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書けなくなったらどうするか? ケストナー『飛ぶ教室』より

少年・少女向けの小説として知られるエーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』(1933年)。
じつはこの作品の冒頭には、すべての書き手に通じる、創作にまつわるエピソードが描かれている。

書けなくなったらどうするか?


このお話は作者の独白から始まる。

職業作家である語り手(エーリッヒ・ケストナー)は、とっくに仕上げていなければならないはずのクリスマス物語を、もう2年も書き上げられないでいる。
すると、見かねた母にこう言われた。

「ことし書かないんなら、クリスマスにはなんにもあげないからね」

ドイツ人であるケストナーにとって、クリスマスは何より大事なイベントである。
こうして覚悟の決まったケストナーは、なにがなんでも物語を完成させねばならないと決意する。

さて、ケストナーの書いているクリスマス物語とは、『飛ぶ教室』のことである。これは、ドイツのギムナジウム(中高一貫校)の生徒たちを主人公とする真冬のお話。
しかしケストナーの住むベルリンは、いま夏の真っ盛り。うだるような暑さのなかでクリスマス物語を書くのは至難の業だと、作家はこぼす。

そこで少しでも季節を近づけられるようにと、世話焼きの作家の母親は駅へと息子を引っ張り出し、切符売り場の駅員に聞く。

「あのう、8月に雪があるの、どこかしら?」

「ツークシュピッツェの山頂ですね、ケストナーさん」

駅員から言われたのは、バイエルン州に聳えるドイツ最高峰・ツークシュピッツェだった。

こうして原稿用紙を詰め込んだトランクを片手に出発したケストナーは、ツークシュピッツェ山麓の湖のほとりに滞在し、雪山を見上げ、ギシギシ傾く木製のベンチに座って日々執筆に勤しむことになる。

標高の高い避暑地であるとはいえ、日中は8月らしい暑さが続く。

午後になるとネコは姿を消す。あんまり暑いからだろう。私も暑いが、テーブルから離れない。とはいえ、暑さにうだりながら、雪合戦のことなどを書くのは、なみたいていの苦労ではない。

そんなときはベンチで背中をのけぞらせ、ツークシュピッツェを見あげる。岩の巨大な裂け目に冷たい万年雪がほのかに光っている。―それを見ただけで、また書きつづけることができるのだ。もちろん日によっては、湖の一角から雲がわいて、ツークシュピッツェのほうにただよってきて、入道のように立ちふさがり、山が見えなくなってしまうこともある。

そうなれば当然、雪合戦や、冬にしか起きない事件のことは書けなくなる。けれども大丈夫。そんな日には、室内の場面を書けばいいのだ。困ったときには、なんとか切り抜けなくては。

『飛ぶ教室』14頁

作家にとって創作はなにより愉しいことには違いないが、そこにはまた産みの苦しみもある。
しかしそんな苦労も、ケストナーの手にかかると何ともユーモラスなエピソードになる。

書き物でも、どんな仕事だっていい。
行き詰まったのであれば、描きたいこと、やりたいことに少しでも距離を寄せれば、実現に近づくのかもしれない。

ケストナーの挿話は、私たちに困難を切り拓くヒントを与えてくれる。

ケストナーの『飛ぶ教室』


さて、肝心のクリスマス物語のことについても触れておこう。

『飛ぶ教室』はドイツのギムナジウムの5年生の生徒たちが主人公だ(ギムナジウムは9年制なので彼らはちょうど中間の年代にあたる)。

親に捨てられた過去をもつジョニー、弱虫から脱却したいウーリ、読書家のゼバスティアン、正義感の強い優等生マルティン、ボクサーになるのが夢のマティアス。
多様な個性をもつ彼らが、ジョニーの書いた演劇「飛ぶ教室」をギムナジウムのクリスマス会で上演するまでが、ストーリーの骨子になっている。

もちろんそれまでには、近くの実業学校の生徒たちとの抗争(雪合戦)、近くに住む風変わりな男〈禁煙さん〉との交流、弱虫ウーリの決死行など豊かなエピソードが織り込まれている。
ギムナジウムは9年制で、十代の幅広い年代の男子たちが集う。

多感な十代の少年たちが友人たちと信頼を築き、大人たちに支えられながら自己を育んでいく姿は、誰にとっても引き込まれるストーリーのはずだ。

@anitaaustvika


ケストナーは児童文学の作家だとみなされることが多いが、大人向けの小説も多数手がけており、ナチスをきっぱりと拒絶したことによっても知られる。

彼にはいわゆる「児童文学」について一家言ある。

子どもたちを素材に取るのはいいが、大人たちの都合のいいように、子どもはいつも陽気で幸せでいるものなのだ、なんていかさまをするような輩には心底腹が立つ、とケストナーは語る。

どうして大人は自分の若いときのことをすっかり忘れてしまうのだろうか。子どもだって悲しくて不幸になることがあるのに、大人になると、さっぱり忘れてしまっている。(この機会に心からお願いしたい。子ども時代をけっして忘れないでもらいたい。どうか約束してもらいたい)

『飛ぶ教室』18頁

『飛ぶ教室』の刊行された1933年は、ドイツにヒトラー政権が誕生した年でもあった。
自国の未来を憂えるなかで、子どもたちに希望を託そうとするケストナーの心意気がこの小説には溢れている。

子どもは「児童小説」などは読みたがらない。
いつも背伸びをしたがるものだ。

人生で大切なのは、なにが悲しいかではなく、どれくらい悲しいか、だけなのだ。
つらいときにも、正直に言ってほしいだけなのだ。骨の髄まで正直に。

『飛ぶ教室』18-19頁


そう語るケストナーの描く物語は、子どもたちだけでなく、どんな年代の読者にとっても、清新な色合いに映るだろう。



おわりに


ところで私は『飛ぶ教室』を丘沢静也訳の光文社古典新訳文庫版で読んだ。

この新訳は2006年の刊行てある。

丘沢はこの新訳にあたり、従来「児童文学」として翻訳されてきた『飛ぶ教室』を、余計なルビなどの子供向けに配慮された「よけいなビブラート」を削ぎ落して、一箇の文学作品として訳すことを心がけたという。

確かに、私も光文社古典新訳文庫のスタイリッシュな装丁がなければ本書を手に取ることもなかったかもしれない。

丘沢訳のおかげで、十代のうちに『飛ぶ教室』に触れる機会がなく、大人になって初めて読んだ私もこの作品をお気に入りのひとつに加えることが出来た。

原著にも付されたヴァルター・トリアーの挿し絵の収録された岩波少年文庫版も捨てがたいが、ここでは敢えて光文社古典新訳文庫版を推したい。


以上、「書けなくなったらどうするか?」というテーマをとっかかりに、エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』を紹介した。

こんな素敵な書き出しの小説をいつか、書いてみたいものだ。


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