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【ザ・辞世】 第3回「国の為… 栗林忠道」

国の為 重き務(つとめ)を 果(はた)し得で
    矢弾(やだま)尽き果て 散るぞ悲しき
                  栗林忠道

作家・梯久美子が『散るぞ悲しき』を書いた2つの理由 (nippon.com 2019.06.05)

 ——冗談ではない……。

 この一言に尽きる。

 今回は、本当ならば、あの俳人を取り上げる予定であった。
 さらにいうと、そもそもこの辞世を取り上げるつもりもなかった。
 だが、そうもいかなくなった。
 何気なく、辞世を探していると文末の記事に行きついたのだ。
 思わず、怒りで目を剥いた。

 念のため断っておくと、作家の梯久美子氏とその記事のライターは、本記事と全く関係がない。

 主犯は、当時の大本営である。
「大本営発表」というやつである。

 ——冗談ではない……。

 栗林忠道陸軍中将(戦死後、任大将)

 先の大戦で、硫黄島の戦いを指揮した日本軍の司令官である。
 本当ならば、戦争ものとは距離を置きたかった。
 なぜなら、下手に触れると、
 お前は、
 右だ!
 左だ!
 ぴーだ!
 ぱーだ!
 と、思想警察のお歴々が、大挙して押し寄せてくるからだ。
 近所迷惑になるので騒ぎは御免被りたい。

 ——冗談ではない……。

 硫黄島。
「硫黄島からの手紙」という、司令官の栗林を俳優の渡辺謙氏が演じた映画が記憶に新しい。
 ちなみに、硫黄島は、「いおうとう」と読む。
 返還前からアメリカ人はこの島を「イオウジマ」と呼んでおり、返還後もしばらくはそれが続いた。
 ただ、近年になって、元島民等の要望で、戦前の呼称である「いおうとう」と正式に定められた。

 硫黄島の戦いは、激戦であった。
 先の大戦で、唯一、米軍の損耗が日本軍のそれを上回った戦いであった。
 米軍は、島の形を変えるほど、連日、艦砲射撃を繰り返し、準備万端整ったところで、ビーチに上陸する手筈であった。
 まったくの無防備、というと言い過ぎであるが、米軍は、五日もあれば片がつく、そうタカを括っていた。
 対して、守る日本軍は、島全体に数十キロに及ぶ地下トンネルを張り巡らし、米軍を迎え撃った。
 地下に潜る日本軍からすると、艦砲射撃などは、遠くに落ちる雷鳴ぐらいに聞こえていたのかも知れない。
 もっとも、このトンネルは、この島が火山島ゆえに、一部には五十度を超える暑さであったと伝わっている。また、閉所の心理的な圧迫も相当なものであったであろう。
 そこが、過酷な戦場であったことに変わりはない。
 ともあれ、日本軍守備隊は、トンネルに潜み虎視眈々と敵を待ち構えていた。
 上陸する、米軍。
 一斉に火を吹く、日本軍の機銃。
 四散する米兵の、
 首、
 腕、
 脚、
 内臓、
 放物線を描く、鮮血……。
 真っ赤に染まる、真夏のビーチ……。
 両軍にとって地獄の七十日が始まった……。

 ——冗談ではない……。

 追い詰められた日本軍守備隊に、最期の時が迫っていた。
 その最後の攻撃を前にして、守備隊は東京の大本営に「訣別電報」を打っている。
 要は、これから玉砕する旨の連絡である。だから、この電報以降は連絡取れませんよ、全滅してますから、ということである。
 その中に、この辞世もあったのだ。

 その「国の為……」を受け取った大本営は、暴挙に出る。
 なんと、辞世を改ざんしたのだ。

 言い分はこうである。
 結句の「散るぞ悲しき(かなしき)」は、いかにも女々しい。
 武人らしくない、というのである。
 そして、大本営の官僚たちは、こう書き換えた。

「散るぞ口惜し(くちおし)」

 アホか! 冗談ではない!

 ——まったく、お役人は……。

 辞世マニアとして到底受けいけることのできない、悪魔の所業である。
 彼らは、日記を訂正する気軽さで、何気なく改ざんに及んだのであろう。
 でなければ、真っ当な思考を持つ者であれば、人生における総決算、辞世の句を書き換えるなど思いもよらない筈だからである。

 ——まったく、お役人は……。

 大本営の官僚たちは、散々、いい加減な戦果を発表し、国民を欺いてきた。
 そんなものは可愛いものである。
 辞世は、詠み人がその人生を引っ提げて、その最期に残す、魂の旋律なのだ。
 戦果を誤魔化すこととは、次元がまったく異なる。

 ——まったく、お役人は……。

 辞世を改ざんしたところで、彼らはせいぜい公文書偽造に問われるだけであろう。
 なんという不条理。
 彼らはなぜ、いつかあの世で、この所業を閻魔大王に詰問されると思い至らなかったのか。
 まったく……。

 さて……。

 硫黄島には、現在も、一万人を超える日本兵たちの遺骨が眠る。
 ボランティアなどが彼らの遺骨を、ほそぼそと収集している。

 この作業がかなりの困難を伴うのだ。
 第一に、硫黄島が火山島であるという点にある。
 島内を掘り進めるとあちらこちらから有毒ガスが噴出するのだ。
 また、戦後に埋められたトンネルを掘り返して、発掘を行うそうだが、灼熱の暑さで長くは作業できないのだ。
 第二に、あの戦闘の傷痕である。
 多数の不発弾もまた、兵士とともに眠っているのだ。現在、自衛隊が硫黄島に常駐しているが、彼らでさえも立ち入ることのできない場所が複数あるのだ。

 *  *  *

 ——常夏の島、トビが舞う、硫黄島。
「は、箱庭、そっちはどう?」
「あかん、ガス出てもうて一旦、休憩や」
「箱ちゃん、もうウチだめ。暑い、死ぬ」
 トンネルから土を運び出す作業中、ガスだまりを引いてしまった。安全が確認されるまで、作業は一時中断となっていた。
 ボランティアたちは、所在なさげに南国の空を見上げていた。
「ねえ箱庭、遺骨収集って、国がちゃんとやればいいじゃん」と、不満げなハルカ。
「……まあな」
「でも、箱ちゃん。みんな国の命令で戦って死んだんだよね?」と、首を傾げるモナカ。
「せやな」
「だったら……」
「一応、国も細々とやっとるみたいやで」
 灼熱の南海の孤島……、ただただ日差しが痛かった。
「もしだよ。箱庭がここで戦って死んで、死体が何年もほったらかしにされたらどう?」
「……まあ、嫌やかな」
「……だよね」
 鱧ギャルと私は、空を舞うトビを目で追っていた。(鱧ギャルについては、前回を参照)

 *  *  *

 アメリカはどうか。
 アメリカには、戦地で亡くなった兵士の遺体、遺品などを収集する部署がある。
 国防総省の専門機関「戦争捕虜・戦中行方不明者捜索統合司令部」(DPAA)という。
 DNA鑑定など、科学技術も駆使して、徹底的な調査が行われている。
 彼らの合言葉は、
「全ての兵士を家族の元に帰す」
 である。
 硫黄島で、行方不明の米兵は95人だそうだ。
 一方、日本兵は、一万柱以上……。

精魂を 込め戦ひし 人未だ
    地下に眠りて 島は悲しき
              平成七年 硫黄島行幸啓

上皇陛下 御製


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