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おかえり、パスタさん

顔の真ん中に感覚が集合し、喉がギュっと締め付けられ、目から涙があふれ出た。

「情熱大陸」を観ていた。動物彫刻家のはしもとみおさんが、昨年天寿を全うした有名な秋田犬「わさお」の彫刻制作を依頼され、その過程を特集した回だった。(5月2日放送)

大きな木材の塊から、チェーンソーやノミを使ってダイナミックに、かつ繊細に彫り進めていく様子は、魂を吹き込む作業そのものだった。完成したそれは、記憶という新たな命そのものだった。

依頼者である飼い主さんが原寸大の彫刻のわさおと「再会」するシーンで、かけられていた白い布が取り払われると同時に、わたしはおそらく飼い主さんより先に泣いていた。

中学の保護者面談で「いつもつまらなさそうにしている」と担任に言われ、親に心配されたことがある能面ヅラのわたしが、面識のない犬の彫刻で泣いてしまった。

わたしのアイコンは、愛犬のパスタさんである。毛足が短い茶色のミニチュアダックスフントで、母が思いつきで命名した。

生後2か月くらいでブリーダーさんから分けて頂いたので、我が家に来たときは両手のひらに乗るくらい小さくて丸かった。しかし、あれよあれよという間に顔も胴も長くなり、ダックスフントの自我を発揮し始めた。

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(若かりし頃はツヤツヤで馬のようだった)

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(ひじ掛け、ひじがないからあご掛け)

かなりの寒がりで、冬はこたつで丸くなる猫派の犬だった。鼻先からしっぽの先までは、全長85㎝あった。わたしの半分より長い。おまけにちょっと太り気味で、ぽよんぽよんのお腹を短い足が必死で支えていた。

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(オレはこたつで長くなる)

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(まりっ、としている)


2016年、コスモスが咲く頃
パスタさんは旅立った。


晩年は父にべったりだったのだが、父がその年の春先に長期入院し家を空けたため、毎日悲しそうに探し回っていた。そして、父の回復と反比例するようにパスタさんは弱っていき、完全回復して退院した父の布団の中で眠るように旅立った。

最期まで暖かいところが大好きだった。せめてもう1回、こたつで冬を越えてから出発すればよかったのに。

ペットロス、というのを身をもって体験した。そのうち溶ける氷の刃のような推しロスとは少し違って、5年経つ今も、たまに疼くように痛む。ずっと生活の一部にいたのだから当たり前だ。ペット、犬、ではなく、彼は家族の構成単位である「パスタさん」なのだ。

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2017年の年末、「苔犬作り」という陶芸ワークショップを見つけた。毎年、年末になると開催されているようで、翌年の干支を模した苔の入れ物を作るワークショップ。作ったものはたからの庭にある窯で焼いて、年内に届けてくれるという。2018年は戌年。立体工作は不得手だが、食指が動いた。

北鎌倉たからの庭、というシェアアトリエは、北鎌倉の谷戸にある築80年以上の古民家。陶芸ワークショップや日本画、料理、整体、自然体験など、日常からゆるやかに続く非日常体験ができる素敵な場所だ。

凍えるような寒さの中、古民家にぱちぱちと弾ける薪ストーブ。この日は複数の陶芸ワークショップが開かれていたので、「あ、犬の方はこちらです~」と誘導され、つられて「あ、わたし犬です」と答える。人です。

粘土の塊をこねて成型する。苔を入れる部分のサイズはある程度指定があるし、あまり細い部分があると焼きや配送の過程で折れてしまうかもしれないので、ミニチュアダックスの特徴である胴長短足は再現しづらい。となると、あとは薄く垂れた耳と長い顔。歳を取るにつれてくりくりになった目。

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(加齢につれ顔が白くなり、ダッフィーみたいだった)

持参した写真を観ながら、ああでもないこうでもないとこねくり回す。顔、思ったより長い、耳、思ったより大きい、マズル、思ったより凹凸がある。長いこと一緒に暮らしていたのに、知らなかった特徴。模写や模造をすると、目に映るものと、物理的事実は往々にして異なることに改めて気づかされる。

まあまあリアルに作り込みすぎたようで、講師の方や他のお客さんは一瞬ぎょっとしたのち、「愛があふれてますね!」と声をかけてくださった。

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(顔長すぎませんか、とパスタさんの声が聞こえるようだ)

一ヶ月経たないうちに、こんがり焼けたパスタさんが背中に苔を背負ってやってきた。おかえり、パスタさん。

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(足も短すぎませんか、とパスタさん)

苔は水やりのタイミングが難しく、わりとすぐに枯らしてしまったのだが、今パスタさんはアイビーを背中に背負っている。たまに花を飾ったりもする。時間が経つとともに、超ミニチュアパスタさんも段々風合いのある色感じに変わってきて、あら、老けたねえ…と思った。

失った悲しみを、新たなペットを迎えることで和らげようとすることもできた。それもまた、悲しみを大切な思い出に変えて、前に進もうとする素敵な選択だと思う。

でも、わたしはそれができない。ひとつのものに執着しがちな性格もあると思う。悲しみの果てに、パスタさんの長い顔が浮かんでは消えていた。だから、粘土の塊に命を吹き込んで、できる限り似せたパスタさんを自分で作ったのだろう。

はしもとみおさんに「木彫りのわさお」を依頼した飼い主さんも、同じ気持ちなのかな、と思った。そんな一連の感情が、わたしの能面に涙を伝わせたのかもしれない。

通勤時、バス停でぼんやりバスを待っていたら、毛足の長いミニチュアダックスフントが散歩していた。徐々に近づいていくる。パスタさんと違ってスリムだな、とじーっと目で追っていたら、ダックスは急に軌道を変え近づいてきて、わたしのズボンの裾に鼻をちょん、と当てた。飼い主さんは小さく「すみません」と謝り、リードをグッと引っ張って去っていった。

わたしのどこかに、まだパスタさんが残っているのかな、となんだかうれしかった。

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