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込めたるは祈りにあらず |六|


粛清


 怪物モニーンは立ち上がり、両腕を広げる。ドレスは破れ、肥大した肉体が露出する。緑色の二の腕から肉腫が迫り出し、血管だらけの翼膜が広がる。

「イィィィィィィ!!」全身で叫び、威嚇する。

 威嚇には様々な動機が伴う。この場合は逃亡の前提行動。つまりその場から飛び去ろうとしている。飛び去り、森へ隠れようと目論んでいる。迫り来る鈍色の塊、嵐に乗じてやってくる驚異。モニーンには見えている。見えていて打ち負かすことは不可能であると、悟っている。迫るは鍛え上げた肉体を持つ戦士。纏う鋼と皮、そして振るう銀の刃が混じり合う、巨大な砲弾さながらの敵意。

 瞬間、砲弾はぶつかり、モニーンはそれを受け止められずに壁に叩き付けられる。その時点で身動きは封じられている。両手首深く突き刺さる銀の双剣に釘付けられたまま、力を封じられる。

 戦士は容赦しない。肩に斜め掛けした皮帯に装備した無数の太杭ニードルを抜き取っては突き刺し、肩に向け、規則正しく、一定の間隔で突き刺し、怪物を磔ていく。

「やめるんじゃ! この薄汚い野奔のばしりがっ!」

 咒婆が火搔き棒を振り上げて飛びかかる。しかし戦士は老婆よりも数倍機敏な動作でボウガンを構え、矢筒から紅白の縞模様の釘矢ボルトを選んで装填し、発射する。
「ぐぇ!」ボルトが肩に突き刺さり、婆は屑布のように吹き飛ぶ。狡賢くよこしまな咒師ではあるが、その生命力は皆無に等しい。

 早くも立ち上がる力さえ失った老婆を確認すると、戦士は向き直し、腰のダガーを抜いて、磔にした怪物の喉元に押し当てる。
 が、そこで何事かを感じ取り、再度、振り返る。

「ぐふ、ふ…」

 苦悶を浮かべ、婆は口元だけで笑う。震える手つきで肩のボルトを抜き、どういうわけか、次には、その尖った先端で自分の喉を突き刺す。
「…アーミラルダの呪いを喰らえ」大量の血を吐瀉しながら、恨みがましくそう告げる。

「悪いな」ところがそんな奇行を見せつけられた戦士は、心底うんざりした様子で息を吐く。「自死を見せつけたとて、おれたちは殺せねえんだよ、ばあさん」

 婆はすでに白目を剥き、もはや何の音さえ聞こえぬ様子で、薄ら笑いを浮かべる。「…呪われろ」満足げな顔つきで小さく吐き捨てたのを最後に、動かなくなる。

 戦士は無表情で老婆から目を逸らし、改めて怪物と向き合う。

「ぐおおおお!」
 ところが今度はイーゴーが割って入る。
 老婆の奇襲を受け、曲がりなりにも多少の油断を見せた戦士を、後ろ手に羽交い締めにすることに成功する。
 しかし、戦士はごつい身体にまるで似合わぬしなやかな動作で拘束から抜け出しつつ、逃げ様の回転でイーゴーの顎先を蹴り上げる

 青銅の仮面が吹き飛び、巨体が宙に浮く。それだけの合間で、戦士は次のボルトを装填している。よろめき持ち直す相手が再び掴みかかるその前に、踏み出した右腿を抜く。

「ぐぅ!」イーゴーの片膝が崩れる。
 戦士は間髪入れず次を装填し、今度は左腿を射る。

 勢いを残したままに頭からつんのめる大男を確認すると、次に戦士は銀のボルトを装填する。そしてそれもすぐに発射され、戸棚の物陰に隠れ、飛びかかろうと身構える異形の脳天を射抜く。
 吹き飛んだ異業は、床に倒れるのを待たずにその顔面の筋膜を燃え上がらせる。その炎は瞬く間に広がり、胸元まで火の粉を散らし、頭蓋は剥き出し、首から転がる。

 それを切欠に、違い子らを貪っていた異業どもが立ち上がり、一斉に威嚇する。
「ギギギ、」「ギィ」「ィィィィ」」煙った部屋のあちこちから、異形の子どもは集結し、戦士を囲む。

 早速一匹が早まり、戦士に飛び上がる。しかし、ボウガンに変わり、素早く握られた戦士の手斧は、簡単に異形それを叩き落とし、続いて足許から襲う敵ごと、首から胴を切り離す。

 それを合図とし、別の異形も次々に襲いかかり、同じように順繰りに返り討ちにあう。

 襲いかかっては敵を跳ね除ける戦士は、断末魔とともに血飛沫と火花と燃え殻を身に纏い、陽を浴びたように照らされる。

「いまだキャリコ!来い!」
 そこで戦士が叫ぶ。

 するとそんな号令をもとに、刃物を持つ大勢の男たちがなだれ込む。

「いけ!」「合図だ!」「化け物を逃すな!」「邪教徒を捕まえろ!」口々に叫ぶは皆、麓の村スミッチの男たちだ。

 ところがどういう訳か、広間に突入するや否や、彼らの大半が踵を返して撤退しはじめる。慣れぬ荒事に息巻き勇み突入したものの、広間の惨事を目にした途端、怖気付いたのだ。ある者は子どもらの肉片に嘔吐し、立ちすくみ。ある者は血溜まりに滑り、浸る血に混じる小さな手脚や耳や歯、転がる眼球を目の当たりにし、一目散に逃げ出す。

「しっかりしろ!」戦士が苛立つ。
「おいキャリコ、どこだ!? ジャポ、ジャポラーナ!」

「ここに!」
 遅れて入口に到着した太った女が返事をし、屋敷の光景に驚愕する。「アギレラ様っ!?」ジャポと呼ばれた女が戦士を探す。

「構うな! 入り口を包囲しろっ!」アギレラと呼ばれた戦士が、輝く煙の奥で叫ぶ。

「さぁ、あんたたちっ!」その指示を受け、ジャポが叫ぶ。逃げ戻る男たちに逆行するふうに広間へ進み、声を上げる。

「しっかりしな、男だろっ!」古風な騎士槍ランスを振りかざし、腰を抜かす男を立ち上がらせる。

「選びな!」頬を張り、他の者にも聞こえるふうに叫ぶ。

「今逃げ帰り、嫁を危険にさらすか! 今日、息子に誇れる男になるかっ!」

 そんな鼓舞を受け、ようやく男たちが動き出す。気持ちを切り替えた数名の若者が指示されていた通りに行動し、縞模様のボルトを頼りに、倒れて床を這いつくばるイーゴーを拘束する。

「ひるむんじゃないよ!」ジャポが叫び、丁度、煙の奥から飛び上がった異形の腹を、手本のように串刺して見せる。それを契機とし、男たちも互いに声を掛け合い、武器を構え、怪物を逃がさぬために教えられた即席の陣形を組みはじめる。

「やれやれ」
 アギレラはようやく怪物モニーンと向き直す。手首でダガーを一度回し、改めて喉元に押し当てる。
「…キ、ィィィィィィ!」牙を剥き出し憎悪を込めた全身で抵抗を試みる怪物モニーンだが、その絶叫は自らの血の逆流で塞がれる。淀みなく急所を狙うその一閃に、喉元から背骨まで深く切断され、断末魔さえままならず、呆気なく絶命する。

「ちくしょうめ」
 万事を難なく進めているはずであるアギレラは、なぜか不機嫌に悪態を吐く。怪物を磔ていた自分の直剣を抜き、死骸が床に落ちると同時に振り返る。

 そうして自分を包囲する敵が、次の瞬間には総攻撃に転じるであろう僅かな合間、その厳めしい顔で目を細め、怪物どもを睥睨する。




 吹き込んだ嵐に乗じて暴れ、今は部屋の中心でふた振りの剣を構える戦士の顔を、レモロは隙間から盗み見る。

 四角く厳しい顔、錆びた針金のような頭髪と眉を逆立て、その男は明らかに怒っている。ぎょろりとつぶらな三白眼が特に恐ろしく、どういうわけか、闇夜の獣とよく似た蒼白い輝きを湛えている。

 そこへ不意に、何か固い物が手元へ滑り込む。見ればそれは小ぶりの、抜き身のナイフである。辺りを見回せば、少し遠くに、数人の男たちに押さえつけられ、床に伏したイーゴーがいる。彼が、血走る怒りに燃えた目を見開いている。

ごろせぇぇぇ!」

 獣のような叫び。こちらを凝視し叫ぶイーゴー。彼にのしかかる男たちは、その剛力を押さえつけるのに必死で、視線の先に映るレモロの存在には、まるで気がつかない様子。
「略奪者どもっを殺せ!ごろせ! 殺してやる! ごろしてやる!」
 かつての王様であった男の雄叫びを浴び、レモロはナイフを拾い、じっと見つめる。殺せ、一矢報いろ、今すぐここから飛び出せ。自分を鼓舞するふうに、小さく囁く。

(殺せ! そうだ、ころせ!)

 決心とは裏腹に、レモロの身体は動かない。止まらぬ震えを抑え、やっとのことで顔を上げ、異形の群れに立ち向かう戦士を眺める。

 そこにはふたつの異なった気流が渦巻いている。一方は、違い子らに取って変わった醜い怪物どもの渦。集団で血飛沫を飛ばし、次の瞬間には火花を上げて骨になり、吹き飛び壊れる姿。
 そしてもう一方は、突然現れ、全てを終わらせるために暴れる、屈強な男の竜巻。無駄のない動きで群れを切り裂き、叩きつけ、撃ち抜き、蹂躙する者のその野蛮な姿。
 レモロはその様に、かつてのイーゴー、屍鬼グールーと戦う王様の姿を重ねている。そこで彼はずっと、自分が魅了され続けていた何ものかの、その根幹に今気がつく。つまりは、怪物同士の戦い。一方が蹴散らし一方が圧倒する、一方的な虐殺の戦いへの激しい憧れ。

 そうしてレモロは再びイーゴーを見る。顔を歪め、唾液と血を飛ばして、戦士を睨み、憤怒の皺を浮かべ叫ぶ横顔。それが急に何だか哀れに感じ、その雄叫びさえも妙に滑稽に思えてくる。

 ああ、そうか。

 急に、わだかまっていた胸のつかえがすっと晴れる。そうして彼はこう思う。

 イーゴーがあんなに怒るのは、モニーンも婆も簡単に殺したあの強い男に、“取って代わられて”しまうからなんだ。


 そこで、唐突な激しい振動が襲い、身を伏せる。姿勢を立て直し、辺りを見渡せば、騒動で投げたされた家具が大破し、すぐ側の床に開いた穴が開いている。

 レモロは反射的にそこに入り込み、暗く湿気った床下に隠れる。

 物が倒れる音、布の擦れる音、肉の裂ける音、怪物の咆哮に混じる風鳴りとともに吹き込む雨。それらを聞き、感じながら、息を殺して隠れ続ける。
 レモロはそれを当然の行動と思い込む。もはやイーゴーの無念の叫びは聞こえない。
 また、彼は自分が怖気付いたとも考えない。何かしらの罪悪感も、悲観的な想いもない。ただひたすらに、次の展開を待っている。
 つまり彼はいつでも順応し、次に来るであろう、新しい未知なる規範に従っているに過ぎないのだ。


─ 続く ─


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