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私の知る、悪い男と悪女の共通点(恋愛の意味ではありません)

この世には、悪い人間がいるもんだ。
私も人生半分以上も生きていると、こいつはしょうもない奴だなと思う人に出会ったことが幾度かある。
中でも、記憶にこびりついて離れないほどの、強烈な悪い男と悪女がいた。
タイトルでも言ったが、決して、恋愛の意味の悪い男と悪女という意味ではない。
どちらかというと、人間としての悪い男と悪女の意味だ。

私の知る、悪い男と悪女には、共通点があった。

それは、飴と鞭を使い分けて、相手を混乱させ、支配欲を満喫する点だ。
すなわち、承認欲求を満たすことに精を出している人間という印象が強かった。
とにかく、口を開けば、自慢話に精を出す。
しかし、知り合った当初は、ひたすら相手におべっかを使ってくる。
そう、飴をひたすら与えてくるのである。

この飴、所詮、おべっかなのだから、心身が健康な時には、そんな飴に引っ掛かったりはしない。
だが、人間、弱ってる時には藁をも掴むというように、おべっかという名の飴をも掴むのだ。
私は、心身が壊れている時があった。
自分の何もかもに自信を失っていた。
そんな時に出会った、ある、フリーの専門職(自称、その道の第一人者)の人がいた。

その人は言った。
私が書くことを好きなことを知っていて、

「ある著名な同業の人と、社会的な内容で対談予定なので、もし良かったら、キュー子さんにインタビュー記事としてまとめてもらって、本として出版しようと思ってるんです。」

ぷっは~、今、書いてて思うのは、今の私なら、こんな言葉には引っ掛からない。
こんな言葉を飴と思う思考は持ち合わせていない。
しかし、この頃の私は、心身の衰弱の激しい時期だった。
そう、飴を掴んじまったのだ。(爆笑)

結局、私は、でっち上げのインタビュー記事依頼の話を餌(飴)に、小間使いのようにこき使われた。
なんだかおかしいと思いながらも、妙な責任感から、一度着手したエセ社会的活動に手を貸し続けてしまったのだ。
私の心身の回復と同時に、私は自らこの詐欺師のような悪人とは手を切ったが。

人は、弱ってる時には、悪人すら聖人に見えてしまう時があるのだ。
困ったもんだね~、私は数年を無駄にしてしまった。
しかし、あの時の苦い経験があるから、私は、今は自分を信じられるのだ。
なぜなら、私は、自ら、詐欺師のような、聖人ヅラした悪人と手を切ることができたのだから。

自信とは、成功体験だけではなくて、失敗からどう這い上がることができたかも大きく影響してくるのだということを、身をもって経験したことで学んだのだった。




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