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DINKSについて語る

FUTALIVE~ふたりぶ~ | 2人で楽しく生きていく!!

共感する記事がありすぎて絞れなかったので、もうTOPページを紹介しちゃうんだから。
DINKS(子なし共働き)という選択をしたご夫婦のサイト。


私も妊活をしないという選択をして約3か月。
まだ夫婦でもないし一緒に住んでもいないけど、初めて知った『DINKS』という名前を何度グーグル先生に聞いたかわからない。

【子供がいない夫婦】の中には
子供が欲しくない人だけじゃなくて
子供が欲しいけどできない人も、持ちたいけど持たないことを選択した人もいて、その選択をした理由にも様々な種類があると思う。

それをひとつの言葉で一括りにしてしまうのも、なんだか腑に落ちない気もしなくもないんだが

それでも 特定の名称を付けることによって、そのことについて悩んだり困ったり落ち込んだりしている人が、現代におけるインターネットの世界で 同じ状況に置かれた人や、同じ気持ちで過ごす人と巡り会えるんであればアリなのかな と思ったりしている。


添付のサイトで著者も記しておられる通り
反対ワードの方が圧倒的に多く出てくるし

実際今の日本では、それが 普通 とされない風潮がまだ強いからこそ 特定の名称がついてしまうんだとも思う。

世間に批判される理由でもある、子持ちと比べて『楽』『自由』『苦労をしていない』『責任がない』という意見は、重々承知である。承知だからこそ引け目があったりするし、批判されて仕方ないともどこかで思ってはいる。

でも幸せの形は人それぞれだし、自分のために自分が幸せになることを選択した結果の何が悪い。(ドヤ)

今現在子供がいる人たちだって、中には望まない妊娠だってあるだろうし、誰からも協力の得られない地獄のような子育てだってあると思う。
我が子可愛い!家族大事!そんな気持ちや言葉だけでは片付けらない苦労だって山程抱えてるはず。


それでも、やっぱり
心も身体も貯金もすり減らしてどんなに努力したって子供ができない人からしたら、妊娠出産して子育てしている人が羨ましいだろうし

いろんなことを犠牲にして子供のために毎日頑張っているお母さんからしたら、自分自身にお金も時間も存分かけられる子無しの女性を羨ましく思うのだって仕方ない。


要するに ないものねだり であって
自分にできないことをしている人に対する羨望は致し方ないにしろ、攻撃するのはまた話が違う。

妊娠出産だけに関わらず、どんなに楽しそうに笑って暮らしている人だって隠れた苦労や悩みは必ずあるはずで

逆に言えば、怒りまくって当たり散らかしている人だって、その裏には何か事情や苦悩があるんだろう、と 大人になった今 よく思う。



DINKSになる選択をした今
恋人タミオ君とこの先二人で仲良く楽しく暮らしていけるであろうという前向きな予想や希望はたくさん持ち合わせている。

それと同じぐらい、子孫を残してあげられない罪悪感や、社会的・世間的に【親】という立場に昇格できないことによる劣等感のようなものが きっと永遠に付きまとうんだろうな。


結婚するのが当たり前
結婚すれば子供ができるのが当たり前
子供を欲しいと思うのが当たり前
子供を育てることこそが人生の幸せ

なんて一般論は、もう聞き飽きたぜ。

もちろん、子供ができること、無事に生まれること、育てること、一緒に成長することの喜びは、それ以外の何にも代えられないとは思う。

それは幸せなこと、嬉しいこと、楽しいことばかりじゃないことも頭ではわかっている。だからこそ世の中のお父さんお母さんは心底称えたいし、育ててくれた親に感謝もしている。


うまく言葉では表現できないけど
感謝しなきゃいけない んだよね、もう暗黙のルールとして。

妊娠も出産も素晴らしいことに変わりはない。
命がけで子供を守る親だって素晴らしい。

でもそれを経験しない人・経験できない人が、素晴らしくないのかって話。
苦労すること、大変な思いをすること、自分を犠牲にすることが、美学のようになっていないかしら。

子育て以外で大変な思いをしている人だって、世の中にはたくさんいるはずなのに、結婚・出産・子育てをしていないというだけで、何故こんなに世間から可哀想な目で見られたり、人として未熟だと判断されてしまうことが多いのか。

結婚も出産も、単なるステータスだと思えないのは
少なからず自分も、結婚や出産に憧れがあるのかもしれないな。そうだとしたら、その事実からはできるだけ目を逸らしているけれど。



かつて母はよく、私に
『親にならないと親の気持ちなんて分からない』
と言った。

まだ私が将来を見据える相手もいなくて、子供の有無なんて眼中にもなくて、過保護で過干渉な母と離れたいのに実家を出ることは許されず 毎日のように言い合いしていた数年前の話。

私に子供ができないことを知ってから
母はその言葉を使わなくなったけれど

実際に子育ての喜びも苦労や大変さも味わっていない状態で「親の気持ちや子供への愛情なんて分からない」と言われてしまえばそれまで。そうかもしれないし、そうだとしても仕方ないよ。だって経験してないから。

想像が現実にどこまで近づけるかなんて分からない。
もし限りなく近づけたとしても、結局【経験者】でない以上、証明する手段もない。


子供を持たない選択をすることで
子供がいる友人と少しずつ疎遠になってしまったり
家族間でも同様に、疎外感を感じることだってある。

それが唯一日常生活での寂しさでもあったりする。


自分以外の命を守る責任感 という重大なものが、DINKSに芽生えないのは当然だ。勿論、子供の有無で仕事に対する責任感に差が出てしまう と捉えられてしまうのも ある意味仕方ないとは思う。

しかしながら、子供がいなくたって責任をもって働くことはできる。それなのに【子供を持たない】ことを自ら選択したというだけで、なぜこんなにも劣等感を抱かなければならないのか。


結婚するべき
子供を持つべき
子供のために親はいつ何時も自分を犠牲にするべき


という凝り固まったイメージは
もしかすると 日本人特有の先入観 というだけではなく、自分自身にも知らないうちに染みついているんではなかろうか。


私の場合は、子宮の複数疾患により
元々年齢的な理由だけでなく自然妊娠の可能性は大変低かったと思う。

それに加えて今は、妊活の要否を正式に決定し
治療のために完全に生理を止めている。
簡単に言うと【少ない可能性に賭ける】ことなく【妊活することを諦めた】結果、今に至る。


医学的に、0%と100%はあり得ないらしい。

たとえ1%でも可能性があれば頑張るのが正しい のか、可能性が99%に近くても「自分たちにとって最善の選択をすること」が正しいのか、言葉にすれば圧倒的に後者が正解だと思えるけれど

私は実際のところ1%に近かったと思う
でもその可能性に託さなかった自分を、どこかで責めている。

だからこそ、可能性が低いことに執着している部分があった。
【子供を持たない人】ではなく
【子供を望めない人】でいたい気持ち。

病気があるせいで、子供は欲しいけど授かれない。

そんな背景がある方が、この世は生きやすい。
その事を躊躇なく伝えられた方が、小さな親切大きなお世話を簡単に交わすことができるから。


いつだって、当人以外が正解を決めがちよね。

裏側にどんな理由や葛藤が潜んでいようと、本人達が納得して出した答えであろうと、世間一般の【普通】に当てはまらない場合に批判されがち。


子供が可愛いことだって
子育てが楽しいことだって
家族が増えるのが嬉しいことだって

想像にしか過ぎないけど、ちゃんと分かってる。



それでも迷って悩んで落ち込んで、たくさん二人で話し合って出した結果がDINKS だっただけの話。

これから先、その結論を後悔する日が来ないとは言い切れないけれど、幸せに暮らす努力はしたいと思う。

子供がいる人からもいない人からも
決して羨ましがられたいわけじゃない。

結果幸せに暮らせたとしたって
逐一それを見せびらかすつもりはないし、分かってもらえなくてもいい。


でも、いろんな状況でいろんなケースで、悩んだり困ったり落ち込んだりしている人には、たとえ自分の環境と違えども極力寄り添いたいとは思う。

しかしながら寄り添うという行為は、どちらかというと寄り添う側が勝手にすることではなくて
助けを求める側が何らかのアプローチをしてくれたり、あからさまなオーラを発してくれて初めて成り立つものなので

そういう機会があった時に、「自分とは違うからわからない」ではなく「貴方の状況や気持ちをできるだけ理解したい」という心持ちで受け止めたい。


そして、自分たちで決めた答えを後悔しないと言い切れる日がいつか来ることを妄想しつつ
目の前の幸せを大切にする日々を過ごそうと改めて思った、39歳の夏。


同じ気持ちで、自分の気持ちや決断を肯定する努力をしながら生きているDINKSの皆様に 是非読んでほしい FUTALIVE
少なくとも私は、なんだかモヤモヤしていた気持ちが全て言語化されていて、読んでいるだけでも心が救われた。

DINKS(選択子なし)が語る、子なしの人生に後悔する6つの瞬間 (futalive.com)


どんな形が一番の幸せかなんて
最終的には自分たちが決めればいいよね。


おしまい。


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