見出し画像

ゴジラとビキニとカジキマグロ

 

 令和になって昭和は遥か昔のような気がします。もはや歴史の一ページなのかもしれませんが、いつまでも忘れないでほしい昭和の出来事があります。

第五福竜丸事件

 日本が戦争の焼け跡から立ち直ろうとしていた昭和29年(1954年) 1月22日、静岡県焼津市の焼津港から遠洋まぐろ延縄漁船「第五福竜丸」が西太平洋のマーシャル諸島近海を目指して出港しました。順調に航海を続けた第五福竜丸は2月の中頃にマーシャル諸島近海に到着し、ビキニ環礁という巨大な珊瑚礁の近くでマグロ延縄漁を始めました。
 
 

 3月1日、遠征で最後となる14回目の延縄漁を行なっていた午前6時45分、第五福竜丸の乗組員たちは夜明け前の暗やみの中に白黄色の大きな火柱が天に向って立ちのぼるのを目撃しました。以下は乗組員の大石又七さん(当時20歳)が後に語った当時の様子です。
「光が空をサーッと流れ、空が黄色い光に覆われました。徐々に空を覆った光に赤色が加わり、夕焼けのような光景になりました。2~3分間は光が空を覆っていたと思います。乗組員は何が起きているか、わかりませんでした。約10分後、海の下からドドドッと重い地鳴りのような音がしました。今度はデッキに伏せたり、食事をしていた者は持っていた皿を投げ出して、反射的に体を伏せました。音と光がバラバラにやってきたのです。異常を感じていると、巨大なキノコ雲が見えました。ジェット気流に乗ったのか、風上にいる私たちのほうへ、すごいスピードで迫り、あっという間に空を覆いました」
 それはアメリカが行った水爆実験でした。「ブラボー」と名付けられたその水素爆弾の威力は広島に投下された原爆の約1000倍にも達し、爆発で周辺の島が3つ吹き飛び、直径1.8キロ、深さ70メートルの巨大なすり鉢状の穴が海底にできました。爆発の2時間後には空全体を覆った雲から白い灰が降り、「第五福龍丸」の甲板に積もりました。灰は乗組員の顔、手、足、頭髪に付着し、呼吸によって体内にも入り、乗組員は全員被爆しました。
 
 3月14日に自力で帰国した第五福龍丸の乗組員23人は「急性放射線症」と診断され、半年後の昭和29年(1954年)9月23日、乗組員の久保山愛吉さん(当時40歳)が「原水爆被害者は私が最後にしてほしい」(原文ママ)という言葉を残して亡くなりました。

ゴジラ

 久保山愛吉さんが亡くなったおよそ1か月後の昭和29年(1954年)11月3日、映画「ゴジラ」が公開されました。ゴジラは度重なる核実験により、住んでいた海中洞窟を壊されて地上に現れた怪獣です。原作・脚本の小説家、香山滋氏は映画の冒頭で被ばくした第五福竜丸を映し出すことを提案しました。しかし、様々な事情で実現せず、その代わりに「ゴジラこそ、我々日本人の上に今なお覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」という台詞が盛り込まれました。ゴジラは世界で唯一、実戦で核爆弾を経験した日本国民の抗議であり自戒なのです。


ビキニ

 第五福竜丸が被爆した水爆実験の8年前、広島と長崎に原爆が投下された翌年の昭和21年(1946年)7月1日、アメリカによる原爆実験がビキニ環礁で行われました。この実験で使用された原子爆弾は広島・長崎に投下された爆弾よりも小型でありながら破壊力は格段に大きかったそうです。ちょうど同じ年に発表された新作女性用水着も布の面積が小さく、インパクトは抜群に大きいということで「ビキニ」と名付けられました。当時のビキニは現在の物に比べれば地味なデザインでしたが、アメリカでは1960年代の中ごろまで一般的なビーチでは着用禁止でした。
    ビキニ環礁と隣のエニウェトク環礁ではその後も核実験が行われ、1946年(昭和21年)から1958年(昭和33年)までに計67回の原水爆実験が実施されました。

   ちなみに、2014年公開のハリウッド版GODZILLA では、ビキニ環礁での原水爆実験は、実はゴジラを殺すための作戦だったという設定でした。

カジキマグロ

 第五福龍丸は被爆しながらもマグロ、サメ、サンマ、そしてカジキなどたくさんの魚を持ち帰りました。カジキは赤身魚で、旬のものは味が良いので関東の沿岸地方では人気があります。マグロ漁でよく捕れることから関東の漁業関係者の多くは「カジキマグロ」という俗称で呼んでいましたが、カジキとマグロはまったく別の種で、なんの関係もありません。

    第五福龍丸が持ち帰った魚からは強い放射能が検出されたために廃棄処分になってしまいました。また、その年の12月までマーシャル諸島周辺海域を通過した漁船の放射能検査が行われ、被災した日本漁船の総数は856隻、廃棄された魚は約486トンにもなりました。その影響で他の魚も軒並み売れなくなり、連日セリが中止されたために築地市場は大混乱に陥りました。その混乱を新聞やラジオ・テレビ等のメディアが報じる時に、「カジキ、マグロ」とするべきところを、誤って「カジキマグロ」という俗称を使用してしまったことから、全国的に「カジキマグロ」が正式名称だと誤解されるようになりました。※これについては諸説あります。 


ゴジラとビキニとカジキマグロ

 久保山愛吉さんがお亡くなりになって70年になりますが、世界から核兵器は無くならず、日本人の多くは第五福竜丸事件を忘れ、あるいは知らなくなってしまいました。ただ、ゴジラとビキニの水着とカジキマグロだけが、核兵器の恐ろしさを伝え続けているような気がしてならないのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?