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#2 鮮やかな美しさ、危険な魅力の中に潜む怒り

Petra Collins『Discharge』

文: 秋田紀子/Noriko Akita

Petra Collins『Discharge』(CAPRICIOUS 2014)

ニューウェーブフェミニズムの発信者の一人としても知られている Petra Collins(ペトラ・コリンズ)はアート、ファッション、フィルム、音楽、文化など幅広い分野を通して独自の世界観を発信するマルチタレントアーティスト。幅広い分野で引っ張りだこな彼女の初の写真集『Discharge』(2014)

この本を数ページめくって思ったこと
   「映画だ。」
     テキストと余白、カメラ越しに写る少女
      ページをめくると大きな余白があり時間を連想させる。

誰かの少女だった頃の小さな物語であり思い出の一欠片がこの本には詰まっているのだ。
くすんだ、淡い世界観の中に放たれるライトアップの光。ブルー、ピンク、レッド、グリーンの原色は鮮やかで美しい。
例えば、この写真は劇だとして真っ暗な空間に学校の体育館にあるカラースポットライトで照らしているような感じ。
ただの原色ではなくどこかノスタルジーで危うい光。
この光は共通認識の光であり、少女たちが夢で見た現実である。
シュルレアリスム(超現実主義)ではなく実際に起こったことの地続きのような作品である。

ペトラは目が悪いらしい。実際あまりものが見えてない状態で写真を撮ったりするとも語っている。
何となく私も絵を描いたりするときにわざと目を細めたりして全体の雰囲気を掴んんだりするのだが(高校生の時画塾の先生に教えてもらった。)
それと似たような感じなのか。それにしても彼女がシャッターを切る瞬間は紛れもなく奇跡のベストタイミングというか、誰にも真似できない何かがある気がする。

美学面的にはもちろん道徳的に危うい思春期の女の子の揺らぎ、
その中でも生身の人間が生きる切実さを感じる瞬間がある。

机に置かれたクレジットカードと薬、ニキビ、タバコ、酒、血。
おとぎ話ではない。ことが分かってしまった時、より魅力的に見えるのは私だけなのだろうか。そんな魅力が彼女の写真にはある。

クローズアップされた布は肌を連想させ、センシティブなものを見てしまった感がある。
ペトラは幼少期バレエを習っていた。布と肌の関係性が写真から読み取れることとバレリーナであった幼少期の記憶は密接な関係なのではと思った。
私の友人にバレリーナの子がいるのだが、彼女曰く身体の中から布へ伝えるように表現するなど体の動きで布を綺麗に見せるということは特に意識するらしい。

身体と体型の過酷な管理、身体と布が一体化したような圧倒的な物質感。
自らの身体の変化に敏感で常に美しい動きを求めるからこそ自己と向きあう機会が多いのだろう。
その辛さや言葉にできないもどかしさが写真にも少なからず影響を与えているのではないだろうか。

彼女自身映画に影響された部分は大きいと語っている。
例えばヴェラ・ヒティロヴァの『ひなぎく』
マリエ1とマリエ2は、姉妹と偽り、男たちを騙しては食事をおごらせ、嘘泣きの後、笑いながら逃げ出す。部屋の中で、牛乳風呂を沸かし、紙を燃やし、ソーセージをあぶって食べる。グラビアを切り抜き、ベッドのシーツを切り、ついにはお互いの身体をちょん切り始め、画面全体がコマ切れになる。とにかくパンクでロック。自由を手に入れた少女ふたりは恐ろしさ、危険の中にある美しさが存分に感じられる。この感覚はペトラ・コリンズの世界観に間違いなく混在している。

『ポゼッション』(81)で、主演のイザベル・アジャーニが地下鉄で動物的に怒り叫んでいるシーンには、すごく影響を受けた。それと、デヴィッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ』(96)に登場する、ホリー・ハンターが演じる役柄にも。スタイルは違うけど、両者とも“フェミニン・レイジ(=女の怒り。映画や文学における、女性登場人物による憤りを描いた作品ジャンルを指すことが多い)”を表現している。そういったキャラクターに惹かれるのは、自分の中にある“女の怒り”をまだ表現しきれてないからかもしれないそして自分の中にある女性の怒りを原動力としていると語る。[1]

ペトラ・コリンズにインタビュー。10代の自分がいつも隣にYahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp › articles

この記事を読んで思い浮かんだのは近年公開された「TITANE/チタン」(2021)。女性が意味もなく人を殺していくような怒りと痛みに耐える閲覧注意な映画だ。私が見てきた限り女性が意味もなく人を殺していくみたいな殺人鬼の映画は初めて見たから目新しく感じたし、同時になぜか何の違和感もなかった。女性としてとかそんなの関係なく、性別を超えて人間であることの痛み、苦しみを訴えているようにも感じた。怒りと共に強烈な痛みが表現されているこの作品は、ペトラの原動力である怒りと何か通ずるものがあるのではないか。

若さゆえの繊細さ、コミュニティの閉鎖感から来る苦しさ。
世代も文化も違うのに共感できる彼女の写真の威力は圧倒的だ。
インスタグラムでも彼女の世界観はいつでも見ることができるのでこの機会に是非チェックしてみてほしい。
映画をいつか撮ってみたいと彼女は語っているので映画ファンとしては楽しみで仕方ない!

参考
[1]ペトラ・コリンズにインタビュー。10代の自分がいつも隣にYahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp › articles

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執筆者
秋田紀子/Noriko Akita
2000年生まれ 射手座
京都精華大学芸術学部版画専攻卒
デザインの勉強をしています
映画ポスター、ブックデザインに興味があります
IG:@cyan_12o
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