sakananomama

我が子が海水魚たち。 夫と二人暮らしです。 日々の思いを綴っていきます。

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最近の記事

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イタリア

結婚20周年記念の旅行として夫と楽しみにしていたイタリア旅行。 2020年の7月にミラノ、フィレンツェ、ナポリの各都市を巡る予定だった。 航空券は早めに購入し、宿泊するホテルも念入りに調べてきれいで景色の良い、朝食がおいしい評判の良いホテルを予約した。 初めてのヨーロッパ、初めてのイタリア。 予約をした瞬間から楽しみで毎日心が踊っていた。 しかしその旅行は実現することはなかった。 そう、パンデミックのあのタイミングに完全に当たってしまったのだから。 旅行の予約後すぐにイタリ

    • イタリアその7

      イタリアでは、自分の年齢を自虐する必要はない。 自分の年齢を悲観している人は私が見る限り多数派ではないと思う。 日本では50代は立派な「おばさん」で、それを自虐することがコミュニケーションの潤滑油になったりする。 同世代同士ならそれは笑いにもなり大いに盛り上がるが、若い世代に対してわざわざ自分をおばさんアピールする必要はあるのだろうか? もちろんしたい人はすればいいし、したくない人はしなくていい。 人それぞれ、生き方はそれぞれでいいと思う。 そう思った私は、今後年齢に対する

      • イタリアその6

        イタリア人のおしゃべり好きには本当に感心する。なぜあれほど話し続けることができるのだろうか? 街を歩いていても、電車に乗っていても、携帯電話で楽しそうに長ーいおしゃべりをしている人が必ずいる。 ピザからフィレンツェの約1時間の電車の中、ずっと話し続けていた強者の方もいらした。 他人のおしゃべりを気にするイタリア人はあまりいないようだ。 イタリア語の音が好きな私は、イタリア人たちのおしゃべりが、いつもかかっているBGMのように感じるので、むしろ歓迎するくらいなのだか、つねに静か

        • 「本当の最後」の夢

          私には最終ゴールに大きな夢がある。 この夢が叶えば、私の人生は最高に幸せだったといえる。 人生の最後に、私の手を握ってくれる夫。 「おもしろかったね。ありがとう。」 と夫に言って笑顔で旅立つ。 もちろん大好きな人たちがガヤガヤと私を囲んで最後まで笑ってくれていたら尚のこと幸せだ。 夫のドラえもんのような温かい手で、私の手を握っていてほしい。 とはいえまだまだ私は生きていく。 私のイタリア行きを強力にサポートしてくれた夫。 実家で寂しさに耐えてくれている両親。 私の不在中に

        • 固定された記事

          イタリアその5

          「ショーペロ?」 イタリアではショーペロという言葉をしょっ中耳にする。 ストライキのことで、頻繁に至る所で行われている。 1番多いのはバスなので、私は1度もバスを利用したことはない。 バス停で、次のバスがいつ到着するのかわからずにバスを待つような心と体のゆとりは私にはまだない。 10kmくらいの距離は平気で歩いてしまうので、特に不便は感じない。 問題は電車である。 出発の時刻が表示される電光掲示板にCAN(キャンセルの意味)の文字が大量に並んでいるのを初めて見た時は少し感

          イタリアその5

          いつもマイノリティその4

          勉強を教えることは楽しい。 しっかり授業の準備をする→生徒の目が輝く授業ができる→生徒の成績が上がる→講師としての信頼度が増す→自信がつく→たまに金八先生のように「人として」の話までできるようになる→更によい授業をしようと頑張る とはいえ結婚についても同時進行で進めていた私は、結婚生活と仕事を両立させるため、大手フランチャイズの学習教室を開設することを決めた。 個別学習のため、授業をすることはなくなるが、子どもたちのより近くで学習指導ができるのならそれでよいと思った。

          いつもマイノリティその4

          イタリアその4

          時々アパートから徒歩5分くらい離れた場所にあるホテルのバールに行く。 バールとはカフェのことだが、こちらでカフェというとエスプレッソのことを指すので、とても紛らわしい。 現在ユーロのレートが160円前後で円安に泣かされているので、1ユーロ程度でカフェが飲めるバールの存在はとてもありがたい。 そのバールで働く人たちはみな明るく、そこに行くと一気にテンションが上がる。 ある日曜日の午後、カウンターでグラスワインを注文した時、隣でパニーノを食べながらお店のスタッフの女性とおしゃべ

          イタリアその4

          更年期障害

          「初経から生理痛がひどく、月経困難症に悩まされ、更年期障害もひどい人」を競いあう大会があれば私は入賞する自信がある。 私の人生は婦人科の症状にずっと付き合わされている。 生理前、生理中、生理後の排卵時期に鎮痛剤を飲まなかったことはない。 10年ほど痛みと闘ったが、痛みに疲弊し、22歳の時に初めて婦人科を受診し、ピルを処方してもらった。 30代は妊娠を希望していたため、ピルをやめ、また痛みに耐える生活が始まった。 結局1度も妊娠することはなかった。 45歳後半くらいから生理の

          更年期障害

          姉と姉

          私には二人の姉がいる。 1番上の姉は8歳年上、2番目の姉は7歳年上だ。 1番上の姉は第一子ということで両親の期待を一身に背負ってきた。 ピアノと英語と料理が得意でテニスと運転も上手い。 社交的で友人もたくさんいる。 幼い時は姉にたくさん叱られた。 母より姉の方が厳しかった。 豚肉が苦手で残そうとする私に姉は容赦しなかった。 泣き続ければ食べずに済むだろうと思ったが、テーブルの上にはいつまでも豚肉だけ入った器が残され、私は結局固く冷たくなった豚肉を食べた。 好き嫌いなく何でも

          いつもマイノリティその3

          数が多すぎた。 私の世代の人数はとんでもなく多かった。 転校前の中学校のクラスは各学年10クラス。 大学進学は1浪は当たり前。 時代はバブル。 そしてそれが弾けた。 私が教員採用試験を受けた時は一気に倍率が上がり、教職氷河期に突入した時だった。 その時は19歳の時から付き合っている彼がいて、結婚も考えている時期だった。 子どももなるべく早く欲しかった。 充分な準備ができないまま受けた試験の結果は当然不合格。 すぐに学習塾の専任講師になることを決め、教員採用試験も長期戦で挑む

          いつもマイノリティその3

          夫は優しい。 私にはもちろん、家族、友だち、私の友だち、仕事仲間、まわりの人々、関わるすべての人たちに対して程度の差なく優しい。 そして海水魚たちの父としての責任感も素晴らしい。 魚はとても重い病気にかかることがある。 その一つがトリコディナ病で、体の表面に薄い膜が現れるのが特徴だ。治療をしてあげないと、どんどん弱って死んでしまう。 カクレクマノミが以前この病気にかかったが、夫は病気のカクレクマノミを淡水浴させた後、まるで外科医のような手さばきで、その子を平らなプレートの上

          父と母

          私の父と母はとても人間くさい。 人間のプラス面、マイナス面を自分たちの生まれもっての性格や、様々な破天荒な行動で私たち三姉妹にたくさん示してくれた。 二人ともとてもプライドが高く、時にとても扱いにくい。 しかし二人とも心底優しい。 父は人や動物に対してはもちろん、ぬいぐるみにも愛情を持って優しく接する人で、私が中学生だった頃、「捨てられててかわいそうだから拾ってきた」と、もはや犬だかクマだかわからないくらい汚くなったぬいぐるみを手に持って帰ってきた。 父は自分でそのぬいぐる

          イタリアその3

          今回はプライベートレッスンを選び、新たな友だちづくりには消極的な私だったが、語学学校のアクティビティには積極的に参加した。 そこで出会ったのがメキシコから来たパワフルな3人組の女性たちだった。 3人のうち二人は63歳、一人は57歳。 メキシコの語学学校で一緒にイタリア語を学んでいる友だちだという。 彼女たちは明るく大きな笑顔で私と接してくれた。 57歳の彼女は出会って間もなく63歳の二人の彼女たちより先に帰国をしたが、定期的に私に楽しいメッセージを送ってくれて明るい気持ちに

          イタリアその3

          イタリアその2

          イタリアでは生まれて初めて一人暮らしを経験した。 私は30歳の時に結婚して実家を出たため、20代で一人暮らしを経験することなく結婚生活が始まった。 家具、食器、寝具、タオルなどの一式が揃ったホテルアパートを借りた。語学学校からの紹介のため、通常よりかなり安く借りることができた。 今回も同じアパートを借りている。 コロナとインフルエンザを乗り越えられたアパートなので、なぜだかとても安心感があるのだ。 食事はいつもスーパーで食材を買ってきて自炊している。もちろん稀に外食もする

          イタリアその2

          いつもマイノリティその2

          結局私は専門学校を中退し、将来についてよく考えてみた。 その時に読んでいた本が灰谷健次郎の「兎の眼」だった。小谷先生の鉄三への純粋な眼差しに心を打たれ、バクじいさんのエピソードには電車の中で人目を憚らずに泣いた。 この時にきちんと勉強がしてみたいと心から思った。 私自身1番興味があることは「人」だということもわかってきた。 そして自分の小学校時代が転校を含めてとても貴重で重要だったことにはっきり気づいた。 しかし私の人生のやり直しに関して、もう親を頼ることはできなかった。両親

          いつもマイノリティその2

          いつもマイノリティ

          私は現在53歳。 気がつけばいつも少数派にいた。 今イタリアにいるのにイタリアのことをいつまでたっても書かずに自分の人生の振り返りをしていること自体、究極の少数派なのではないか? 生まれた場所は仙台市。 私は三姉妹の末っ子。 血液型はAB型。 私と同病院、同日に生まれた子は三兄弟の末っ子。 二人の母たちは苦笑いし合ったそうだ。 お互い「今度こそ!」と思っていたらしい。 そんな期待薄めからの人生のスタート。 学校の新設や家族待望のマイホームへの引っ越しのため小学校は3校、悲

          いつもマイノリティ