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「うつぬけ」?知らんがな

私がうつになったのは大学2年生の春。19歳になる前のことである。
急に朝起きられなくなった。
起きられなくなったとはどういうことかというと、スマホのアラームを止めてすぐ意識を失うのである。午前6時半に連続でかけたはずのアラームすべてを手で消すのにそこで記憶が途絶える。意識を保てるようになり時刻を見ると午後12時45分を過ぎている。そんな毎日が突然始まった。
加えて情緒の不安定さや過呼吸・過食に悩まされ、私は休学し、通学できなくなった私は実家に戻ることにした。というか実家に連行された。強制退場というやつである。緊張の糸がとれたからか、はたまた休学のうしろめたさか、人生設計が狂ってしまったからか。それまで規律正しく、家庭科の教科書に載っている人生設計表のような人生を目指していた(今になるとその考えは馬鹿らしいが…)私の身体は、ぶちんと音を立てたかのように急速に壊れて部屋に引きこもらざる負えなくなった。

あれから6年の月日が経った。結論から言うと私は世にいう「うつ抜け」はできていない。症状は回復したものの今も服薬・通院し、たまに体調を崩しては仕事を変えるフリーターをしている。最初こそ、うつ病を治したいと躍起になっていたが、今は勝手についてくる“相棒”くらいのつもりでいる。凹んでいたら甘やし、たまに手入れしてやるとにこにこするような気分屋の相棒である。
うつ病の再発率は高いと言われている。しかもその確率は再発する毎に高まるらしい。私は世の中で「うつ抜け」という言葉が流行ることに疑問を感じる。「人間誰しもが病気持ち」だ。アトピーやヘルニア、花粉症・弱視…挙げたらきりがないが、軽度か重度の違いはあれど、みなそれぞれ病気を持ちながら生活するために病院に通ったり工夫をし、それが世の中に受け入れられているように感じる。うつ病も同じように、ともに生きることが世の中に容認され、うつ病とともに生きることを何よりも自身が許し、受け入れることができる世界になったら、きっと「うつ抜け」よりも生きやすい世の中になると思うのである。
まあただ、「うつ抜け」という言葉がうつ病を脱した者が勝ち組とでも言うようないけすかなさをただ感じているだけかもしれないが。
ほんの数年後に、「ああ、うつね。了解。体調悪い時休める体制にしとくから、言ってね。その代わり、私が生理痛の時はよろしく。」なんて上司に言われる日が来ることを願っている。

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