軸を作る(二)


大東流における「型」の誕生秘話


 前回は、BJJの上達において「軸」となるテクニックを選択し、それを反復練習する必要性について述べた。
 私がそういう考えに至ったのは、古流柔術で「型稽古」を反復し、それが学習メソッドとして非常に有効だと実感していたからである。

 私が思うに、古流柔術は格闘術としては現代社会に対応出来ていない。
 だから、古流柔術を稽古したから喧嘩に強くなる、とか、MMAで勝てるという事はまずあり得ないだろう。
 だが、そうした格闘術としての側面を脇において、日常生活では使う事のない身体操作の修練法として古流柔術を捉えるならば、「型稽古」は(稽古を続ける限り)万人が身体操作の修練法に熟達出来るようになる、という意味で非常に優れた学習メソッドだと確信している。

 古流柔術は「型武道」であり「型稽古」がメインになる、とこれまでも何度か書いてきたが、実は私が稽古していた流派で「型」が生まれたのは、昭和も半ばを過ぎてからの頃だったらしい。
 元々私が稽古していた流派では実数で800以上の技が存在し、昔はそれを武田総角から直接指導を受けた門人達が記憶(と当会派では再現写真)を頼りに、「師が教えられた技はこうだったハズだ」と皆で「ああでもない、こうでもない」と日々鍛錬を続けていたらしい。
 その後、昭和も半ばになって武田総角の子息である時宗師が当会派を訪れた際に、800以上の技の中から100余りを選んで「型」にし、これに名前を付けたのだと聞いている。
 つまり、武田総角が活躍した戦前から戦後相当の期間が経過するまで、当流では「技に名前がなかった」そうである。
 技から型を選び、それに名前を付けるというだけでも(特に名前があるだけで、技と具体的な身体動作をリンクさせることが出来るから、記憶や思考の整理の点において、)相当画期的な出来事だったらしい。
 
 このように昔の古流柔術における技を取り巻く状況も、今日のBJJにおけるテクニックのカオス状況と似たようなモノだったと言えるだろう。
 だから、BJJの上達法として「軸を作れ」と言っても、「どのテクニックを軸として選ぶべきか?」という点において、指導者間で意見が一致しなくて当たり前だと思っている。

 トライフォースの早川先生は、基本技として150のテクニックを選び、それを会員の方々に教えられているそうである(注1)が、こうした発想がそれまでのBJJになかったのだとすれば、古流で「型」が誕生した時と同様に極めて革新的な事だったはずである。

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