食べられない、食べたくない

僕は自分で作った料理を食べるのが苦手だ。

自分が食べるなら、割り切って食べられる。
だが、他人のために作って自分も一緒に食べるということが出来ない。
自分でも言語化が難しく、共感を得にくくて申し訳ないのだが。
以前、ネットでそのことを検索したら、どうやら僕だけではないようだった。

「作る」ことは好き。
小学校とは別に通っていた施設で料理の時間があったことも関係している(と思われる)が、高校時代にV6の坂本さんと長野さんがそれぞれ出演している番組を見たり、レシピ本を買ったりした。
それから少ししてバンドマンにも料理好きの方が多いことに気付き、作れるようになりたいと料理に対するあこがれを持つようになった。
ただ、母親が料理好きなので、あまり作らせてもらえない。
将来的に母親がいなくなったら作れる人がいなくなるし教えてほしいとせがんでも頑固なので聴いてもらえなかった。

一方で、「食べる」ことには幼い頃からそれほど関心はなく、どちらかと言えば偏食に近い。

最近なんて、2日連続で晩飯に納豆ご飯(+刻みねぎ大量かけ)食べてた。
特に何にも思わなかったが、しばらく続いてたら多分飽きてる。

「食べたい」と思えるのは、(思い付く物で)麺類(蕎麦以外)、オムレツ、ご飯類、汁物(インスタント類含む)、果物(グレープフルーツ以外)、菓子・デザート類、貝類、冷食、揚げ物、納豆等。
肉類は「肉は肉だ」と何肉だか分からないで食べている(が、家で出される肉の大半は食べられる)。
魚類(ひじき、焼魚等)、生野菜、煮豆等は食べられるが食べたくはない。
我が家のカレーは何故か具が大きく、正直好みではないので、ルーだけもらい、うどんやパン、白飯と一緒に食している。
小さめに切られている給食の方が好きだった。

なんだ、まあまあ食べられるじゃんと思っただろう。
栄養価のある魚類や生野菜を好まない時点でかなり致命的だ。

母親は「私の作った料理が食べられないというのか」と料理に対し、絶大なる自信を持っていて、出されたら完食しなければならないという暗黙の了解があるので、正直もうストレスでしかない。
幼い頃、入退院を繰り返すほどの病弱で、弱っていて2日連続絶食していた時があったが、関係しているのだろうか。

余談。
恐怖症ではないが、祖父の一周忌の時の会食で、メインディッシュとして終盤に運ばれてきたしゃぶしゃぶとデザートしか食べることが出来なかった(それまでの料理は全部姉か両親にあげた)のを思い出した。

そういえば、施設通いしていた頃、作った物を食べた記憶がない(全く食べなかった訳でもない)。
調理実習は、それなりに参加していたし、食べてもいた。
高校の時、青椒肉絲を作ったが、熱しすぎたのか、ピーマンの表面の薄皮が気持ち悪くて食べなかったこと(薄皮が出てなければ食べた)しか覚えていない。

いつから他人のために作った料理に対して嫌悪感・抵抗感を感じるようになったかは覚えていないが、自覚したのは去年か一昨年くらいに母親と一緒に晩飯のスープを作った時だったと思う。
出来上がった時、胸の中に湧き出たのは完成に対する歓喜ではなく、ざわざわとした違和感だった。
そのスープは昔から好きで、母親もそれを知ってて作らせてくれたのに、結局食べなかったと思う。
もしかしたら、施設通いの時も調理実習も必要に迫られて(食べなきゃいけないという雰囲気に押されて)いたのかもしれない。

昨年のバレンタインデーにフォンダンショコラを6つ作ったが、結局自分で食べず、自分の分を父親にあげた(その後、ひとくちだけだが無理やり食べさせられた)。
少し前に母親がピザ生地を買ってきたので、ピザを作ったが、同じように父親にあげた。

別に毒物を入れた訳でも(入手ルートすら知らない)食べられないほどの失敗をした訳でもない。
それでも味見ですら嫌悪感を覚えてしまうのは、あくまでも「他人のため」に作ったのであって、「自分も一緒に食べる」ためではないからだろうか。

自分で作ることがあまりないからかもしれないが、作る頻度が増えたら少しは変わるだろうか。
「他人のために作った物を食べられない」という今の状況から少しでも改善されるのだろうか。
ストレスになって作ることすら嫌いになってしまうのだけは避けたい。

僕にとって「食べる」ことなんて「ただの作業」、「無駄な時間」に過ぎない。
平日朝に弁当詰めている暇あったら寝ていたい。
「栄養バランスを考えろ」と人は簡単そうに言うけど、何食べても自由じゃないかとも思う。そもそも「栄養バランス」とかどの食べ物にどの栄養素が含まれているかなんて炭水化物くらいしか分からない。
しかし、病気して生活に支障が出たら元も子もないことを分かっているから、悲しくてもどかしい。
食べることに興味持てないなら、いっそのこと、一生食べなくても一生生きてられるような身体が欲しい、そういう身体に生まれたかった。