剛術

1 「ブラジリアン柔術」(BJJ)には、その呼称に「柔術」という単語が入っているが、BJJの現実は「小よく大を制す」という状況からは程遠い。
 
 私がもし「どうしても競技柔術で勝ちたい」という人からアドバイスを求められたら、「最低限のディフェンスとエスケープを覚えたら、極限までフィジカルを上げて、あとはレスリングと足関節をマスターすべきだ」と答えるだろう。
 「柔術」の試合に勝つために「レスリング」と「足関節」をやるべきだと聞けば、「それはもはや柔術ではない」という反応を示す方もおられるだろうが、「(競技)柔術」のジャケットレスリング化は今後ますます伸長する事はあっても、後退する事は考えにくい。

 先日のグラップリングクラスで、子供の頃にレスリングをかじった事があるという100キロ近い高校生とスパーリングする機会があった。とりあえず自分から下になってオープンガードを取っていると、彼が猛然と突進して来て簡単にパスされ、あっという間にマウントを取られた。
 気持ちを入れ直してマウントでフレームディフェンスをしていると、さすがにグラップリングはまだ素人なので、そこからエスケープする事が出来たが、もし彼がマウントアタックを少しでも覚えていたら危なかったかもしれない。
 相手がド素人であっても、フィジカル(筋力・スピード・体重等)に差があれば、今の私の技量では勝つのは難しいと思っている。

2 BJJが「小よく大を制す」状況から遠ざかる一因となっているのがドーピング問題である。

 昨年の「ノーギワールド」で金メダリスト5人がドーピング検査で陽性になり、メダルを剥奪され、3年間の出場資格停止処分を受けたのは記憶に新しいが、この大会においてドーピング検査の対象となったのは、各階級の優勝者「だけ」である。つまり、2位以下の選手に対してはドーピング検査がなされていない。実施された階級の半数以上の優勝者がドーピング陽性でメダルを剥奪された事を考えると、大会前に全出場選手に対してテストをしていれば、大会自体が成り立たなかったのではないかと思えてしまう。

 PED(身体強化薬)は、筋量を増加させるためだけではなく、クレイグが語っているように疲労回復のためにも使われるらしい。練習すれば誰だって疲れる。それをPEDの力で早期にリカバリして、より多く、より強度の高い練習が可能になる(結果、より強くなる)という訳である。

 トップ競技者の半数以上がPEDを使用しているという格闘スポーツはBJJくらいしかないだろう。
 他の競技スポーツであれば、「PEDを使用する事は、一人だけ武器を持って競争するようなモノで、卑怯だ」というモラル面が問題にされるのだが、BJJの場合、「皆がPEDを使用している中で、自分だけPEDを使用しないのは不公平だ(もっと言うと、危険だ)」という競技の公平性の観点からの反論が平然となされている。
 PED問題に対する私の意見を言えば、「柔術・グラップリングのプロは超人的なパフォーマンスを魅せる対価としてファイトマネーを貰っているのだから、プロ同士がPEDを使用するのは構わない。ただ、アマチュアの大会に超人が出てくる事を正当化する理由はないし、何より怪我や事故の危険性を考えると、アマチュアではPEDの使用を絶対に許すべきではない」と考えている。
 プロ同士の試合であれば、PEDを使用する者とそうでない者との間の不公平性を解消すべきなのに対し、アマチュアの大会であれば、PEDを使用する事へのモラルを問うべきだからである。少なくとも、アマチュアの大会にPEDを使用する事を全面的に許してしまうと、試合に参加するハードルが上がり過ぎてBJJの普及向上という観点から見ても好ましくない。

3 もし、アマチュアの大会でPEDの使用を本気で禁止しようと思うならば、少なくとも全日本クラスの大会において、メダリスト全員に対してドーピンクテストを実施し、陽性反応が出た選手に対してはメダル剥奪ならびに出場資格停止の処分を下す、くらいの制裁はしなくてはならない。
 ところが、ある大会のルールブックを見ると、ドーピングに関して次のような定めがなされている。
 
「ドーピング管理

〇〇〇は、フェアプレーの概念をスポーツに不可欠な基本的 な価値として取り入れている。ドーピングを伴わないスポーツはスポーツ、自分自 身、そして他人に対する敬意、品位及び誠実さを証明するフェアプレーの重要な要素である。
〇〇〇は、ドーピング管理プロセスの手配や WADA の禁止リストの遵守を含む、 WADA のアンチ・ドーピング方針に準拠した〇〇〇アンチ・ドーピング方針を策定 している。
〇〇〇は、〇〇〇アンチ・ドーピング方針のドーピング管理手続きを実施し、陽性の 検査を受けたことが判明した競技者及び裁決プロセスを受けた競技者によって生じ る制限及びまたは制裁を実施することを目指している。 」

 要するに、〇〇〇ではアンチ・ドーピングを支持しているが、ドーピング検査を実施する事を目指すだけで、実際には行っていない(行う気配もない)。
 現実にドーピングテストが行われ、違反者に対する制裁が課されないのであれば、アンチ・ドーピングはただの努力規定に過ぎない。それを守るか否かはこの大会に参加する各選手が「フェアプレー」を遵守すべき道徳的価値と捉えているか、仮にそう認識していたとしても、試合で勝つことによって得られる各種の褒賞(承認欲求を満たすといった精神的側面のみならず、名を売る事でスポンサードを受ける等々金銭的な面もを含む)とのどちらに重きを置くかによって決まってくる。
 現実的に考えても、どう見てもPEDを使用している審判に対して、周りの審判が「□×先生、一応ルールではドーピングは禁止されているのだから、PEDの使用は止めて頂けませんか?」とは言いにくいだろう。特に□×先生が全日本クラスの猛者であれば猶更である。
 
 □×先生の弟子がある選手と試合した時の話である。弟子が相手の選手のギ(上衣)を掴んで思い切り下に引っ張ったら、その上衣が真っ二つに裂けてしまったらしい。上衣が真っ二つに裂けるというのは漫画のような出来事だが、□×先生は平然と「掴まれただけで破れるような薄いギを着ているのはルール違反だ」と言い放ったらしい。当然の事ながら、破れたギは試合前のユニフォームチェックを合格している。さて、このギを破った弟子の力は何処から生まれたのだろうか?

4 「ブラジリアン柔術」は、今現在「柔術」ではなく「剛術」になっている。試合が階級別になされるのは柔道を始め他の格闘スポーツも同様だが、そこでは当然のように「体重が重い(のは体格差の指標に過ぎないだろうが)方が有利だ」という現実認識が反映されているはずである。
 それに加えて、BJJで当たり前のようにPEDが使用されている状況に鑑みると、やはりPEDを利用してフィジカルを上げる事が試合に勝つ上で圧倒的に有利である、つまりBJJにおいてはスキル云々以前にやはりフィジカルがものを言うという現実を如実に表していると思う。

 柔術は「セルフディフェンス」のための格闘術としては限界がある、と以前の記事でも述べたが、同様に「小よく大を制す」ための武術としても限界があるという事を認識しておく必要がある。
 逆に言うと、PEDを使用している人は銃器を持っているのと同じだから、彼らに勝てなくても当たり前である。そうした柔術の限界を知り、「小よく大を制す」という幻想に過剰に期待しないで稽古を続けていれば、誰でも稽古量に比例して上達できるのもまた柔術の真実である。

 BJJを「剛術」として極めようというのは普通の人には無理がある。PEDの副作用には、脱毛・めまい等の軽い症状から、性格が攻撃的になり社会生活を営む事を困難にし、最終的には臓器が破壊され、心筋梗塞による死に至る。PEDを使用すればどのくらい強くなれるのか私の体験談が書ければそれはそれで面白いと思うのだが、私がPEDを使用すれば遠からず心筋梗塞を起こして死んでしまうだろう。私もまだ死ぬ前になすべき事があるので、PEDの体験記を書くのは他の人に委ねたいと思う。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?