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11月11日(土):書籍「ことば、身体、学び」から、「ことばと身体の結びつき」

昨日からは書籍「ことば、身体、学び」に関することを綴っています。

本書は五輪メダリストの為末大さんと認知・言語発達心理学を専門とする今井むつみさんとの共著で、副題の「『できるようになる』とはどういうことか」を中心に据えた対話形式です。

昨日は同書の内容や運動学習理論の「エコロジカル・アプローチ」のこともふまえながら「できるようになる」ことの核心が、異なる環境や条件に対応しながら同じ結果を出すことで、それを可能にする対応能力、調整能力を身に着けていく点に触れました。

では、その対応能力や調整能力とも絡んでくる「ことば」の部分を掘り下げていくのが本日の主たる内容です。

ポイントに挙げられていたのは今回の書籍のタイトルにもなっている「ことばと身体の結びつき」になります。

為末さんが「ことばは究極の編集行為」と表現されていましたが、ことばと身体には密接な関係があることへの理解が深まりました。

例えばコーチングによることばが身体操作としての的確な動きを引き出す点に触れており、これは自分が過去にスポーツをしていた時の小さな改善、習熟の経験を含めても首肯します。

一方で人は認識や認知には癖があり、同じものを見たり、同じアドバイスを受けても、受け取り方が人によって異なるので、誰かにとって有効であったことばが必ずしも他の人に同じように適用できるわけではなく、受け手の認識をふまえたことばを選ぶ必要性、難しさにも言及していました。

本書ではそこから派生して「ことばと身体」について「言語能力が高いとはどういうことか」「ことばが『できる』『できない』とは」「読書とメンタルモデルの関係」といった領域に話が及んでいきます。

詳細は本書を読んでもらえればと思いますが、私が印象深かったのは「記号接地問題」と表現されていた「ことばが身体に接地しているか」との観点です。

これは、あることばについてその概念が身体に接地しているかどうかの意味合いで、書籍内では次のように補足されています。

「いちばん基本的な概念が接地していれば、そこから具体的なイメージを離れて抽象的な操作が自然にできるようになります。逆に接地していないと、『記号から記号に漂流する』ことになります。」

ことばは直接の知覚経験を経て身体につながっていくのが大事で、そうしたプロセスを経ずに記号をあてはめるようにして覚えた言語は理解しているといえるのかどうか、ということでした。

前述したようにことばが何かに接地しているからこそ「今ここ」を離れて、想像力によっていま見ていないこと、例えば過去に起こったことや未来に起こるかもしれないことを話すことができるし、過去に起こったことの原因について考えて話したり、想像力によってメタファーを使って知識を拡張することもできる旨の説明です。

「ことば」については理解度としての捉え方はしてきましたが、「身体に接地しているか」との観点は持ち合わせていなかったので新鮮だったし、そこがあるからこそ前述したような広がりにつながっていることの結びつきは示唆に富んでいました。

ここから先は私の個人的な話になりますが、社内の若手社員と接していて彼らの行間を汲む力や読解力の乏しさ、コミュニケーションの領域での課題と照らし合わせた時に、それと紐づく面があるなと感じた次第です。

ことばが身体に接地しているか、ことばの粒度、ことばの共通理解であるコモングラウンドなどから見直していく必要性があるのだろうと思います。

1つだけ朗報だったのは本書で説明された諸々の観点を踏まえた読書の有用性を再確認できて、いま社内の若手に向けて実施をしている読書課題の意義が補完されたことです。

即効性はない地道な取り組みですが、今後も継続ですね。

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