見出し画像

前向きに否定してくる人

 2020年、コロナ禍。
 家に引きこもり全く運動をしなかった私は当然ながら太った。当時「コロナ太り」とか言われたやつだ。
 ユニクロの試着室で半袖Tシャツの袖が二の腕に食い込み、写真に写った自分の丸さに驚愕し、「このままではまずい」と当時の家から徒歩1分の距離にあるジムに慌てて通うことにした。

 
 入会時には体組成を測り、カルテのようなものが作られる。大学時代のバイト先の後輩に似た、男性の爽やかなマッチョインストラクターが私について、私の体の状態や課題について説明してくれた。
 マッチョインストラクターは私の体脂肪率だけを見て、「食生活完璧ですね!」と言った。そんなわけあるか。

 このマッチョインストラクター、笑顔が爽やかで愛想も良く接客態度は申し分ないのだが、所々受け答えに不思議な部分があった。

(以下会話文、マッチョインストラクター表記「マ」)

ある時は、

マ「今まで運動する習慣はありましたか?」

私「大学時代の演劇の公演期間中はほぼ毎日筋トレしてました。でもその時だけです」

マ「演劇ですか?凄いですね!練習厳しかったんじゃないですか?」

私「いや、サークルだったんでゆるかったですよ」

マ「いやいやいや、そんなことないですよ!」

またある時は、

マ「お仕事は何をされているんですか?」

私「輸出の書類仕事をしています」

マ「凄い、難しそうですね!」

私「そう言われるんですけど、慣れるとそうでもないですよ」

マ「いや、こう……一つのミスも許されない、みたいな……」

私「ミスしても後から直せば大丈夫です」

マ「いやいやいや、そんなことないですよ!」

 そんなことないかどうかはそちらが決めることではない。
 評価ではなく実態なので、私が言ったことを取り敢えず事実として受け入れてくれないだろうか。
 恐らく私を褒めようとしたのだろうが、これだとただの嘘つき扱いになってしまう。肯定のような雰囲気でこちらの話を否定してくる人に、私は初めてお目にかかった。


 ところで私はワキ毛の剃り残しが気になり、ジャージの上着を着たままトレーニングをしていた。
 剃って行かないのが100%悪いのだが、徒歩1分のジムの、この前向きに否定してくる人のためだけに念入りにワキを処理する気がいまいち湧かず、上着を着て乗り切ればいいやと思っていたのだ。
 いくら運動しても上着を頑なに脱がない私にインストラクターは「寒いですか?」と何度も聞き、「いや、大丈夫です……」と私は答えた。本当は室温をさらに下げて欲しいくらいだった。


 その4か月後、ジムに一切行かずに銀魂アニメを一気見している私の元に、夫がリングフィットを買ってきた。家で運動をするためのテレビゲームだ。
 家から一歩も出ず、ワキ毛を他人に見られる心配もせず、ゲーム感覚で運動のできるリングフィットはあっという間にジムに取って代わった。

 そのジムの解約は本来は来店しないと出来ないが、コロナ期間中のため特別にWebでも受け付けていた。
 インストラクターへの気まずさを回避できるこの期間に即行Web退会しようと画面を入力していくと、「ジムを退会する理由」の欄が入力必須になっている。しかも選択制ではなく記述欄だ。少しだけ考えたが、面倒だったので「リングフィットで運動します」と、ありのままの事実を端的に書いた。

 だって申し訳ないが、圧倒的にリングフィットの方が私にとっては有利だったのだ。前述のメリットに加え、こっちのインストラクター(しゃべる輪っか)は、「カッコいい!」「最高!」「ラスト1回!」といったこちらのやる気を盛り上げるセリフを効果的に使い、しかも返答を求めない。「今の発言は否定だったのだろうか、肯定だったのだろうか」と悩んで返答や表情を作る集中力を全て運動に回すことができるため、全く無駄がない。
 ちなみにリングフィットのインストラクターは「筋肉が喜んでるね!」とも言ってくる。テレビのボディービル大会でしか聞いたことのないセリフを自分が言われることに最初は戸惑ったが、すぐに違和感が無くなった。洗脳はてきめんに効いている。


 我が家のリングフィットは今でも現役で活躍している。特に一昨年の結婚式までの追い込みには大いに役立った。

 そしてジムを退会してから2年も経ってようやくワキを脱毛し始めた私は、2か月に一度ワキにバチバチするレーザーを当てて悶絶することになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?