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何度だってよみたい写真集のはなし その1

文:つのだちひろ
Christopher Anderson: SON

Christopher Anderson: SON (Published by STANLEY/BAKER )

 白い表紙にたったひとつ“Son”の文字。その言葉通りこの写真集はクリストファー・アンダーソン(Christopher Anderson)による、息子や家族との生活の断片的なイメージの集積である。ページをめくるたびに現れるのは、穏やかな家族の写真だ。

 
 しかし本作以前のアンダーソンといえば、社会的な主題を数多く撮るドキュメンタリー写真家として名を馳せていたというのだから驚かされる。
 例えば2000年にロバート・キャパ賞を受賞した写真は、前年に起こったハイチでの震災時に、手づくりの木製ボートに乗ってアメリカへの亡命を図るハイチ難民を撮影したものだ。モノクロで撮られた船上の写真にはブレが激しいものやピントの定まらないものもあるが、その荒々しさが刻々と沈みゆく船という危機的状況の反映であり、差し迫った不安をそのままに伝える。ジャーナリストとしての彼が撮るのは、見るものをも圧倒する力強さを持った写真という印象だ。
 アンダーソンはこれまでの活動について、「おそらく見知らぬ人々の私的な瞬間に立ち会うことで、自分自身についても理解したかったのだろう。これまでの写真は、私と私のものではない感情をつないできた」と振り返る。



 しかし、2008年に息子のアトラス(Atlas)が生まれると、彼のカメラは自然と家族に向けられるようになった。ダブルベットにぽつんと寝かせられた小さな体、シャワールームの曇ったガラス越しにこちらを覗こうとする目、遊び終わったまま放置されたおもちゃなど、写真にうつるのはどこの家庭にもあるような普遍的な情景だ。


 特に、赤い壁と天蓋付きのベットを背景に、アトラスと彼を抱き抱える妻マリオン(Marion)の写真は印象的である。優しくみつめる母と無邪気な表情をみせる子の構図は、イタリアルネサンス期の聖母子像を彷彿とさせる。アンダーソンがシャッターをきった瞬間に目にしたのは、何世紀も変わらない自然な愛の形だったのであろう。
 また途中には、アトラスの誕生と同時期に癌を患ったアンダーソンの父の姿も収めされている。放射線治療の跡が残る胸や丸まった背中などの写真は、息子として父の闘病を見つめるアンダーソンの視線そのものである。それは憂いや不安、もしくはいずれ訪れるだろう自らの死と向き合う視線なのかもしれない。
 「生と死」というテーマを提示しながらも作品から重苦しさを感じないのは、自然光の温度と移りゆく時間の流れをそのままに切り取っているからだろうか。息子の父親として、父の息子として被写体と向き合うアンダーソンの感情の変化が写真に表れ、作品に軽快なリズムをもたらしている。



 本書は2012年に刊行された『Son』に加え、未発表だった40枚の写真からなるチャプター2が収録された新装版である。そのチャプター2では、前章よりもいくらか大きくなったアトラスが大自然を駆けめぐる姿や、カメラを前に凛々しく佇む写真が増える。
 1人の少年の成長を目の当たりにするだけでも十分感傷的になってしまうものだが、ここではアンダーソンが得意とするコントラストの強い表現が効いて、よりドラマティックな演出がされている。くっきりとした陰影は、アトラスの大人びた顔つきや逞しくなった骨格をいっそう際立たせ、もはや庇護の対象ではなくなった息子の独立した人格を見出すことができる。それはきっと、アンダーソンが息子から感じとった頼もしさの形象でもあるのだろう。



 彼の私写真がこれほどに人を惹きつけるのはなぜだろうか。思うに、成長するアトラスの姿や変化する家族の生活を追うと同時に、レンズのこちら側にいるアンダーソン自身が父親としての自己を確立していく様を感じとらずにはいられないからだ。
 「これまでの人生で撮った写真の全てが、これらの写真を撮るための準備であった」と彼はいう。写真を通して移り変わる感情や自己存在を理解するという行為は、仕事のための手段から、アンダーソンの生活を構成するのに不可欠なライフワークとなった。だからこそ積み重ねたイメージは、彼が言うように「記録でも物語でも、ましてや芸術でもなく、愛の宣言」となりえたのだろう。


 
 本作に何度か登場する妹のピア(Pia)に焦点が当たった続編ともいえる『Pia』も刊行されている。『Son』ではあくまでも「妹」でしかなかったピアの姿にも注目してみてほしい。


執筆者
つのだちひろ(角田 千尋)
明治大学文学部文学科文芸メディア専攻
写真がうつすもの、ファッションがうつすものを研究しています。
Title designed by Shingo Yamada









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