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例のあの虫に対する所感・適当な考察

 人間誰しも、生きていれば嫌いな人やものは出来てしまうだろう。上司が嫌い、騒音が嫌い、高所が嫌い、白米が嫌い――嫌いの種類は、地球上に存在している人間の数だけあるかもしれない。

 私にも物心ついた時からどうしても嫌いであり、苦手なヤツがいる。この時期を象徴する存在といってもいいあの虫、セミだ。
 祖母が言うには、まだ私が幼い頃、散歩中にセミを見上げていたらいきなり飛んできて追いかけられたことがあったそうだが、もしかしたらその時の驚きと恐怖が記憶の奥底にあるのかもしれない。とにかく、何故かセミにだけ異様に嫌悪感を抱いてしまう。(Gよりも嫌いだ)
 そのため、この時期は私にとって地獄である。ヤツらは街中いたるところに出没する。街路樹や電信柱、しまいにはベランダの壁に引っ付くことだってあるし、まれにスーパーなどの店内に入り込んでしまうこともある。
 そんなヤツらの攻撃や罠を避けるために、外に出たら常に周囲をクリアリングしなければいけない。あのやかましい鳴き声はどの方向からしているか、距離はどの程度離れているか、地面に落ちているあの黒っぽい塊はヤツの死骸なのか枯葉なのか……。
 結構神経を尖らせる作業となってしまうので、気力をごっそり持っていかれる。その上暑さも襲ってくるので、毎年必ずといっていいほど夏バテを起こしてしまう。そんなこともあって、夏自体もあまり好きではなくなってしまった。彼らをこんなに嫌うことがなかったら、もう少し違う人生を送っていたかもしれない。
 
 日本には複数の種類のセミが生息している。ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミ等々……その中で私が最も嫌いなのがアブラゼミだ。
 まず、羽が茶色い。他の種類のセミは透明な羽をもつものが多いが、アブラゼミは茶色の羽だ。茶色ベースの羽に葉脈のようなうねうねとした模様が広がっている様は、あまり美しくない。
 そして鳴き声もあまり美しくない。ミンミンゼミ、ツクツクボウシのような一定のリズムを持った鳴き声ならば多少は夏の風情も感じられるのだが、ヤツらはジーーーーーーと単調に鳴く。ヤツら同士の小競り合いなどで「ジジッ」と短く鳴き羽音が聞こえてくる時が一番ぞわっとする。誰か、この気持ちを分かってくれる人はいないだろうか。
 加えて、ヤツらは夜中でも割と元気よく鳴いている。何かもう、遠慮がない。雅さが足りない。
 悲しいことに、私が住んでいる地域ではアブラゼミが最も勢力を広げており、どこにいっても「ジーーーーーーー」が聞こえ、桜並木を通ろうものならばまさにヤツらの「蝉しぐれ」が降り注いでくる。
 そうしてしばらく夏を過ごしていると、次第に道路に茶色の死骸が転がり始める。それを踏まないよう、いちいちビビりながら道路を歩くはめになる。アブラゼミ、個体数が多すぎではないだろうか。

 ミンミンゼミの鳴き声も聞こえるのだが、その姿を実際に見ることは滅多にない。ツクツクボウシはこの辺りではほとんど鳴き声を聞くことはなくなってしまった。ただ、ツクツクボウシはアブラゼミやミンミンゼミに比べて一回りほど小さい。遭遇してもそこまで嫌悪することはないかもしれない。
 どうせ街中がセミで溢れかえるなら、唯一風情を感じるヒグラシにも鳴いて欲しいのだが、残念なことに近所でヒグラシの鳴き声が聞こえたことは一度もない。昔、千葉に出かけた時に鳴き声を聞いたことがあるのだが、一体どの辺りを境にして生息域が分かれているのだろう。この際、細かい生息分布を調べてみたい気持ちもある。
 戦々恐々としているのが、クマゼミの存在である。アブラゼミやミンミンゼミよりも大きく、シャアシャアとけたたましく鳴く。近所ではまだこの鳴き声を聞いたことはないが、以前、コミケに行った時に聞いてしまった。つまり、ビッグサイト付近ーー有明にはどうやら生息をしているらしい。基本的には南方の暖かい地域に生息しているみたいなのだが、年々北上しているとの噂も聞く。アブラゼミ、ミンミンゼミよりも大きなセミの形をしたものが、家からほど近い木に止まっていたり、飛び回っているのを想像すると思わず震えてしまう。実際に目にした日には気絶してしまうかもしれない。どうか湾岸付近で勢力を留めてくれと願わずにはいられない。

 ただ、悔しいことに彼らが綺麗に見える時がある。羽化したばかりの成虫だ。羽化した直後はまだあのゾッとする色合いではなく、全体的にパステルグリーンに近い色合いをしている。まさに成虫として誕生したばかりなのだな、と思うような見た目だ。
 小学生の頃、母方の祖父母の家に泊まった時に、祖母が羽化しているセミを見に行こうと言ってきた。私は最初、セミなんてわざわざ見たくないと拒否をしていたのだが、羽化したばかりのセミは動かないから大丈夫と説得され、渋々妹と一緒に祖母の後をついていった。
 近くの中学校へ到着すると、祖母は「ほら」と向こうを指さす。学校の周囲に植えられている常緑樹の枝の先端に、羽化をしているセミがいた。見渡すと、あちらこちらにソレがいる。暗闇でほのかに光っているように見えるパステルグリーンのセミたちは、音を一切立てず、ただひたすら羽化することに集中していた。
「羽が何かに当たっちゃうと綺麗に伸びないから、飛べなくなっちゃうんだよ」と祖母が教えてくれた。この先の生死に関わることだから、こんなにも静かに羽を伸ばしているのか、と思った。普段のセミからは想像も出来ない神秘的な光景だった。恐怖と感動がごちゃまぜになって、その日の夜はなかなか寝付けなかったことを覚えている。

 話は少し変わって、昔の人はセミをどう思っていたのだろうと気になったので、ざっとインターネットで調べてみたのだが、当たり前ではあるが満足する答えを得られなかった。
 ただ、有名な松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」のセミはニイニイゼミであるらしい。また、万葉集にはヒグラシが登場する和歌もあるようだ。
(参照:https://note.com/infinity0105/n/n49c44b170342 )
 確かにヒグラシの鳴き声は印象的であるし、先述したように風情もある。和歌に使われるのも納得出来る。
 ではアブラゼミはどうだったのだろう。暑さを助長するような単調な鳴き声と茶色の羽。関東住まいとしては夏を象徴するセミではあるが、個人的には全く趣を感じられない。
 江戸時代には書籍が沢山出版されていたので、虫図鑑のような本もあるのではないかと調べたところ、「千虫譜」という様々な虫を絵と共に紹介している図譜があるらしい。しかも、8月20日まで東京国立博物館で展示されているようだ。
 なお、東京国立博物館のホームページからダウンロード出来るパンフレットを見た限りではツクツクボウシしか確認できなかった。
(東京国立博物館HP:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2604 
 果たしてアブラゼミは描かれているのか。その真相を探るべく、近いうちに東京国立博物館に行ってみようと思う。これもセミの導きなのか……。

 これからも日本で生きている限り、夏場はセミと付き合っていかなければならないのだろう。奴らの存在を受け入れられる日は果たして来るのだろうか。今もまた、窓の近くでアブラゼミが泣いていてちょっと悲しくなっている。

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