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女を愉しむ

私が高校、大学にかけて

悩んでいたことの1つに

女としての私、というのがある。


私は、お世辞にも

美人とは言えない見てくれだ。

こういう言い方はあまり好きではないけど

中の下、という表現がしっくりくる。笑

でも、それで得をすることも多かった。


例えば、私の友人のAちゃんは

美人な上にスタイルもよく

趣味も服装も発言も女の子らしい

とても愛らしい子だった。

でもそれを

ぶりっこだ、として

良く思わない人が多かった。


私も何度となく

なんであんな子と仲良く出来るの?

と聞かれることがあった。

答えは1つ。

彼女の裏表のない

素直な性格が好きだったからだ。


確かに、言われてみると

よく見られたい先生や男子の前と

私たち女子の前とでは

表情や声のトーンが変わることがあった。

でも、私はそれも含めて

彼女が素直な人なんだと思った。


世間一般には、これを

ぶりっこだと呼ぶことは知っていたけど

だからと言って

彼女に対して何も思わなかったし

ましてや避けたいとは思わなかった。


でも、1つ学んだことが

「女らしさ」や「可愛らしさ」は

時に、同性の反感を買う

ということだった。


それからの私は

自分のサバサバした性格や

一人が好きなところを

よく表現するようになった。

「女らしい」自分が露呈して

周りの反感を買うのが怖かったからだ。


だから今でも

「女らしく」ありたいのに

ちょっと、強がってしまう。

「女らしく」あることを

喜びながらも、ビクビクしてしまう。


でも、社会人になって

素敵な大人の女性たちに出会う中で

女性として生まれてきたこと

女性として生きることの

素晴らしさや楽しさを知った。


これも、単なる不安だったのだ。

私の頭の中の、妄想だったのだ。

妬み、嫉みなんか、本当はなかった。

でも、それに自分で自分を縛り

「女らしい」私を楽しむことを

自分が自分に許可できていなかった。


ああ、何て勿体ないことをしてきたのか。

一度きりの人生、私は女として生まれてきた。

ならば「女らしさ」を味わい、表現すればいい。


妬み、嫉みなんてない。

自分が自分の望む「女らしい」私になればいい。

美しさを、怖がらなくてもいい。

みんな、美しくあればいい。

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