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バイリンガルになるか、するか。其の3

バイリンガル教育、というと、大仰な感じですが、子供が3歳くらいの頃は、単に、「私の通訳なく、家族と会話ができればいいな。」というのが最大の目的でした。

自分の経験から、この、会話をできるようになる、というのが、実は、一番ハードルが一番高いことを知っていました。

その理由は、やはり、その国に生活していないので背景がわからない、その言語で義務教育を過ごしていない、経験に基づく理解語彙が少ないから、と考えています。

理解語彙:読んで聞いてわかる語彙
使用語彙:文章や話にいれられる語彙

もう干支一回り以上、仕事で英語のみ、通常生活もほぼ英語だった私ですから、イマージョン(環境に浸る)部分では十分ですが、教育という面では、専門しか扱わないので、全般の教育を受けた人とは語彙力は断然に違う上に、日本語は、由来を同じとする言語がないため、推測しにくい、というのもあるかと思います。

というわけで、日本の教育機関の老舗、進研ゼミ、もとい、今はベネッセ、つまり、しまじろう、を使うのは、日常にも、バイリンガル教育的にも、非常に役立つだろう、と思ったのです。幼児の頃は、幼児の生活に必要なものを分析して出してくれているからです。

 ベネッセの「しまじろう」は、進研ゼミ時代のVHSビデオで1歳くらいから見せてはいました。トイレに行く間、ちょこっと手が離せない間、髪を切る間、等々に、使っていました。なので、すんなり、日々のルーティンに入っていきました。

ちなみに、これは、親としても非常にありがたかったです。最初の子供だったので、トイレトレーニングを促すにも、とても役立ちました。また、日本的マナーの認識、にもとても影響力があったように思います。私自身も、子供の成長のペースを、一般的にどうか、ではなく、子供の理解度から把握するのに使えて役立ちました。

絵本などの本や、なにかを読んであげるときは、字を認識している、とわかってからは、文字に指をおいて、読むことにしました。すでに何回も読んでいて、本人が話しの内容も、言葉も覚えているものは、通常のスピードで。新しいものは、スピードを落として、指でなぞっていきました。何度も同じものを読むので、そのうち、言葉を覚えると、登場人物のセリフや、お話のリズムのいいところ、などは、覚えていることを確認(「この後、この子はなんて言った?」と聞いたり、話のついでで確認したり)して、なぞったところを、口に出させてみました。

言葉の意味は、読みながら切りのいいところで、「ろうそくって、どんなものかわかる?」と聞き、答えさせてみます。「あかるくするもの」「火」のような答えが帰ってきたら、OK。わからなければ、できるだけ、ものを準備して、もしくは粘土で作ってあげて、教え、その後遊びました。

本を読んで説明してあげれば語彙が増えていくし、自分で読めるようになったら、自分で語彙をふやせるなと漠然としたバイリンガル教育もどきだったので、書くこと自体には、5歳まででは重きをおいていませんでした。

というのも、日本語の文字は、カーブが多いので、手根骨がある程度育たないと、書きにくいのです。ストレスにならないように、5歳前後から書くのは始めてもよいと思っていましたので、書きたい、といったものは教えてはいましたが、まだ、3歳くらいでは、人間をタコ(頭足人間)から脱却したレベルで描くようなレベル(タイトル画像写真)だったし、読み書きにそれほど力を入れなくて良い段階なので、お互いの無用なストレスは最大限に省いていました。

普段の家庭の会話では、英単語が日本語で話している中に、ちょろちょろ入ることがあるので、一回一回、訂正して、言い直ししてもらいました。ラッキーなことに、言い直しするのを嫌がらない子だったのです。やはり、私よりバイリンガルになる素質が高いのかもしれないな、と思いました。音と口の動きがリンクしないと、喋れるようになりにくいだろうな、と思っていたので、できるだけ正しい日本語を(細かいところまでは、この年令では指摘しません)話す、聞いて口に出してもらったほうが、将来聞き取りも楽になるし、聞き取りができれば、質問できるので…といろいろ考えていました。

英単語で話されても、よく聞き取れず(ヒアリング能力の問題もありますが、幼児の声は、聞きにくい)、何回も聞き直ししてたので、子供も、お母さんはこっちの言葉はだめなんだ、と感づいていたようにも思います。

ここで、現地語の学習は?と思う方もいるでしょう…。

イギリス 学校事情 其の1にも書いたように、イギリスの学校は、Receptionという幼稚園の導入(座って先生の話を聞けるようにすること)からはじめますので、それまでは、保育園で先生や他の子供達と交わる、夫が絵本を読んだり、夫との朝と週末の会話、私の友人との会話等、日常だけで十分、と捉えていました。し、正直のところ、現地語なんて、義務教育受ければ十二分にやっていけるものだ、と、自分達の経験から考えていましたので、何も考えていなかった、考える余裕もなかった、といってよいかもしれません。

保育園でも、子供の成長度を割と細かく書いたものをいただけており、基本すべて範囲内でしたので、とくに何も考えておらず、ひたすら、ここまで見てくれるんだな、と関心しただけでした。

言語面では平均より遅れていました。ただ、本当に問題であれば、保育園の先生が指摘してくれるはずですし、専門の人に合うことを勧められます。ですので、たいした遅れではなかったのでしょう。また、この時期では、学年などではなく、何歳何ヶ月か(3ヶ月ごとに区切っていました)で、成長をみていただけるので、早生まれなどは全く気にしなくてよいものでした。

其の4に続く


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