まるでほぼ栗みたいな
化粧や写真は、いかに「盛れるか」がポイントになっている。
対して、食べ物や技術はどれだけ「真に迫れるか」が重要になってきているのだろうか。
暑い季節、コンビニやスーパーで「まるで〇〇なアイス」をよく見かけたが、季節がうつろえば、今度は焼菓子が目につく。
コンビニのエンド棚の最下段だったが、これだけ赤ければ目につく。
「まるで」「風味」「みたいな」「画像はイメージです」とぼかし連発だが、ほぼ同業者としては「そう書かないといろいろあるもんね、わかるわかる」という感想である。
これだけ甘栗の主張が強ければ、勘違いもしかねない。「まるで」と「風味」の文字の大きさについては、社内で相当な検証が入っただろうなと察する。
雷紋(のようなもの)でふちどられた赤いパッケージといい、イラストの栗といい、某甘栗にうりふたつである。
袋の素材も、プラではなく和紙のような紙製という忠実さ。
雷紋は、直線をつないで渦巻のような幾何学模様を繰り返した文様だ。
その名のとおり雷がモチーフで、魔除けや豊作、吉祥の象徴とされているとか。中国では古代から青銅器や漆器で用いられているし、古代ギリシアの建築にもみられる。
身近な例では、ラーメン鉢の内側でよくみる。よくみかけるのに、描こうと思うと迷路のようになってしまって、意外とむずかしい。
そのむずかしさは、新潟の「潟」と同じくらいのレベルだと思う。
甘栗味、と断言しないのは、甘栗そのものを使っているわけではないからだ。風味はあくまで香りや味わいを意味する。要は味覚模写だ。
見た目は、どちらかというとぺちゃんこにした焼きいも感がある。
個包装をあけて漂う香りは、甘栗といえば甘栗なのだが、焼きいもと言われても納得の、冬の甘い匂い。
味も、甘栗といえばまさに甘栗なのだが、焼きいもと言われても納得の、冬の甘い味。
そもそも焼き芋と甘栗って味似てるな、と思い同志を募ってみたら(=ネット検索)、サツマイモと栗は栄養成分が似ているようだ。
香り成分も、どちらもメチオナールが含まれており、各々の香ばしい部分を担当している。
それよりも、栗がブナ目ブナ科クリ属でワントーンコーデをキメてきているのに対し、サツマイモがナス目ヒルガオ科サツマイモ属なのは、なんだか統一感がない。
その統一感のなさは、Tシャツにダウンベストを着ているひとの季節感と同じレベルだと思う。
ところで、菓子のみならず、練り物でも「ほぼ」シリーズが存在する。
真に迫る食品が増えてきているのは、普段は簡単に食べられない高級食材を手軽に食べられたり、じょじょに収穫量が減っている食材の代替原料になったりと、シビアな世相を反映している面もあるのかもしれない。
宗教的教義やアレルギー、体調管理で食べられない食材の風味を味わえることもあるから、食の楽しみも広がる。
そういえばモノマネも、誇張しすぎたそれよりは、いかに本人に迫れるかに重きが置かれてきているように感じる。
もはや声帯模写レベルで、松浦航大さんやJPさんはほぼ本人ではないかと思うときがある。
こちらは、ご本人が何らかの事情で表に出られないときに、影武者として代打できる…という世知辛い世相の反映なのか。
否、それは本物にも末永く頑張ってもらいたい。
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