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思い出を勝手にデリートする日本人(私だけ?)

ちょっと前にオンラインでスペイン語のレッスンをした時、軽く衝撃を受けまして。

その時の先生は確かウルグアイの男性の方だったと思うんですけど、その先生とは初めてのレッスンだったので、自己紹介をしたんですね。

それで、20歳になった年に、1ヶ月スペインに短期の語学留学をして〜、っていう話をしました。

まあ、当時はスペイン語全く出来ないところからいきなり行ったので、1ヶ月クラスに通ってもまあ、たかが知れてるんですけどね。

それで、「その時は何をしたんだ?」ということを聞かれるわけですけど、「何を話せば良いのか…」みたいになっちゃって。

正直、1ヶ月いたと言っても、初の海外で言葉も全然分からなくて、おまけにもともと内向的でインドアなもので、観光地もあんまり行かず、ステイ先の近所のスーパーに行ったり、本屋に寄ってみたり、それくらいだったんですね。

ステイ先のお母さんは良くしてくれましたが、何せ当時は本当に外国語が出来ないし、恥ずかしくてなかなか喋れないという典型的日本人だったもので、そんなにエピソードらしいエピソードもなく。

観光地も何ヶ所かは行ったけど、だいぶ前のことであんまり覚えてないし…とか、そんな感じでした。

それで「サグラダファミリアは見たけど、それ以外は特に…学校に行って、帰ってきて、スーパーに行って、毎日そんな感じだった」って言ったんですね。

そしたら、「そんな訳ない!」ってすごい顔で言われて。

スペインに行って、そこでどんな人と出会って、どんな話をして、天気はどうで、毎日の食事はどうで、どこの道が素晴らしかったとか、語ることはたくさんあるでしょ、って言われました。

その先生は、何十年も前に少しの間アメリカにいたらしく、僕ならこれだけ言えるよ!と言って、語り出しました。

「あの街で会った友達はこんな服を着てて、こんなことを話して、そこの街のレストランはどうでこうで、友達のお母さんがどうで、天気は本当にいつも最高で気持ちよくて、町中でこんな音楽がかかってて、ビールが美味しくて…」

こんな感じで、もう延々に喋るんですね。
なんというか、「カラフルな思い出」って感じ。

それを聞いてたら、確かにそれだけ細かく思い出せば、1ヶ月だけで、対した思い出も作れなかったと思い込んでいたスペイン滞在の日々も、語れる思い出はあったな、と思いました。

けっこう何にでもそうだと思うんですけど、日本人って割と、「特に何もない」って言いがち、思いがちなところ、ありませんか?

これは、外国語のレッスンをすると毎回思うんです。

だいたい最初の会話って「今週どうだった?」とか「最近どう?」とかから始まる訳ですけど、「特にスペシャルなことはない」って言いがちなんですよね。

でも、先生たちが喋るのを聞くと、まあ出てくる出てくる。

誰とどんな会話をしたとか、どこのスーパーで見たことないスナックを買ってみたとか、お母さんからこんなメッセージが来たとか、寒くなったから服を買わなきゃと思っていろいろチェックしてるとか、たくさん出てくるんですね。

それで毎回思うんですけど、自動的に「これは大した情報ではない」って判断して、表面化すらしない記憶がめちゃくちゃあるなー、と思います。

誰かと話す時、私はあんまり自分のことを話す方ではありません。

そういう性格もあるかもしれませんが、「これはわざわざ話すことでもない」って、思いっきりカットしまくって、結果、「スペインに行ったけど、特に思い出らしい思い出はない」みたいな、モノクロで悲しい思い出になるんですね。

これ、無意識に「ささいな思い出は大したことないからしまっとくよ」って、脳が処理してるんだと思うんですけど、なんか寂しいなと思って。

事情聴取レベルで聞かれたら思い出すと思うんですけど、「旅行の思い出は?」とか聞かれて、その楽しかった思い出とか、そこで何を見てどう感じたかを引っ張り出すのに、すごく時間がかかるんです。

それって、旅行中ですらそうやって脳が「ささいな刺激は感情がブレないようにさっさと引き出しにしまいます」ってやってるような気がするんですよね。

本当はもっと感動してたくさん心が動いたかもしれないのに、脳が仕事をしまくって、無感動なままでその時間が終わってたような気がします。

最近はずいぶん心にゆとりが出てきたので、前に比べたらちゃんと心が動くようになったと思うんですけど、今思うと本当にもったいないし、残念だったし、心が乾いてたんだろうな…と思うんですよね。

よく言われる事ですけど、本当に「その瞬間を精一杯感じる」って、大事なことですよね。

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