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かつて、過酷な預金封鎖を行なった日本

目下、インフレに見舞われている日本。
実は、かつて猛烈なインフレを抑えるために
日本で預金封鎖が行われた事実をご存じでしょうか。

現在の日本政府は、国債を発行して市場に流し、
日銀がその国債を担保として受け取る代わりに
通貨を発行する、という流れになっています。
「国債を一旦市場に流す」という
ワンクッションを置くことで、
国が無尽蔵に通貨を発行できないように
しているのです。

このような仕組みになった要因は、
第二次世界大戦時代にまでさかのぼります。
当時、日本は太平洋戦争へと突入し、
政府は名目値で国家予算の280倍もの
戦費を注ぎ込んでいました。

国はこの難局を乗り切るために、
大量の国債を発行して
日銀に直接、引き受けさせました。
やがて終戦を迎えると、その直後から
猛烈なインフレが日本を襲ったのです。

激しいインフレを抑えるために、
政府が行なった政策とは、
1946年の預金封鎖と新銀行券への切り替え、
翌47年に行われた財産税による強制徴収でした。

預金封鎖とは、国民が一日に預金を引き出す金額に
国家が制限を設けることです。
もともとインフレとは、
モノに対してお金の価値が下がることですから、
預金に引き出し制限をかけて、
世の中に出回るお金を少なくしようとしたのです。

これを実行するに際し、国はまず、
5円以上の旧日本銀行券を国民に強制的に預金させ、
新札発行後は旧札の通用力を失くすという、
かなり荒っぽい手口を使いました。
実は、新札発行は財産税の伏線となっており、
国民の資産状況を把握することが
主な目的だったと言われています。

これだけのことをしたにも関わらず、
日銀の資料によると、こうした荒療治の効果は
一時的なものに過ぎなかったようです。
実際、預金の引き出し制限には
いろいろな抜け穴
がありました。

最高90%が課税されたという
財産税による収入も、
目の前の赤字補填に充てられたり、
資金の貸し出しに使われたりと、
通貨流通量の抑制は不徹底に終わりました。

結局、日銀が大量に保有していた
戦時国債の償還とインフレの収束は、
1949年にGHQ主導による
超緊縮財政(ドッジライン)
実施された後のことだったのです。

【参考文献】
日本銀行百年史、日本銀行特別経済月報(昭和22年3月)、YAHOO!JAPANニュース:2015年2月18日、『金融政策の死ーー金利で見る世界と日本の経済』(野口悠紀雄、2014年、日経BP社)、他


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