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あなたはすべて 

 「ぼく、忘れっぽいんだよねえ」

 と、最近四歳児が言うようになった。そのたびに、いいえ、あなたは忘れっぽくなんかありません、あなたはとても記憶力が良いじゃない、と否定しているけれど、たしかにそうなのだ。

 たしかに、人間は忘れっぽい。

 たくさんのことを、主から教わってきた。教わるたびに、文章を書いた。わたしのnoteは、主がわたしの人生にふれてくださった経験で出来ている。頭だけの知識は書きたくなくて、こころの皮膚で知っている神さまのことだけを、書くようにしている。

 それでも、わたしは忘れっぽいのだ。三ヶ月前にいただいた啓示を、今日生きていられるかというと、そうは言いきれない。すこしずつ成長してると信じているけど、歯がゆいこともある。

 そんなとき神さまは、わたしの暮らしのすべてを使って、ちいさな子どもに教えるように、なんどもなんども、手取り足取り教えてくださる。

 (そうなのだ、その忍耐がわたしに必要なのだ。四歳の子に鼻をかませるのが、薬を飲ませるのが、歯をみがかせるのが、長くなりそうだからこの辺で止めておくけど、どれだけ大変か!)

 もう二週間も、わたしたち家族は、治りきらない風邪を行ったり来たりしている。大して強くもない風邪菌だが、鼻をかむのが嫌いで、すすってばかりいる四歳に大いに問題があるのではないかと疑っている。

 そんなうちにまた、わたしは凝り固まってしまった。あれをしなくちゃいけないのに、これをしなくちゃなのに。

 お皿洗いだとか、部屋の掃除だとか、そういうことではなくて、わたしと神さまの関係について。わたしの心が素直に、流れるように神さまへ注いでいく、その位置に戻るためにしなくちゃいけないことについて。

 喉と耳が痛くて、眠られずに苦しんでいるときに、ふと神さまが教えてくれた。
 
 「わたしがすべてをするから」 

 閉じたまぶたの裏側を、ぽわぽわと、オレンジ色の明るい光があふれた。わたしのなかから、すぐさま応えるように、正しい答えが湧きあがってきた。

 (そうです! わたしはあなたがすべてを取り計らってくださることを信じます! あなたがこの痛みを癒してくださることも、問題を解決してくださることも、あなたに任せればいいことを、わたしは信じます!)

  すべては神さまなのだった。わたしが勝手に背負い込むことを、神さまは嫌っておられるのだった。

 「わたしに任せれば、すべては上手くいくのだから、あなたはただわたしを信頼すればいいのだ」

 と大きなやさしい手を、わたしに伸ばしておられるのだった。そうだった、なんてわたしは忘れっぽいのだろう。ベッドに横たわるわたしを、恵みがつつみこんだ。アメージンググレース、驚くばかりの恵みなりき。

 でもきっとこういうふうにして、神さまとわたしは信頼関係を築いているのだ。まるで親子みたいに。やさしいやさしいお父さんと、忘れっぽい子ども。

 これがわたしの成長の過程。

 


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