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ASDと自己肯定感。


小学校2年生の夏に
ASD診断された息子は


小学校入学と共に
環境の変化、そして
『切り替えが苦手』な特性が故に

時間割で
次から次に切り替えが
必要な学校生活に

過度なストレスがかかっていたようだ。

必死で周りに順応しようと
合わせて疲弊して

家に帰ってからは
学校でのストレスを
全て発散😅

ま、逆よりはいいですが、
家族にとってはそれはもう
大変でした😅


ASDとわかってからは

とにかく

息子の気持ちに寄り添うこと。

これを意識して接してきた。



きっとASDとわかってなければ

彼にしかわからない不安。

彼にしか見えていない世界。

彼にしか感じない恐怖。

それが誰からも理解されない孤独感に

どんどん自信がなくなり

『どうせ誰もわかってくれない…』

と塞ぎ込んでいったかもしれない…。



実際、私の弟(軽度知的障害)は、

大人になるまでもよく

体調を崩し

大人になってからは

よく部屋に引き篭もるようになっていった。


家にいてもご飯以外は

部屋から出てこなくなった

一つの要因は

父。


団塊の世代で

『努力』『忍耐』『根性』で

ど貧乏家庭で育った父。


何かやらかしたならば

家の豚小屋の柱に縛られ

小さい頃から畑仕事をさせられていた父。


『働かざる者食うべからず』精神で

中卒で大手企業のトップまで

自力で這い上がった人。


だからこそ

学校中退

仕事続かない

実家で引き篭もる


そんな弟の存在が

父にはどうしても認められず

父から出る言葉は

弟への否定しかなかった。



そして、大人になって軽度知的障害と

わかるまでは

母にその矛先が向かっていた。


『お前が甘やかすから

〇〇がこんなふうになるんだ❗️💢』

と責められ、

洗面台で泣いている母を

よく見ていた。


そんな父も

数年前、完璧ドアスペだなって

気づいたけど😅(診断はおりてないけど、典型的なアスペルガー の症状に当てはまり過ぎている)



話戻って、

息子がASDとわかってからは

とにかく見守る

寄り添うことを

意識したこと。

そして、

成功体験を積むといいと

学んだので、

小さなことから

初体験をさせていった。


小学校3年、4年の2年間は

通級に通い

彼の情緒はどんどん安定していった。


まず、

前の記事でも書いたが

小学校入学と共に

朝起きてからの用意が何もできなかった
彼が

夜のアファメーションで
1年でかなり変化していた。

朝起きての用意もできるようになっていた。

2年生でASDとわかってからは

夫婦で学び理解しようとする姿勢で

彼と向き合っていたのと

彼の苦手な『切り替え』が早くできるように

なるというアファメーションも追加😁


(当時やってたアファメーション
『明日も元気に学校でお友達と仲良く遊べました。切り替え上手になりました。』
これがASDの子みんなに良いかはわかりましぇん)


すると、癇癪を起こしてから

切り替えるまでの時間も

少しずつ短くなっていき

自傷行為も減り、

その都度、

言った通りになってるね❤️と

確認していった。



そんな日々が続いていた

小4のある日、

家族で車で出掛けていた時のこと。

私がふいに
『自分のこと好きな人手をあげてー🖐️』

と、言ったら

息子が低めに手を挙げながらこう言った。


『かんちゃんね、前は自分のことあんまり好きじゃなかったけど、
最近自分のこと好きになってきた』


と言ったのよ😭😭😭


いやぁ、泣きそうだったな🥹

その時のどこの道を走っていたかも

鮮明に覚えてる。

それくらい嬉しかった🥹🥹🥹



そだよね、そだよね…


学校でも『宇宙人』と言われて

家でも親に理解されなかった時の彼は

自分で自分の存在を

認めてあげることは難しかっただろう…



でも

息子の取扱い説明書がわかり

ASDのことがわかる先生に教えて頂き

本から知識を学び

寄り添っていった結果、

彼の心に大きな変化が起きていたのが

わかった😌



結局これってさ

発達障害だろうが、そうでなかろうが

人ってやっぱり

認められたい生き物だし

それが自分の大切な人だったら

嬉しいものよね。



今回は
こんな感じ☺️


それでは
また👋👋👋


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