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【連載小説】 九十九物語 「プロローグ」

 すっかり年の瀬です。
 皆さまごきげんよう。
 さて、今回も、ある文芸コンテストをパトロールしていたときに、心を掴まれた連載小説をご紹介いたします。

「君の大切な思い出の一日。その記憶を僕にちょうだい。それが、報酬……」

 物語の滑り出しは、いつの時代であろうか? それは、遠いむかし……。そんなことを思った、刹那、私はすうっと読書の旅に出ていた。
 入れ込んだホストに裏切られ、勤め先の社長が逮捕。ちょっぴり? いえいえ結構不運なOL、佐々木百花。
 そんなお先真っ暗の彼女が、警察にしょっ引かれる社長をぼんやり見送っていると……

 ——リン
 鈴の音がした……

 なお、紹介させていただくにあたって、作者の許可を得ています。

 作 フドワーリ野土香氏



 竜脳と麝香じゃこうの香りがした。ひとたび嗅げば身体中が痺れ、心臓が飛び跳ねる。僕が愛した人――清葉の香りだ。

 背後から鈴の音がして振り返る。そこには、数えたくもないほど長い年月、ずっと逢いたくてたまらなかった清葉の姿があった。僕は清葉の美しさと儚さに思わず息を呑む。

 清葉の黒い髪が乱れ、赤い長襦袢が揺れていた。風に靡くと、水中で泳ぐ赤い金魚のようにひらひらと舞う。

 清葉は泣いていた。大粒の涙が、頬を伝い珠のように落ちていく。


「おさらばえ」


 泣きながら眉を顰め苦しそうに笑う清葉が、一筋の光もない暗闇へと吸い込まれる。


 ――清葉、清葉。


 手を伸ばしたいのに、腕がない。叫びたいのに、声もない。

 清葉の身体は闇の中へと溶けて消え失せ、僕はぽつんと取り残された。


 ――清葉がいない世界なんて、地獄だ。



   *   *   *



 目を開けると、自分が誰なのか一瞬わからなかった。数秒ほどぼんやりと天井を見上げて、ようやく夢を見ていたのだと気がつく。相変わらず、清葉がいない地獄には違いなかった。


 遠い昔の夢だった。遥か遠い昔の話。


 もう一度、瞼を閉じる。でもすぐに目を開けた。清葉にはいつだって逢いたい。でも、泣いている清葉を見るのは辛かった。

 仕方なく身体を起こす。黒い羽織を肩にかけ、深く息を吸い込む。冷たい空気が身体に流れ込んできた。あれから何度目の冬だろう。本当に、もう数えたくもない。

 素足で床を踏むと、軋む音が僕の後をつけてくる。窓ガラスを開けると、庭の椿にうっすらと雪が積もっていた。辺りはしんと静まり返り、人の気配もない。

 鏡の前に座り、自分自身を睨んでから煙管に火をつけた。


 僕には名などない。名もなければ身体もない。僕は一本の簪だった。今から遠い昔、吉原の遊郭にいた遊女清葉が大切に使っていた簪だった。小さな鈴が付いていて、リンと清らかな音がした。

 清葉が死んだあの日、僕はこの世に生まれた。清葉に簪を贈った男――甚之助の姿で。鏡を見る度、何度この顔を壊したいと思ったことか。この姿形は清葉が死んで恐ろしい年月が過ぎても、朽ちることなく生き続けている。

 なぜ僕はここにいるのか。何のために生まれたのか。その答えは、いつまで待ってもわからない。


「呪いだな」


 僕は鏡の中の男に向かって、ニヒルに笑いながら言った。

 ただのモノであった僕が、命ある者に恋をした呪いだ。


「あの……すみません」


 消え入るようなか細い声だったが、僕には聞こえた。さて、仕事だ。

 さっと立ち上がり、階段を下りて玄関の戸を開けた。にっこりと笑みを浮かべ客人を招き入れる。白いマフラーを首に巻いた女性が、白い息を吐きながら立っていた。


「おやまあ、こんなに冷たくなっちゃって」


 僕はさっと女の両手を自分の手で包み、微笑んだ。彼女は驚いて僕の手を振り解くと「す、すみません」と謝る。


「あ、あの……どんな悩みも解決してくれると聞いたんですが……」


 目を伏せて、小さな声で訊ねてきた。

 彼女の様子からして、何やら人には言えないような悩み事がありそうだ。そんな匂いが漂っている。よだれが出そうなくらい、堪らない匂いだ。


「ここは物語り屋。君だけの物語を、気の済むまで僕に語っていいよ。僕は君の物語を否定しないし肯定もしない。気が済んだらそれでハッピー。でももし、気が済まなかったら。他の方法もあるよ?」

「他の……方法……?」

「ただし、それなりの報酬を支払ってもらうけどね」

「あの……私お金は、あんまり持ってないんですけど」


 恥ずかしそうにもじもじしながら、頬を赤らめて言う。僕は彼女を笑い飛ばした。


「お金なんて、何の役にも立たないよ」


 僕がそう言うと、彼女は目を真ん丸にして食いついてきた。


「報酬ってお金じゃないんですか?」

「君の大切な思い出の一日。その記憶を僕にちょうだい。それが、報酬」


 彼女はもっと目を大きく見開いたまま固まった。


「ここは男も女も、語れるなら犬や猫でも、誰でも話したいことを話したいだけ語っていい場所。さあ、早く聞かせて? 僕、もう我慢できないよ」

(プロローグ終わり)


 第一話は、こちらからどうぞ。



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