゃないのよ。本当に自分のものですから」
二人の話は、まるで言葉のやり取りだけで中身が見えない。寺の門だけを見て帰るようなものではないか。
「貝沼さんは、あのペンダントをどこで手に入れたんですか」
そこで、皆橋先生が介入し、眼鏡越しに麗奈を見て、質問の矢を向けた。さすがに年齢を感じさせる貫禄がにじみ出た。
「はい」
麗奈はいったん返事をしてから、しばし沈思した。
「あのペンダントはね、お父さんとお母さんの形見なんです」
「ご両親の形見」
皆橋先生が逆らわず反復した。
「そうよ。十二年前にね。大震災の大津波で車ごと海にさらわれてしまいました」
ここで、滑らかな若い麗奈の美しい顔がゆがみ、必死にこみ上げる感情を堪える姿が痛々しかった。
「そう。大変だったね。それじゃ大切なペンダントだわね。いつ頂いたの」
皆橋先生の巧妙な質問が続いた。
「私が生まれた時に、誕生記念に買ってくれたとおばあちゃんが言っていました」
「フーン。おばあちゃまが。それで、どうしてその大事なペンダントを御崎さんが持っていたのかな」
「どうしてと言われると、単純な話で、先日校庭で、ペンダントを落としたのね。後で気づいたんだけど分からなくなって。落とし物で学校に届けがあるかと思っていたけどなかったし、今日ふいと見たら美奈の胸にあったんです」
麗奈の話が悲しみを帯びて、春の陽気とは相いれず、その場が沈みに沈んだ。二人の先生も、沈鬱な表情で麗奈の尋問を終えた。
麗奈の後に美奈が呼ばれて、両先生の前に座った。ロングの髪を後ろに結び、春ののどかな天気のように明るく快活で、澄んだ両目が笑い、口元が微笑み、二人の先生を見比べた。先ほどの陰鬱が瞬く間に消え去った。
「御崎さんは、ペンダントをどこで手に入れたのですか」
麗奈の時とは違い、今度は最初から皆橋先生が質問を繰り出した。
「はい。私が生まれた時、両親が記念に買い求めてくれました」
すらすらと美奈が淀みなく答えた。何の屈託もない明るい笑顔だった。
「あなたは、貝沼さんのペンダントをこれまで見たことがありますか。話を聞いたことはありませんか」
「はい。一度もありません。今日、初めて聞きました」
「変ですね。ペンダントを得た経緯は、同じことを言ってるんですね。そこが何とも腑に落ちません」
皆橋先生がそう言って、眼鏡の奥からじっと美奈の顔を凝視した。
「そう言われても誕生の記念であることには変わりません」
美奈はそう答え、皆橋先生の顔を見て明るく笑った。皆橋先生は無表情のまま畑石先生の顔を窺った。
「先生は何かありますか」
「あっ、うん、いや」
畑石先生が、突然役割を振られ、赤くなって狼狽した。
「うん。そうですね。御崎さんはいつもペンダントを身に付けていたんですか」
何やらどうでもよい質問に思えたが、意外と鋭い質問になったものの、美奈はその罠に気付かず、これにも丁寧に答え微笑んだ。
「はい。いつも上着の下に付けていました」
これでは、美奈のつけていたといえる証人はいないということになる。けれども質問した当人はそんな思惑はなかったと見え鷹揚にうなずいた。
推理の果て
美奈の戻った後、皆橋と畑石の二人の先生は黙りこくってそれぞれの考えに沈んでいた。そうしながら畑石先生は目の前のテーブルを見ていて気が付いた。だいぶ前は必ず灰皿が載っていたというが今はなにもない。それどころかお茶の入った湯飲み茶わんもないではないか。先輩たちが懐かしく語っていたが、昔は事務職員がいつでもどこでも茶を淹れてくれたようなのだ。畑石先生はそこまで思って、はっとし慌てて教員室の隅にある給茶機に急行した。
皆橋先生は一口茶をすすって、口をもぐもぐさせてから、畑石先生に話しかけた。
「先生。いかがですか」
「はっ。美味しいですね」
「おほほ。お茶じゃないですよ。ペンダント」
皆橋先生は笑い、畑石先生はどぎまぎしてポマードを塗りつけたてかてかの頭髪に手をやった。
「そうでした。すみません。ペンダントはね一つだけだから、どちらかが嘘をついてると思います。僕は、御崎が嘘をついていると思う。始終薄ら笑いを浮かべてて、正体が知れない」
「人は印象で測るもんじゃないと思います。御崎さんは明るくていい娘じゃないですか」
皆橋先生がやんわりと畑石先生をたしなめた。
「それはそうと。私は、どちらも嘘ではない、ペンダントが二つあると思えるのよ。貝沼さんが校庭のどこかで落とし、誰かが拾って知らんふりをしているというのが一番妥当じゃないかということね」
突然、皆橋先生が名探偵に変身し、推理を始めた。
「とすると、誰がということだけど、手掛かりを得るためこのことを校内に掲示し、校内放送をして皆にお知らせし、協力を求めたらいいんじゃないかしらね」
皆橋先生が同意を求めるように畑石先生を見た。
「先生は、ええっと、貝沼さんは両親がいないから、御崎さんのご両親に電話して、裏を取ってもらえないでしょうか」
「裏、裏って?」
畑石先生は、真意が分からず、どぎまぎして答えに窮した。
「ペンダントを御崎さんにやったかどうかよ」
「はい。了解しました」
突然、畑石先生が探偵助手に変身した。
翌日に耳よりの情報が入った。それは、校庭を掃除していた整備員の宮坂頼子がもたらしたものだった。彼女は教員室のソファーに座り、畑石先生が給茶機から運んだお茶を飲みながら語った。
「私が、掃除具をまとめ、校舎に入ろうとしたら、五十メートルぐらい先の木の根元で何かきらりと光るものが見えたんです。掃除具を置いたら見てこようと思い、その後すぐに木のところに行ったけど何もなかったですね」
「宮坂さん。念を押しますが、何もなかったんですね。それで、あなたが校庭にいる間に誰かを見かけませんでしたか」
何もないというのに、皆橋先生の追及が鋭く宮坂頼子に迫った。宮坂は、疑われているとの自覚はなく、のんびりと自分の記憶をまさぐった。
「だれも見なかったねえ。うーん。あっ、そうそう、女子生徒一人とすれ違ったような気がしますね」
その後の皆橋先生の動きが速かった。全クラスの担任のいる教員室で、女子生徒達の直近の休校状況を訊いたのだ。それは熟慮というよりはひらめきだったに違いない。そして、該当の生徒に担任からお見舞いの電話をかけてもらったのだった。とにかく種をまかなければ、芽は生えない、餌をまかなければ魚は寄ってこない。その理を皆橋先生は、迷うことなく実行した。
納得の場所
学校の会議室に、今回のペンダントのいざこざに絡む関係者が集まり、テーブルの周りに座っていた。
皆橋先生と畑石先生、整備員の宮坂頼子、美奈と母の揺子、麗奈、それに女子生徒の野本則子とその兄、康介の八人が神妙な面持ちで、畑石先生の運んだお茶をすすっていた。
「皆さん忙しいところをすみません」
頃合いを見て、皆橋先生が皆を見回して話し出した。
「この度のペンダントの件では誰も悪い人はいません。ご覧のとおり同じペンダントが私の目の前に二つあります」
見れば、トップに可愛らしいキューピットが彫られたペンダントが二つテーブルの上にあった。一つは鎖が切れている。
「そうですね。野本康介さんから説明していただけないでしょうか」
「はい。ペンダントの一つは、妹の則子が校庭で拾い、家に持ち帰ったものです。次の日、学校に届けるつもりでいたようですが、朝に熱が出ていて、それからずっと寝込んでしまい、そのままになっていました。学校からお見舞いの電話があり、それを妹に告げに行って、僕が則子の机の上にあるのを見つけました。すぐに連絡しないで申し訳ありません」
立って話をしていた康介が頭を下げて腰を下ろした。妹の則子も慌てて立ち上がり、ぴょこんと頭を下げ座った。
「そうゆう訳です。それでどうでしょうか。このペンダントですが、この際、面倒にならないように、鎖の切れたものは、壊した貝沼さんが引き取り、切れていないものは御崎さんが受け取るというのはいかがですか」
まるで大岡裁判の様な明快な裁定が皆橋先生の口から投げかけられた。
「私はそれで構いません。申し訳ありませんでした」
貝沼麗奈が立ち上がって、深々とお辞儀した。
すると、御崎美奈も立ち上がって、お辞儀した。
「私もそれで意義はありません。ご迷惑をおかけしました」
その時、美奈の母親、揺子が立って、軽く礼をし話し出した。
「この度は、私の娘がとんだことで、ご迷惑をおかけしました。まさかペンダントとは思いもよりませんでした。今から十七年前、娘の誕生祝に、いつまでも幸せと思い買い与えました。キューピットのペンダントです。同じものとは何かの縁です。どうか麗奈ちゃんもお幸せになってください」
揺子は麗奈を見、優しい少し潤んだ目で微笑みかけ、座った。
「はい」
麗奈も返事をして微笑み返した。
その日の夜、娘の美奈が夕食後に自室に引き上げた後、母親の揺子は夫の勇人に学校での出来事を報告した。
「麗奈は、元気に大きくなっていたよ。美奈と違いあなたに似てとても可愛かった。抱きしめてあげたかったなあ」
揺子はそこまで言って、涙がこみあげてきて後が続かなかった。
「そうか。元気でいたか。何よりだったね」
勇人も十七年前のことを思い出し、万感胸に迫るものがあった。あの時、産院の同室で、知り合いの奥さん、貝沼品子と同日に出産したのだが、品子の子供は出産途中で死んでしまった。悲痛な品子の声が今でも揺子の耳によみがえる。揺子は双子を生んだので、お乳が張るという品子が、試しに麗奈を抱き上げたところ、麗奈が品子のおっぱいに吸い付き、離さなくなった。子供が二人というのも大変で、自分一人のおっぱいでは足りないだろうし、ついつい厚意に甘えているうちにそれが常態になってしまった。
色々曲折はあったけれども。知らない仲でもないしということで、所定の手続きを経て、麗奈は貝沼の子供になった。その後、貝沼との間は、ちょっとしたトラブルがあり、疎遠になってしまったけど、両親が大津波でなくなったとはつゆ知らなかった。
「あなたどうしましょう。このまま知らないでいいものでしょうか」
「うーん。難しいなあ。親の情からすれば打ち明けたい気もするが、何しろ十七年の人生の積み上げがある。いまさら壊すのも可哀そうすぎるし、そっと見守るのがいいのではないかと思う」
「あの子にとって今が平穏ならば、知らせて心を乱すのも酷だと思うし、何かあったらお助けするということで、見守っていきましょう」
揺子も勇人に同意し、幾ばくかの懸念は残るものの、わずかに微笑んで夫を見た。
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