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明日の米よりも問題今日の嫁

※短編小説です。
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   米 騒 動

 朝8:00。
 俺は、いつものように右手に鞄、左手にゴミ袋を提げて家を出ようとした……ところで、ヨメが吠えた。
「あーっ、ちょっと待って!」
 スリッパを派手にばたつかせて走ってくる。築40年余の社宅に小規模地震が発生。震源はヨメ。
「何」
「米。米買ってきて。Mデパートで。あるでしょ、会社の近く」
「はぁ? 米?」
 米ならお前がいつものスーパーで買えよ。何で老舗Mデパートなんか米を買うんだよ。ばかばかしいほど高いだろ。俺の給料、考えろよ。と、心の中でだけで反論する。
「お米がさ、もうないのよ。どこにも売ってないの。この辺のスーパー総当たりしたんだけど。パンだってないんだから。でも、もしかしたら、天下のMデパートならありそうって思って。この際、安いの高いのいってらんないの。全然、どこにもないんだから。とりあえず、重いだろうから5キロ、5キロね」
 ヨメは一気に捲し立てた。5キロって、めちゃ重いだろう。2キロだな、2キロ。5キロは置いてなかったってことにして。高いしさ。
「了解」
 思いっきり渋々感を醸し出しつつ、承諾する。
「あっ、でね」
 ヨメは俺の低調オーラを一向に気にすることなく、相変わらずハイスピード&ハイトーンの舌技を繰り出してくる。
「あんた、お米はお昼に食いだめしてきてね。社食は大丈夫だっていうじゃないの、ご飯。どこで仕入れてんのかねー。分けて欲しいもんだワ」
 次に続くセリフの展開が怖い。まさか、社食のご飯をタッパーに詰めて持って来いとか言うんじゃねーよな。
「お米、この先、どうなるかわかんないでしょ。ますます手に入らなくなるかもしれないし。昔みたいに配給制になったりして。だから、あんたは会社で食いだめしてきて、家ではパンか、蕎麦とかうどんとか、粉モンね。それだって品薄なのよねー」
 何だよ、それ。お前だけ米を食う気か。しかも高級米。俺は社食の安米で。
「私だって、朝はパンだし。お昼はできるだけ麺類とかで済ますし」
 できるだけな。抜け道だらけだな。ってか、それって、いつもと変わらないんじゃないか。結婚して2年目にもなると、貴様の詭弁パターンなんて見切っているってんだよ。バカタレが。と、またしても心の中だけで反撃する。リアルに反撃しても返り討ちに遭うだけだと、これまた学習済みである。

 昼休み。
 社食の安米定食をヨメに言われたとおり、ご飯大盛りで食った後――ヤツは本当に家では俺に米を食わさん。経験が俺にそれを告げている――これまたヨメに言われたとおり、米をゲットすべく、Mデパートの地下に潜る。
 米売り場なんて行ったことがないから、随分と店内を徘徊した。
 ところが、だ。ようやく見つけたそこには……な・ん・と。ブツがない。米がない? マジかい。
「えーっ、ないよ。ない」
 綺麗さっぱり潔い空棚の前に立ちすくむ俺の背後から、悲痛な叫びが聞こえた。振り返ると、女リーマン風の二人連れがムンクの叫びポーズで固まっていた。
「最後の望みが絶たれた……。ガキ2匹もいるのに、どうすんのよ」
「どっかに在庫、隠してんじゃないの。出し渋りよ、出し渋り」
 口泡飛ばして吠える二人連れ。俺もそんな気分だ。日本を代表する老舗Mデパートにも日本人の主食たる米がないなんて、ああ、一体、日本はどうなっていくんだ。
 いや、待てよ。ならば、なぜ社食に飯がある。仕入れルートの問題か。ヨメじゃねぇけど、どこから仕入れてんだ。確か社食に入ってる業者って、北陸の魚の天秤売り行商から始めてのし上がってきた伝説の創業者が興したって、誰か言ってたっけ。北陸か。北陸ルートで仕入れているのか。つうことはだな、北陸に買い出しに行けば……って、アホか俺。交通費いくらかかるんだっつうの。ああ、でも、手ぶらで帰ったらヨメの鉄槌がっ。絶対、俺が買い忘れた言い訳をしてると思われる。
 いやいや、それよりも本当に米が売ってないとわかったら、社食のメシをタッパーに詰めて持って帰れと、マジで言い出しかねん。そんなセコい真似したら、俺の会社での立場はどうなる。お前だって社宅中で何言われるかわからんぞ。いやいやいや、逆に社宅中にこのふざけたやり口を推奨して歩きそうだな。ヤツなら。
 「ほんとにないのぉ。何でないの」
 意識が全方向、ヨメ対策に向いていた俺の左耳に、どこかで聞き覚えのある声が入ってきた。声のする方を見ると、店員に食ってかかるように問い詰めているおっさんの、実に見覚えのある淋しいバーコードヘッドの後頭部が見えた。げっ。部長じゃないか。
 思わず、すーっと柱の陰に身を隠しながらも、耳をダンボにして部長と店員の遣り取りを聞いてしまうのは、リーマンのさがか。
「どっかに隠してるんじゃないのぉ」
「そのようなことはございません。仕入れようにも仕入れ先にもないんです。私どもも、困っております」
「俺も困ってるんだよ。頼まれたんだよ」
「ほかの皆様も困っていらっしゃいます。当店でも、何とかしようと、現在、仕入担当が奔走しております。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんが、もうしばらくお待ち頂けませんでしょうか」
 懇切丁寧、低姿勢。さすが老舗Mデパート。
 お? 部長、携帯取り出した。何するつもりだ。
「……あ。お母さん。俺。今、Mデパートだけどさ、ないんだって、米」
 うっ。口調が下手したてだ。声のキーも半トーンほど高い。もはや猫なで声。あの「岩石オヤジ」と影で揶揄されている部長がだぜ。なんか気持ち悪りぃ。そんなに怖いのか、部長ヨメ。
「いや、ほんとだってば。ちょ、ちょっと待って」
 携帯を店員に差し出す部長。
「悪いんだけどさ、米がないってことを説明してくれないかなぁ」
 片手で店員を拝む部長。ああ、情けない。でも、身につまされる。切ない。ヨメという生き物相手には、肩書きも、人生経験も、仕事ができるできないも、何も関係ないんだな。
 おっ。一句浮かんだ。
『嫁のもと部長も平も皆平等』
 また一句、キタ。
八百万やおろずの嫁に供える米もなし』
 サラリーマン川柳イケるかな。イケそうだな。おお、もう一句。俺、絶好調?
『明日の米よりも問題今日の嫁』
 そうだった、やべぇ。絶好調なんて調子こいてる場合じゃない。マジ、どうしよう。俺、ピーンチ!

〈了〉
 
 


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