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「偶然の計画」(2022年7月)

●7月2日/2nd Jul
ふーん、今度は通信障害ね。色々と大変なことですな。

●7月3日/3th Jul
4月に生まれた子やぎ達が立派に大きくなった。最初は草も食べれなかったのに、今では凄い勢いでジャガイモの葉っぱを食べる。6月に生まれた2匹の子達ももう草を食べれるようになった。
ツバメが何匹も騒がしくしているからどうしたのかと近づいてみると、ヒナが1匹巣から地面に落ちて戻れなくなったらしい。まだ飛べないのだがツバメたちではどうすることもできなかったので、指に乗せて巣に戻してあげた。
畑という環境であっても植物達は生命力に満ち溢れ、家畜であっても動物達は逞しく生きている。その一方で都市の檻で死んだような目になった人間ばかりで、このままこの文明を続けると家畜になるどころの話ではなくなるように本気で思える。

●7月4日/4th Jul
久々にグラフィックデザインの仕事。新大学の研究科の紹介パンフレットの1ページだが、自然科学系から社会科学系まで一つの分野としてまとめる。本来の僕の仕事ではないが、なぜか同僚の政策系の先生がPowerPointで作らないといけない枠組みになっていたので、少し整えるつもりでやっていると結構凝ってデータを作り込んでしまった。

最近はサブスクリプションが面倒なIllustratorからAffinity Designerへ乗り換えたが、レイヤー管理はこちらの方がやりやすいか。断ち落としラインを結構攻めたので、印刷会社と詰める作業も久々。こんなことやっている暇ないのだがつい。

●7月5日/5th Jul
 
次の参院選がある7月10日に東京の江戸川区で拙著「まなざしの革命」の出版イベントが開催されます。日本を代表する名書店「読書のすすめ」さんが主催して下さるリアル開催限定のイベントです。オンライン配信はしないので、少し安心して突っ込んだ話も出来るかもしれません。
 当日はいつものように革命旗を前に、トランシーバーで本の一節を朗読するパフォーマンスもする予定ですが、基本的には読書のすすめのカリスマ店員の小川さんのナビゲーションで、来場者の皆さんとの対話ができればと思います。本を読んできた人がほとんどかもしれませんが、もしハナムラに聞いてみたいことがあれば答えれる範囲でお答えしたいと思いますので、是非これを機に色々と訊ねてくだされば幸いです。
 来場される方が何をどこまで前提としていて、何が認識として変えることが出来ないのかによりますが、皆さんの常識を揺らがすような話までいければいいなと。まだ若干名席があるようなので、是非会場でお会いできれば嬉しいです。

●7月7日/7th Jul
 
アートではなくアーティストが素晴らしいのは、そのアーティストが制作過程の中で純粋経験をしている時であり、結果として出来上がったアートは単なる残渣に過ぎないという時。
 一方でアーティストではなくアートが素晴らしいのは、アーティストがどんな邪な考えで製作しようと、鑑賞者がその鑑賞において純粋経験をしている時であり、アーティストは単なるきっかけに過ぎないという時。
 つまりは純粋経験のきっかけになるかどうかに尽きるのではないかと。アートに限らず。

●7月8日/8th Jul
 
恩師の奥様から拙著「まなざしの革命」を読了されたとメッセージを頂いた。本を寄贈した人は多いけど、最後まで読んで色々と感想くれるのは、なぜかそれほど近い関係ではない人の方が多いように思える。
 印象的だったのは、感想の中に「力作で、色々と思うところあったけど高齢者にはもう手遅れかも...」と仰っておられたことで、割とそう思われる方が多いのかなと思ったことだ。
 そんなことありませんよ。だって本にも書いたじゃないですか。人はいくつになっても、いつであっても自分が変われるチャンスは開かれているんです、と返しておいた。
 この世での年齢というのは幻想だ。成熟した子供もいれば、未熟な老人もいる。人の心には何歳とか関係なく、見かけの年齢に騙されてはいけないのだろう。最後の最後まで悟りの道を諦めないことが大事だなと。

●7月8日/8th Jul
 7月10日の日曜日。このタイミングで東京江戸川区で「革命対話」をすることになる。読書のすすめさんがセッティングしてくれた「まなざしの革命」の出版記念イベントだが、先程書店員の小川さんとご相談して、こちらで用意したスライドを全部取り止めて朗読と対話だけにしたい意向をお伝えした。
 今日は報道を脇目にテントやスピーカーなど革命セットを準備しながら、来場者の方々からはおそらく色んな質問が飛んでくるだろうなと考えていた。このイベントはリアルのみの開催なので、SNSやオンラインでは話せないような所までお話するかもしれない。
 まだ僅かに残席はあるが、今回は人数が限られていて、事前に参加する人の素性も概ね分かっている。当日安全な場であることが分かれば、普段はあまり述べない僕個人の見解も少しお話ししてもいいかなと。場所的に東京方面の方々のみになるかもしれないが、とても貴重な場になりそうな予感がする。

●7月9日/9th Jul
 明日の対談に想いを馳せながら東へ向かう。こんなタイミングで、こんな機材を積んだ「まなざしの革命セット」一式を持っているので、職質の可能性は大きいが...。
 ブッダの戒には言葉の戒めが多い。言葉は我々の意識と無意識に直結していて、それが共有されることで「事実」を生み出すからだ。
 何が事実で何がフェイクなのか自分に見極められると思っているという盲点は、出来事に対してのまなざしを曇らせる。予想通りに、何かが起これば誰もが自分の考えを論じはじめたが、論じるほど事実は導かれていき盲点はますます見えなくなる。
 誰かが提示した答えに飛びついて問いも立てないなら盲点の意味などわからないかもしれないが、問いが立っても答えが出ないものは問いのままで置いておかねばならない。そして答えが永遠に出ない問いもある。さて明日の対談ではどんな問いが飛んでくるだろうか。

●7月11日/11th Jul
 読書のすすめさんが企画してくれた「まなざしの革命」の出版記念イベントが終了。奇しくも参議院選の当日。投票が行われていた会場の隣で、灯りを落として革命の話をすることになるとは。
 今回のイベントはリアル開催のみで人数も限られていた。こちらからのプレゼンも急遽取りやめて朗読と対話の時間だけにしたので、皆さんからの質問に答えながら結構突っ込んだ話をした。
 子供たちに何を伝えていくのかという大きな話から、情報ソースはどういうものを参照しているのかという具体的な話まで問われるままに答えていく。お金の呪縛からどう逃れるのかという質問や、ビジネスアイデアのようなお金にまつわる質問にも答えた。
 大学生が何人か来ており、世界を動かす見えない力学について調べるほど何が真実か分からなくなっているので教えてほしいという質問もあった。知りたいことをダイレクトに答えても良かったのだが、質問した人が「聞きたい話」ではなく「必要な話」を返すことが大事だと思った。安全な範囲で答えたが、おそらくフラストレーションがあったのではないかと。
 なので書店に移動してサイン会の後に、2時間ほどみっちりと聞きたかったであろう危ない話をたっぷりした。君たちが今持っている常識はほぼ全て作られたものであり、それを見抜くために何をすればいいのか。
 それ以上に、知ってしまうことには覚悟が必要で、知った以上は引き返せない道に入ることも伝えた。予想以上の話に彼らは目を回してはいたが、目の奥にはしっかりと自分と向き合うメタノイアの光を見て取った。
 誰にでも話せることではないし、興味本位で知ってはいけないこともある。だがこうして社会に違和感を持って、何が正しい道なのかを真剣に尋ねてくる若い学生にはいくらでも時間を使っても惜しくはない。
 来場者の方々には初めてお会いする方も多かったが、まさか来てくれるとは想像もしていなかった懐かしい方々もおられ、心から嬉しかった。選挙で右往左往している世間の真っ只中で、焚火を囲んで話すような心穏やかな時間を持てたことに感謝。

●7月12日/12th Jul
 先月参加した占いギャザリングのオフ会。議論が盛り上がって止まらない。占星術研究家の鏡リュウジさん、スクエアエニックスの人工知能研究者の三宅陽一郎さん、宇宙物理学者の野村泰紀さん、古代占星術研究家のぐらさんとのショット。対談させて頂いた占星術家のシュガーさんとのツーショットを撮り忘れた。
 ぐらさんとアート業界の現状について話したり、野村さんにはアメリカの現在の話や仏教と物理学の接点について聞いたり、鏡リュウジさんには責任編集されたご著者「タロットの世界」という新刊本まで頂き恐縮。
 月刊「ムー」の三上丈晴編集長とは怪しい話から危ない話まで色々と話を聞きながら、なぜか最後は河童の生態について話し込むことに。二次会では昨日の出版記念にも来て頂いたシュガーさんと、対談の続きで話こんで色々と考えさせられた。久々の知的な時間に感謝。

鏡リュウジさんと
月間「ムー」の三上編集長と

●7月13日/13th Jul
 ゲルハルト・リヒターの展覧会に。もう御歳90歳となるリヒターだが一貫して追いかけているテーマが変わらない。今でこそ現代アートの代名詞のようになっている抽象絵画だが、彼の作品はいわゆる抽象絵画でフォーカスされがちなポイントとは少々違うように思える。ポロックのような運動の痕跡や、ドリッピングのような表現技法に焦点が当たっているというよりも、キュビズムのように我々の知覚への働きかけが狙いの中心のようだ。
 どんな対象物を見るのかではなく、またそこに何が表されているのかはさほど問題ではない。我々のまなざしはいかなる構造になっていて、どのように認識しているのかの方へと関心があるのだと感じる。特に彼の場合はまなざしの「ピント問題」への関心が顕著だ。
 スキージーで大胆に描いていく抽象表現であっても、繊細に表現された風景画や人物画であっても、我々がピントをどこに合わせているのかを相対化する注意が払われている。リヒターの作品には度々ガラスが用いられることがあるが、それは光が屈折して風景をぼやけさせるために使われているようにも思える。
 ピントが合っていないと、我々はその風景が何であるのかは想像するしかない。常々「風景の半分は想像力で出来ている」と唱えてきた僕の問題意識とも非常に近しいものを感じた。そもそもピントが合っている、合っていないというのも実は相対的なもので、我々が見ていてクリアだと感じている世界は、別の見方からすればピントがズレていてもおかしくはない。
 個人的にはリヒターの近作のスケッチが大変興味深かった。SNSはメモの場なので作品から直観的に受けた印象やインスピレーションを言葉にしているだけだが、結構これまでの言葉が溜まってきたので、そのうち「まなざしの美術評」的なことを始めようかなとか。

●7月14日/14th Jul
 
急遽ですが岡山のライブハウスのペパーランドで鼎談が本日決まりました。題して「"学び"のアナキズム」として、ミシマ社から「くらしのアナキズム」を出版された人類学者の松村圭一郎さんと、ペパーランドのオーナーであり写真家でもある能勢伊勢雄さん、そしてハナムラの三人をモデレーターとした会です。
 かつて松岡正剛さんが提唱されて始まった遊会という集まりがあり、今でも継続して行われているのは能勢伊勢雄さんが主催されている月に一度の岡山遊会だけになっております。その会がなんと500回を迎えることになり、その記念として今回のイベントの運びとなったようです。
 当初僕は聴衆の一人として行けたらと考えていたのですが、能勢伊勢雄さんのお声がけでモデレーターとしてお話させて頂くことになりました。能勢さんがいつも言われるゲーテが大切にした普通の「会話」。そして僕の「まなざしの革命」でも書いた「当たり前のことを当たり前にすることが持つ力」。皆が心の中にあることを飾らず素直に話し合うことがきっと大きな力になると思っています。
 水曜日の夜の岡山という時間と場所なので、お越しになるのが難しい方々ばかりかも知れませんが、500回も会話を重ねてこられた岡山遊会という集まりがあることを、多くの方に知ってもらえたら嬉しく思います。こんな時代だからこそ、皆さんと大切な話が出来ればと思います。

●7月15日/15th Jul
 
先日、宇宙物理学者の野村泰紀さんにお会いした時に新刊本を持って行かなかったのが悔しくて、ちゃんと買おうと本屋へ。と言いながら論文投稿の締切前の逃避行。
 案の定、他の本も大量に買って帰ることになってしまった。今回は特に角川が出している「古代地名大辞典」が半額で売られていたので無視するわけにはいかず。
 その他にも工作舎の希少本などがアウトレットであったので調子に乗っていると紙袋二つにも。しかし相変わらずバラバラのジャンルに自分でも呆れる。

●7月16日/16th Jul
 
7月14日の満月を境に、世界中で物事が大きく動き始めている。それが良いことなのか悪いことなのかは人間の価値判断で、自然の動きには本来は善悪や吉凶はない。ただ、このタイミングでヒトの世界は騒がしくなるだろうなと。

●7月16日/16th Jul
 
2年前の投稿。そろそろ多くの方々の中でリアルに感じられるようになってきたかと。2017年に出した前著「まなざしのデザイン」より。

●7月17日/17th Jul
 
中之島美術館にも行ってみたかったので「モディリアーニ展」に滑り込む。20世紀初頭の時代は、僕の風景進化論の講義でも割と詳し目にお話するが、そういえばモディリアーニは全く取り上げてなかったことに気づく。
 モディリアーニは短命な作家で、時代的にはキュビズムの影響も随分と受けている。表現の随所にキュビズムの影響が感じられるが、彼自身を掘り下げることにあまり時代的な意味を見出せなかったので注目してこなかった。
 一連の絵画や同時代の作家との比較の中で、今回僕自身が引っかかったのは「瞳の表現」だ。モディリアーニの絵画には瞳が描かれないことが多い。アフリカの仮面や彫刻の影響といえばそれまでかもしれないが、それだけでもないように思える。
 いつか子供たちにアートを使った学びの機会を提供したいと考えているが、常々思うのは、アートを見るのに知識あれば見えることと、知識があるから見えなくなることの両方があること。
 社会人大学院では現代アートの見方が分からないので教えて欲しいという声が多いが、取り付く島がない大人には知識から入る方が良い。だが、子供たちにとって現代アートは直観を鍛えるいいトレーニングになるので、その場合は知識ではなく疑問を与える方が有効なことがある。
 大学2年の授業で一度試したことがあるが、全員が素晴らしい見方をしていたのを覚えている。

●7月19日/19th Jul
 
締切20分前に文字数オーバーの1200字を削除し始め、締切1分前に論文提出。危なかった...。

●7月19日/19th Jul
 
長い棒状のものを人さし指の上に乗せてバランスが取れるポイントというのは一点だけある。左右の重さが異なれば位置はズレるかもしれないが重心は一点だけだ。そのポイントが正解であり、それは物によって毎回変わる。
 全く同じことが物事への対処でも当てはまる。どんな物事にもバランスを取れるポイントが一点だけある。その正解を見つけ出すことがあらゆる問題に対して唯一我々がせねばならないことだ。それは毎回変わるので、毎回探し出す必要がある。

●7月19日/19th Jul
「まなざしの革命」の中で散々書いたので、今さらSNSで色々と書くつもりはない。だが自分が憤りを感じているニュースや理不尽だと感じる社会の出来事があるとすれば、それを言葉で論じてしまう前に一度その憤り自体を見つめ直してみられることをおすすめはする。
 そのニュースがなぜ報じられるのかということ自体に目が行かず、対象物だけにまんまとフォーカスさせられている可能性に気がつけば、迂闊に物事は論じられなくなるものだ。怒って皆が論じ出すことなど計算に入っていないとでも思うのだろうか。我々が考える以上に相手は狡猾だと思うべきだぜ。

●7月21日/21th Jul
 
人として生まれるのは本当に哀しいことなのだが、無常を理解するとそのことに気づいてしまう。人生が苦の連続でしかないことを受け入れられないから誤魔化すことでようやく生きていられるが、いつまでも逃げ続けられるものではない。だからこそ我々は自分という存在そのものを乗り越えねばならず、その先には哀しみも不安のない世界がある。そこでは常に今この瞬間しかないため、時間は動き続けながら止まっている。

●7月21日/21th Jul
来週の水曜日7月27日に岡山のライブハウス「ペパーランド」で岡山遊会の記念すべき500回目の記念パーティが開催されます。岡山遊会は敬愛するアーティストの能勢伊勢雄さんが41年続けて来られた会で、まるで大学のゼミのような密度の濃い会話が朝まで繰り広げられていると聞いています。
 そんな会の記念パーティで「学びのアナキズム」と題した茶話会が開かれ、昨年ミシマ社から「くらしのアナキズム」を出版された岡山大学の准教授で文化人類学者の松村圭一郎さんをナビゲーターとしてお招きしてお話されることになりました。能勢さんのお声がけで、ハナムラもナビゲーターの一人として加えて頂けることになり、非常に光栄に思っております。
 芸術と霊性をテーマに岡山で何十年もアナキズムを実践して来た能勢伊勢雄さん。エチオピアをはじめとする世界各地でのフィールドワークの中から普通の市民によるアナキズムに焦点を当ててきた松村圭一郎さん。「まなざしの革命」を通じて誰もが自分自身の革命家になることを願うハナムラの三人が、日本を代表するアナキズムの拠点であるライブハウスで皆さんとお話するこの機会は、間違いなく歴史的な瞬間になるのではないかと予想しております。
 岡山という地の平日の20:30からという場所と時間なので遠方の方々は難しいかもしれませんが、とても重要な場になると思います。無料でどなたでもご参加出来るパーティのようですので、もしご関心あれば是非お越し下さい。
「岡山遊会」500回記念パーティ
2022年7月27日
時刻:20:30-22:30
参加費:無料
会場:PEPPER LAND
連絡先:086-253-9758
茶話会「学びのアナキズム」
モデレーター:
松村圭一郎(文化人類学者・岡山大学准教授)
能勢伊勢雄(PEPPERLAND主宰)
ハナムラチカヒロ(ランドスケープアーティスト・生命表象学者)

●7月22日/22th Jul
 
社会で起こっている出来事を見る時には、同じ出来事でもざっくり分けて5段階くらいのレイヤーで見るとようやく状況が把握できることがある。「まなざしの革命」では2段階くらいの見方までしか書いていないが、そこから先は文字で書くことは出来ても誰にでも伝わるレベルでもないので、話しても良さそうな人には伝えることもある。
 それも全ては縁と業に導かれないと不思議と伝えることにはならないし、話しても伝わらない。聞く準備と話す準備、覚悟と意識、環境とタイミングが揃ってようやく条件が整うのだが、その時にはその人に必要なことを話すことになる。覚悟なく好奇心や興味本位で知ってはいけないこともあるし、知っていても無闇に言葉にしてはならないこともある。

●7月22日/22th Jul
 
この宇宙の全ての物事はとどまることなる常に変化し続ける。しかも生まれたものは必ず消えていく運命にある。生まれてくるのには原因があるが、消えていくことに理由はない。それはこの宇宙の法則であり、現在の宇宙が膨張していく方向にあることと相関していると生命表象学的には捉えている。
 生命はその消えていくことに抗おうとするので、生み出す作用を通じてエントロピーを下げる方向に向かうが、宇宙の流れが反対になり収縮へと向かうようになると、正反対に消滅する作用が生命の中心になる。宇宙のダークエネルギーも今は斥力的作用だが、反転すると引力的作用も取りうるだろう。

●7月23日/23th Jul
 
本日は前学の経済学研究科・観光・地域創造分野の博士論文の合同ゼミの日。六人の発表でそろそろリーチの人もいる。動態的に把握する景観の価値変容、東京オリンピックの地域への経済波及効果、現代社会における宿坊の形成と変容、正力松太郎の街頭テレビの集客戦略、映画産業振興の国際比較、ラグジュアリーホテルの提供価値など、多種多様なテーマ。
 この時期の観光系の研究が厳しいのは、研究課題や問題意識がコロナ前後で大きく変わったことだ。感染症への不安から観光はストップして、戦争や暗殺が報じられたり、政治と経済も激変し、テクノロジーや生活習慣が大きく変わる中で、以前のデータや研究課題がどれほどリアリティを持つのかを再度問い直さねばならない。現状と研究テーマの間の温度差をどう調整するのかが重要になるだろう。

●7月25日/25th Jul
 
【ご協力お願いします】
 「まなざしの革命」が書店に並び始めてからちょうど半年が経った。売行きはまずまずとのことだが、元々の初版の発行部数が少ないため手にした人は少ない。そして読み切った人はもっと少ないだろう。
 混乱の参院選が終わり、様々な物事が本格的に進む気配がある。それは我々にとって決して明るい方向を向いているとは思えない。どんどんと社会は不自由になっていくだろう。
 誰もが不安の中に居る。何が起こっていてどうなっていくのか。そしてその中でどのように振る舞えばいいのか。そんなことをうまく考えるのが難しいからこそ、少しでもヒントになればと思い本を書いた。
 この本の存在を知らない人はまだまだ膨大に居る。最後の「解放」の章まで読み切れば、この不安から解放されて、きっと少しは自由になれる人がたくさんいるはずなのに、とっても歯痒い。
 本は初版の発行部数で決まる。どれだけ内容がくだらなくても最初にたくさん刷られて、本屋に平積みされると、そちらの方が手に取られて読まれる。初版以降は刷られる数がグンと減るのだが、初版が売り切れないと二版目の可能性はなくなる。
 そうやって、もたもたと時間が経つ間に、社会はどんどん不自由な方向へと進んでいくだろう。今回の本は長く読めるようには配慮したが、社会が完全におかしなことになる前に、多くの人に出来るだけ早く読んでほしいとは思っている。今読まないと意味がなくなることもある。
 僕のようにそれほど知名度のない人間の本に多くの人は出会えない。 幸運にも新聞に書評が載るようなことになればいいが、地道にシェアの数が増え、Amazonやネットにレビューが載ったり、そうでなくても周りの人に薦めてもらえるだけで存在を知る人が少しでも増える。それには読んでくれた方々のチカラを借りねばならないが、こればかりはこちらからお願い出来ない。
 誰が最後まで読んだのか分からないし、誰が深く共感しているのかも分からない。そして誰が勇気をもって、時間を割いて、メッセージを伝える役割を担おうとするのかも分からない。あくまでも読んでくれた方々の自発的な意志でしかないのだ。
 その意志を持つのは、僕との関係性があるかどうかではない。近しい知り合いであろうと、全く関心を示さない人もいれば、会ったこともない人でも内容に感銘を受けて、多くの人に薦めてくれる人も居る。
 こんな場所で呼びかけることで、誰がその呼び声に立ち止まってくれるのかは分からない。でも、もし少しでも呼び声に何か切実なものを感じてくれたのであれば。どうか色んなことが手遅れになる前に、この本を多くの人に届けてもらえないだろうか。もう引き返せなくなってから、この本が拡まっても意味を失う。
 この本にはパンデミック、戦争、食糧危機、暗殺、管理社会のことが全て書いてある。出版から半年経った今、参院選が終わった今、これから本格的にやってくる変化の前の今。そんな今こそ皆さんの助けが必要だ。
 それぞれの言葉でいい。自分の周りの大切な人に届けるだけでもいい。ネットなどに書き込んでくれるととてもありがたいし、SNSで呟くだけでもいい。それぞれが出来るほんの少しの行為の積み重なりで、社会は変わっていく。それが自分の大切な人を守ることになるかもしれない。
 この本を書いていた頃よりも、社会はますますおかしなことになっている。そして僕らが何もしなければそれはさらに進んでいくだろう。そんな中でどのように生きればいいのかを精一杯かいたつもりだ。不安に駆られてどうしようもない今だからこそ、多くの人に最後まで読んでほしいと心から想う。

●7月27日/27th Jul
 
今夜20:30から岡山ペパーランドで行われる岡山遊会の500回記念パーティーで、「くらしのアナキズム」の著者の人類学者である松村圭一郎さん、写真家でペパーランドオーナーの能勢伊勢雄さんとお話します。
 ペパーランドという伝説のライブハウスで、「まなざしの革命」と「くらしのアナキズム」が出会い新しい何かが生まれそうな予感がしています。岡山近辺におられる方は、参加無料ですので是非一緒にお話しまししょう。

●7月28日/28th Jul
 
岡山の伝説のライブハウス「ペパーランド」の夜。能勢聖紅さんによって綺麗に飾られた花を前に、オーナーの能勢伊勢雄さん、岡山大学の文化人類学者で「くらしのアナキズム」を書かれた松村圭一郎さん、そしてハナムラをモデレーターとする岡山遊会500回記念パーティーは満員御礼で大いに盛り上がった。
 立見の方々がたくさんおられて、中に入れずに外で随分と待ってもらった方々も居られたようで、すごい熱気の会だった。20:30からのスタートで22:30に終了予定が、結局休憩を挟みながら僕がペパーランドを後にしたのは4:30を回っていた。
 「学びのアナキズム」と題した茶話会から始まったが、第一部では能勢伊勢雄さんが遊会の経緯をご説明されるところからスタート。元々は工作舎を立ち上げた松岡正剛さんが始められた「遊会」を岡山でも展開すべく、2年の準備期間を経て満を辞して岡山遊会は始められた。
 それから41年間、毎月開催された岡山遊会はあらゆる領域のテーマについてチューターを必ず一人立てて朝まで話し合われる。しかもチューターはその道の専門家ではない"素人"の方が努められることも多く、誰でも参加できる参加無料の学びの会だ。それがこの度500回を迎えたというものすごいことが起こっている。
 その能勢伊勢雄さんの話を受けて、松村圭一郎さんとハナムラとでそれぞれ応答しながら、今の時代に必要なメッセージを紡いでいく。話は学びというテーマから、大学、アカデミズム、コミュニケーションなどへと拡がりながら、人類学、アート、音楽、オルタナティブスペース、果ては国家や社会、人間の意識や実存にまで展開していく。
 途中で参加者の皆さんも交えながら、それぞれの思いの丈やこの場との関わり、話を聞いて感じたこと、自分のリアリティや能勢さん、松村さん、ハナムラへの質問なども踏まえながら、夜半を過ぎるころには皆が会話に参加しているようだった。随分とたくさんの人が残っていた。
 僕は今夜は話しすぎないようにとずっと皆さんの言葉に耳を傾けながら、メモを取っていたが、気がつくとメモが18ページに渡っていた。学びがテーマだったこともあるが、多分僕が一番学ばせてもらったのではないだろうかと思う。一応、自分が大阪で取り組んできた学びの場として運営してきたアトリエでの「3850日の演劇」についても紹介した。
 こうしたライブの熱気は参加した人にしか分からない部分がある。その時に何が話されたのかも大事なのだが、それよりも一緒にその時間を過ごしたことに意味があるように思える。それぞれのリアリティをぶつけ合い、我々が生きていることを確かめ合い、ここに居てもいいことを認め合うこと。それが大事なのではないか。
 僕も何を話したのかはほとんど覚えていないし、皆さんが何を話していたのかの内容はなんでも良いように思う。でもそこに出来るだけ嘘や虚飾がなく、互いのリアリティの中で自分の言葉が紡がれる時間を共有することこそ学びのアナキズムなのではないか。
 能勢伊勢雄さんのお陰で、僕は随分と岡山で顔馴染みが増えて、すっかりと自分の街になったかのようだ。今回も松村圭一郎さんはじめ、また多くの方々とも知り合うことができた。また岡山に訪れた時には、その間にお互いにしてきた旅について話し合う。普段は離れていてもそうして互いの旅を語り合える仲間があちこちにいることは、まさにインターローカリズムそのもののように思える。
 この500回という記念すべき夜。モデレーターという光栄な立場でお招き頂いた能勢伊勢雄さんに心より感謝するとともに、ペパーランドの皆様、来場者の皆様、松村圭一郎さんにも、心より感謝したい。また岡山でいつか皆さんとお話出来ることを楽しみに関西へ引き返す。

●7月29日/29th Jul
 
スペインから帰ってきてもう4年も経つのか。ということはアトリエを閉じてから3年か。懐かしい。

●7月30日/30th Jul
 
8月から9月にかけて色々と起こりそうな時期に今一度、拙著「まなざしの革命」の中から引用しておきたい。以下、第五章「広告」より
 「情報の多くは「偶然を装って」やってくることも意識する必要がある。あくまで偶然に起こった出来事であるように見えるほど、そのメッセージを無意識に深く受け入れてしまうものだ。
 計画は計画されたものである、と悟られると効力を失う。だから計画されていることそのものが伏せられる。あくまで「偶然」に起こった出来事を、偶然に私たちが目に留めること。そして。それが重要な事柄である、と私たちが「偶然」に認識すること。
 計画する側はそのようなプロセスを踏まえている。あからさまに意図があるように見えないからこそ、私たちは自分のまなざしの向ける先が自ら選択したものであると、思い込むのである。
 私たちが今、最も興味や関心のあることは一体なんなのだろうか。そして私たちが今、最も心配し不安に思うことは一体なんなのだろうか。そして、何よりも、私たちは「なぜ」そのように思うようになってしまったのだろうか。
 私たちはなぜそれを欲し、なぜそれを恐れるのか。その自分自身の動機について、私たちは無自覚である。だが私たちの行動の動機が、気づかない間に自分の意図の外側から計画されていない保証はどこにもないのだ。」

●7月31日/31th Jul
 
先日の遊会の一部の参加者の中からドラッグについての話題が出たが、そこではコメント出来る空気では無かったので、改めてメモとして記録しておく。メース博士によると、ルドルフ・シュタイナーはドラッグについては話しておらず、しかも人間の意識変容に関して不適当な方法を取ることに警告すらしている。
 アヘン、メスカリン、シロシビン、LSD、マリファナ、ハシーシュなどの植物性のドラッグにアルコールも加えて良いかと思うが、いずれも神経組織への生化学的作用を通じて我々の意識状態の変容をもたらすものだ。
 それぞれケシ、サボテン、キノコ、麦角、大麻など原料となる植物が異なるので、もたらされる意識変容の方向性も異なるが、共通しているのは宗教的意識変容プロセスと類似した経験を得ることである。映像を幻視する体験、主体と客体との境界が溶ける感覚、歓喜の感情、没頭と観察の2種類の意識。
 こうした意識状態を生み出すために、かつての宗教儀式では実際にドラッグを注意深く用いていたこともあり、また現代のカルトの一部でも用いられているとも言われる。LSDの推進者の一人であるシドニー・コーエンも、こうしたドラッグが将来的に教会の儀式で服用される日が来ると述べている。
 しかし一方で、ドラッグを用いた意識変容は非常に危険なことでもある上に、その方法で辿り着く意識状態では、シュタイナーがいう精神界へ参入する条件に至らないという。それは強制的に感覚器官に働きかける方法では獲得できない意識状態があることを意味する。
 ブッダが五戒において戒めた不飲酒戒(surāmaireya-madyapramāda-sthānāt prativirataḥ)は単にアルコールを摂取することを戒めたわけではなく、こうした神経に作用するドラッグを摂取することで得られる意識状態(あるいは手放す意識状態)の危険性を解いていたと思われる。
 瞑想は安全な方法で意識変容をもたらすアプローチではあるが、それも正しい方法を取らねば同じように危険なことになる場合もある。鎌田先生がよく仰っる「魔境」という状態であり、そこから脱出するのはかなり苦労することもある。だから瞑想にも指導者が必要で、正しい方法を教わらねばならない。
 この瞑想や、ドラッグや電気刺激がもたらす、我々のまなざしの変容については、実は前著「まなざしのデザイン」の原稿段階では一節割いて書いていたのだが、編集の都合で丸ごと削除されてしまった。しかし本来は意識状態や変性意識まで射程範囲にいれた風景異化論としては言及を避けては通れないトピックであり、いつか自分なりに整理したいと思っている。

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