積ん読日記⑮
寒い。朝は。
分かる本、わからない本について。
分かる本→司馬遼太郎、石垣りん、吉野弘など。
わからない本→マルクス「資本論」、丸山眞男「日本の思想」、吉本隆明。
僕は分かる本、わからない本も両方楽しんでいる。ふつう、分かる本のことを面白いとみんな感じるかもしれない。でも。それは本当にそうなんだろうか。
わからない本のなかにも、面白さを感じる、ということは十分にありえることだ。それは言葉ではどうにも、表現しにくいけれど。
わからなさのなかに、あるロマン、あるリズム、ある切れ味、息吹、というものがあるに違いない。だからだ。わからないのに、面白いと感じるのは。ある詩人が、ヘーゲルはむずかしい、でも、おもしろいね、と語っていた。おそらく、この詩人はヘーゲルを「理解」はしていないのかもしれない。でも、人が本を読むとき、わからないけれど、楽しい!ということはしばしば起きる。だから僕は、この詩人のことが大好きだ。信用できる。読書という行為を、この詩人は理解しているからだ。
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