2017年、秋。夜空にはオリオンの星が流れ、親友がプロポーズの成功に幸せの涙を流しているとき、俺はひとり背骨から髄液を垂れ流していた。

*2017年10月22日に書かれた記事のリライトです。

いたって健康な身体で、元気に暮らさせてもらっていると自分では思っていたのだが、どうやらぼくは他人にくらべてわずかばかり、病院にやっかいになることが多い人生らしい。

「脳脊髄液漏出症(脳脊髄液減少症)」という病気を発症し、先週の月曜から寝たきりの日々を過ごしている。今週の月曜には入院しており、その翌日にはEpidural blood patchという治療(脊髄を保護する硬膜の外に自分の血液を注入するというもの)を受け、現在は少しずつ回復し、頭痛も減って歩行できるようになってきている。

思い返せば、大学1年生の靭帯断裂再建手術の入院から始まり、バイク事故での入院、今回の入院、その他、腕や背骨の骨折などなど。ただの不注意なのかそういう人生なのか、現代医学と医療に携わる方々にはたいへんお世話になっている。ご心配、ご迷惑をおかけしている皆々様には、毎度、ご迷惑と心配をおかけして申し訳ない。

今年の6月から生まれ育った街である福岡へ帰郷し、あいも変わらず山奥での生活を選び、福岡と大分の県境にある「IBIZA smoke restaurant(イビサスモークレストラン)」での仕事がようやく軌道にのってきたというところでの発症だった。

…なにやら深刻な書きかたをしているが、少し時間はかかるものの完治予定だし、仕事にもなるべく早く復帰する予定だ。つまり、俺、元気。
バイク事故の裁判も終わり(相手方の高齢者が飲酒運転で突っ込んできた)慰謝料も支払われたところで、術後も、実家での療養だから生活の心配もない。家族に心から感謝だ。

まぁ何が言いたいのかというと、先週からの寝たきり生活で時間がぽっかりと空いて、積読していた本もあらかた読み漁ったところで、思考を整理しがてら久しぶりに記事でも更新しようかという次第だ。
と、とりあえず1日かけていろいろと書き出したが、どうやら宛名のない手紙になりそうでなかなか筆が進まない。その時がきたら投稿しよう。いや、単純にぼくの文章力が不足しているだけか。

いっこだけ。
「いのちのこえがきこえるか?」って、ことばがふと降りてきた。

無機物も有機物も今も昔も未来も地球もぜーーーんぶ含めた、いのち。そのこえがきこえるか?って、病室でポテチくいながら星野道夫の本を読んでるときに聞こえてきた。厚手の紙に味のする粉を振りかけたみたいな食いモンだなって思いながら胃に流し込んでいたからか、残念ながらポテチからはいのちのこえは聞こえなかったけど。
ぼくは、いのちのこえがきこえるような料理をつくりたいと思った。人生という旅の中で、ひとつでも多くのいのちのこえを感じ取り、いのちのこえがきこえるような料理をつくりたい。と。

どうです。そんな料理、食べてみたくないですか?

i hope our life is worth living.

またひとつさきへ