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DJイベントで思ったこと

3月15日、夫が久しぶりにDJをするというので仕事のあとでクタクタでしたが、武蔵小山のバー「武蔵小山商店」に出かけました。

カウンターの真ん中あたりが空いていたのでそこに座って…。ここは音環境が素晴らしく良い、音楽に包み込まれるような至福のシート。
寒かったのでお湯割りをちびちびしつつ、亀や犬と話しつつ…

ビクター犬・ニッパー君と光る親子亀

次から次へと流れてくる魅惑の音楽に耳を傾けていたのですが、時折店主のYさんが
「うわー、これ(この曲)いいな。買おうかな」
とつぶやいたり、近くのお客様が
「かっこいいな~。調べてみよう」
とアプリで検索していたり、皆さん音楽を心から楽しんでいて、もちろんそれ以外のお話をしている方もあちこちにいらっしゃるのですが、それはそれとして和やかに溶け合っていて、心地よくリラックスした居心地のいい空気。

夫がDJブースから戻って私の隣に座ったら、近くのお客様が
「いや~、最高ミュージックでした! ありがとう!!」
と言って下さり、夫も
「ね~、ほんといい曲でしょ~」
と喜んでいて。
彼が連日連夜、徹夜で選曲していたのを知っているので、楽しんでもらえて良かったね、報われて良かったね、と私までふんわりと嬉しくなりました(念のため書き添えますが、誰かに「DJをやれ、やらないと…わかってるな?!」と脅されたわけはなく、ギャラが出るわけでもなく、ただ単に好きだから、自分がやりたいから徹夜しています。そういう人なんです…)。

すごく楽しかったのですが、私は翌日も仕事だし、体力も無いし、日付が変わる頃には帰ることにしました。
そして家まで歩きながら、いろいろなことを思い出したり、考えたりしました。

…おかしな話ですが、私が子供の頃、家で
「〇〇ってすごくいい曲だね~」
というのは、実は結構難しかったのです。
口に出し辛いことでした。
モーツァルトとかベートーヴェンを褒めるのはOKだけど、生きている人の歌や曲を褒めると面倒なことになりました。
苦学して大学を卒業した父のポリシーが
「呑気に他人を褒める暇があったら、追いつけ、追い越せ」(口癖)
だったので、例えば、何気なく
「〇〇ちゃんが中森明菜の歌をピアノで弾いてたよ。きれいな曲だったよ」
と言ったりすると
「それのどこに感動したのだ? 曲か詞か? じゃあ作曲家は誰なんだ。
なんだ、名前も分からないのか?」

と詰問され、今みたいにすぐ検索して出てくるわけではないのでしぶしぶ調べているうちに感動も雲散霧消し、ただなんだか嫌な気持ちだけが残る…。
そんなことが日常茶飯事。

音楽そのものはかなり好きだったので器楽部に入りましたが、
「コンサートマスターを目指して頑張れ」
「指揮できるくらいに全体を把握しろ」

と大した才能も無い娘に無茶な要求をするので、なんだか楽しくなくってしまう…。

音楽に限らず、
「〇〇ちゃんってすごく足が速いんだよ~」
などと言おうものなら、
「どうしたらその人に追いつけるのか考えたのか? 明日じゃ遅い、今考えなさい」
と真顔で諭される…一時が万事、そういう教育方針だったのです。

私は当時からものすごく運動神経が鈍くて、昔クラスに一人はいましたよね? 一生懸命走っているのに歩いているのかと思うほどゆっくりしか進まない人…それが私でした。
だからもう素直に、心から
「〇〇ちゃんすごい…」
と思っていたのですが、それを口に出すことは許されない。
「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も」(これも父の口癖)
と言い聞かされていて、今は私も50歳だから
「そんなわけないでしょ(実際徒競走は不動のビリだったよ)」
と思いますが、昭和50年代は日本の未来も子供の未来も無限で、努力で全てが解決されると本気で思っていて、勝つことが何より大事だった…。
まあ私のうちがちょっと、かなり、偏向していたというのもあるとは思いますが…。

そんな経験があるせいか、私は
「うわ~、これいいね。かっこいいね」
「この曲すごいな~」

と心から言える人達って凄くいいな、と思うのです。
他人を、他人のお仕事をリスペクトできるって、本当に素敵。
彼らにとっては
「え、ただ思ったこと言ってるだけなんですけど…(^▽^;)」
なんでしょうけど…。

ちなみに私は大学生の時に学芸員の勉強をさせてもらい、資格を取りましたが、その時も父は
「資格をとるのは構わないが、そもそもこの仕事は誰かが描いた絵を保管したり並べたりするだけで、つまるところは他人の褌で相撲をとっているだけではないか」
と大変失礼なことを言い出して、さすがにこれについては猛反論したものの、
「お前はもっと価値のある仕事ができるはずだ」
と不機嫌そうにつぶやかれたのが忘れられません…。
父にとってはcuratorもDJも、自分では何も生み出さない人、という括りなのかも(悲)。
今でも学芸の勉強をさせてもらったことには感謝しかありませんが、父が美術館などで
「この絵はいいな~」
と言っていたのはあまり記憶にありません。
母が
「そういえば唯一(父が)共感していたのはムンクだったかも…」
と言っていて、共感できるものがあって良かったと思う反面それはそれで心がザワザワするのですが(^▽^;)、とにかく何を観ても聴いても(自分の専門とは全く関係無い異業種でも)張り合わなくてはいられない、というのは大変疲れる思考スタイルだったと思います。

今は認知症が進んで、自宅でテレビを見ていることが多い父。
医師からも「認知症でこんなに穏やかな人は珍しいなあ」と言われるほどニコニコと機嫌よく、毎日楽しそう。
「テレビ面白い?」と聞くと「面白い」と言い、
「ご飯美味しい?」と聞くと「美味しい」と言い、
「(膝が悪いから)出かけられなくて、つまらなくない?」と聞くと「Mちゃん(母)がいるから平気」と言い、実際どこにもいかなくても文句はない。
母は
「もともとはこういう呑気な人だったのかもね…」
と言い、私も「あんなに勝ち負けに拘っていたけれど、この人も高度経済成長期に無理をし続けていた一人だったのかも…」と思ったりします。

父は今の私くらいの年齢の時、心のバランスを大きく崩して寝込んだことがありました。あの時、長年自分を駆り立てていた、張りつめていた糸が切れたのかもしれません。当時はなんとか修復して、一見以前と変わらないような様子で復職していましたが…。
長年、自分でも気が付かないうちに無理に無理を重ねていたのかも…。
そう考えると子供時代の私もしんどかったけれど、父はほぼ一生、認知症になるまで自分を許さず、他人と張り合い、頑張り続けてしんどかったろうなあ…とも思います。

だからこういうイベントがあると、父も無邪気に
「すごいね~、いい曲だね~」
「今夜は楽しいね~」

と言えていたら、そういう機会があったら、楽だったかも…と…。
つらつらとそんなことを考えているうちに、自宅に着きました。

朝の4時すぎ、私がグーグー寝ていたら、夫がご機嫌で帰宅。
もう一人のDJ、池谷修一さんも大量のレコードを抱えてタクシーで帰られたとのこと。
池谷さん、「武蔵小山商店」のYさん、何より来て下さったお客様、本当にお疲れさま、そしてどうもありがとうございました!!

今度はこの2人にまた少し違う選曲をするDJさんを加えてDJが4人のイベントをするそうで、それも楽しみです。
その時はまたお知らせさせて頂きます(^_-)-☆
いろいろなことを思った、DJイベントでした♪

これは夫が子供の頃の絵(義父が作った木箱に描きました)。
良い音楽を聴いて感動して泣いている自分、だそうです。
「いいこえ(声)だ」って言ってる。
子供の時からこういう人だったんですね(笑)。


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