【映画】夢みる小学校

ひとりで観に行くつもりだったけど、たまたまその前の週に会ったもと同僚と話していたら、同じ日に行くつもりだったことが分かり😳結局3人で観に行った。まさか同業者と観にいくことになるとは思わなかった。観たい人いないだろうと思い込んでいた。

実在する学校のドキュメンタリーで、メインに扱われている学校では、毎日、総合の時間がほとんど。たぶん合科扱いで他の教科として申告してる? でもその校内では総合として扱っていた。木工や料理、農業など。楽しそう。そこにいる職員は、先生じゃなくて「おとな」と呼ばれる。多数決ではおとな1人も1票なので、子どもの票が多ければその意見で進んでいく。教えるというより、ファシリテート&コーディネートってかんじ。子どもたちから出てきたものを活かして、流れを考え、意図的に落とし込みたい部分はおとなが押さえていく。

最低限の読み書き計算も、そのプロジェクトを達成するために必要だからということで進むらしい。全てがそうではないかもしれないけど。圧倒的に、それぞれの活動に重きを置いている様子。

いわゆる発達障害も、個性の一つでしかなくなる。(映画でみたかんじでは、そこまで重い子はいないようだったけど。。。)今のふつうの公立校は人もお金もないから手厚くないというか、システム的にも限界あるし、完全に教員個人の努力によってできることしかできていないと思う。

もっと色々柔軟に、学びの場があるといいな。メインストリームが古くて硬すぎ。同じ地域の同じ学年の子どもたちを、同じ箱に入れ、限られた大人たちでみている。お金も人も足りていないから、目的を果たしていくために、ある程度管理的にならざるを得ない部分がある。

(そういう環境にあっても、個性をできるだけそのままに、かつ、みんな普通に安心していられる場所にしたくて死守している部分は、時折教室に入ってくれる人たちには伝わっていたことが分かった。100-0で考えると悲しくなっちゃってたけど、一番貫きたかった部分はちゃんと大切にできていた、わたし捨てていなかった、と後で分かって救われた。幼いかもしれないけど私にとってはすごく大事だった。)


観た後、3人で感想シェア。
Aさん
「今は便利になりすぎ。自分はああして何もかも手作りしていく家で育った。昔は自然とああいう場面が多くあったんじゃないか?それを意図的に作ってるんだなあ。人間の営み、原点回帰」

Bさん
「観る前は、ギャップに打ちのめされて泣こう、って思ってた(笑)。今の職場ではできないことも多いけど、案外取り入れられること、できることもあるなーって感じた。具体的には…(そこからいくつもアイディア飛び出す)」


「お金どのくらいかかってるのかな。人脈?地域の理解?物品がかなり潤沢に揃っている。結局、現状、お金のある家の子向けな気もする。
子どもの人格、人権を尊重した接し方を、個々人の努力だけじゃなくて、組織として徹底するの大事だなー。安心感が違うよね。
いろんな教育の場ができるのは大切ね。今の教育に疑問を持っていて、実際にこんなに大々的に行動している人たちがいるっていうのは希望もてる」

学校の外にいた時は、学校は理解がないのがデフォルト、くらいに思っていた。今も、そういう人を結構見かけるけど、今は、みんなけっこう好き勝手言うなあと思っている。はじめの何年かは辛くて辛くて、学校の中に入ってみて良かったと思っている。組織はどうあれ、ひとりひとりと話すと、本当にステキな人たちもいるから。外でしかできないこともあるし、中でしかできないこともある。その境界はなぜか、自分の中で日に日にぼんやりしてきている。教育そのものは好きだと言い切れるようになったのも、やっと最近のことです。昔に比べたら、できるようになったことや、たくさんある。いまは環境的に少ししか叶えようのない部分を、もっと割合増やして、何かもっとできそうな気がする。だって、動いている人たち、案外いっぱいいるから。そのうごめきを、めいいっぱい感じ取れた映画でした。

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