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詩を朗読するということ

 昨日、10月14日は私が所属している、公益法人日本詩人クラブの例会だった。私はこの団体に参加して、まだ2年強であるが、割と早々と、受付業務を任されたり、仕事をいただくようになっていた。
 そして、今回の10月の例会で、会員代表の一人として、朗読の依頼を4ヶ月ぐらい前から受けていた。
 私は快く承諾はしたが、大勢のオーディエンスの前での朗読なんぞ、2005年の24〜25歳の頃以降だったから、少し緊張はしていた。私は元々は、詩を書きながら歌も唄っていたくて、2003年〜2005年まで市川の本八幡のボーカル教室に通いながらレッスンを受けていたが、教えてくれていた講師の女性の先生が、少しダークな感じで、精神病(統合失調症や鬱、躁鬱病など)の方を揶揄するような話を始めたり、実際そのようなメンタル持ちの生徒さんがいて、その子にばかり注目するようになったり、挙げ句、私が、亀戸の新星堂が主催していたボーカリストのコンクールに出すデモMDを録音していたら、その先生の手違いで、音源が全部消されてしまい、コンクールに出れなくなり、私は仕事の疲れと、歌い込みの疲れのせいで酷い肩こりと不眠症になり、歌手の夢は諦めた。代わりに、詩を本格的に書こうと改心し、当時の詩誌『詩学』が主催していた詩を書くワークショップ「青の日」に通うようになり、そして、そこで出会った詩人仲間たちからの勧めで、『JAZZ喫茶映画館』で行われているオープンマイク「コトバコ」にも参加するようになり、他にも、「溶鉱炉」、「BookWarm」、「美学校」、そして「ベンズカフェ」、「荻窪ブンガ」などの朗読スペース・オープンマイクに次々参加し、楽しい日々を送っていた思い出がある。
 以降は、「書く」ことに専念するようになり、詩誌『詩と思想』をベースに書いてきた。
 私は、生まれつきなのか何なのか分からないが、少し早口なところがある。だから、朗読をしていても、つまるところで語るテンポが早くなるという難点があったが、ボーカル教室時代を思い出して、ゆっくり、言葉の一つ一つを丁寧に彩るように、生命を与えるように読むように心がけながら、家でも何回も何回も練習をした。練習を重ねていると、まるで私の心身が詩の言葉と一体化し、身体中から力が湧いてくるような強さを感じた。

 そして、当日の昨日も、皆より一足早く会場前にきて、外で一人、リハをしていたりした。
 そして、迎えた本番は、ほぼほぼ上手く行った。
点数にしたら、95点ぐらいだろうか。理事で、私の師匠である詩人の佐相憲一先生からも、「朗読、堂々としていて、言葉の一つ一つもはっきりしていて良かったよ。間の取り方も良かった。ありがとう。」とお褒めのお言葉を頂いた。その他にも、会長とか、偉い方々からお礼のお言葉を頂いた。嬉しかった。

 歌を唄うこともそうであるが、言葉に生命を吹き込むように、という意識は大事だと思う。まるで女優や俳優や演じる方々のように、その世界に入り込むことも、大切だし、寧ろ自然のことのように思う。私は演技の勉強はしたことがないが、これからは朗読にも力を入れていきたいと思う。

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