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「癒されるために」 ウィリアム・ブランハム




 これはウィリアム・ブランハム(1909-1965、米)の説教から、癒しに関しての言葉を抜粋した本、 ”Healing thoughts”を日本語に訳したものです。

 何年前に訳したのかも覚えておらず、しかも未完です。元の本をひとに贈ってしまったので、もう終わらせることも出来ません。そんな中途半端な文章ですが、眠らせておくのも勿体ないというだけで、ここに上げてみます。どなたか必要とされている方に届きますように。




「癒しの祈り」


 身体のどこが悪かろうとも、いまこそ癒される時です。さあ、共に祈りましょう。

「全能の神、天地の創造主、永遠の命の源、すべて良いものを与えてくださる主よ、イエス・キリストによってわたしを哀れんでください。あなたの御言葉によって、また聖霊の働きによって、わたしはキリストがいまここにいることを信じます。あなたが癒し主であることを信じます。この命が続く限り、わたしはあなたに仕えます。今夜この晩から、わたしはあなたの癒しを受け入れ、あなたの御言葉を信じます。主よ、わたしを助けてください。イエスの御名によって、アーメン。」

                   “Thy Loving Kindness”



 なんて単純なことでしょう。あなたは神の言葉をそのまま、そのとおり信じれば良いだけ。簡単でしょう? ただ神を愛しなさい。神を愛すれば、その愛があなたのうちで信仰を産み出してくれます。

              “Speak To The Rock”





「旅路の装備」


 あなたがイエス・キリストのうちにあり、聖霊を受けているならば、あなたがこの地上での人生で必要とするものはすべて、あなたのうちにあります。あなたがすべきことはただ、命の泉の水を飲み、それを注ぎだすことだけです。これ以上飲めなくなるまで、飲みなさい。神の癒しが必要なら、神の御言葉を溢れでるまで飲みなさい。神がもっと必要なら、とにかく飲んで、飲んで、溢れでるまで飲みなさい。

 キリストは尽きることない命の泉。そしてあなたがその内にあるのなら、あなたがするべきことはただ一つ。神の内にあるすべて良いものを飲みなさい。そして人生で必要になったものを注ぎだすのです。

 人生で大切なのは、苦労し、骨折ることではなく、神の御言葉を飲み、その平和を味わい、安息にあずかること。神の尽きることない泉から飲み、神からの新しい人生を生きることです。

          “THE INNER VEIL”


わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。

         詩篇62:6




「十字架のみわざ」


 神の癒しは、まやかしでも呪いでも無い。それは聖書に記された神の真理です。聖霊によって、わたしたちは癒しが現実のものだと知ることが出来ます。

 神の癒しは教派や教義、国や人種に関わらず、誰でもそれを望むひとに与えられます。神の救いと同じように。イエス・キリストが罪の身代わりとなり、死んで三日後に復活されて、人々を贖われた、そのみわざを信じることによって、癒しを受け取れるのです。

 信仰とは絵空事でも、想像上の産物でもありません。信仰は実在します。そこらに生えている草、この机の上の本のように、信仰には実体があります。信仰とは、望んでいるものの実体です。神の大いなる御名が褒め称えられますように! 信仰とは目に見えなくても、あなたが信じているものの存在の証です。神は御自身の語られた言葉をすべて守られる方です。ですから神が聖書でなされた約束は、信じることさえできれば、いつでもあなたのものなのです。




「手術」


 『皆さんにこれだけ言っておきたい。わたしは癒し主ではありません。わたしには皆さんを癒すことが出来ない。またどんな医者も、病院も薬も、人を癒すことが出来るとは思いません。わたしは神のみが、人を癒すことが出来ると信じています。

 医者は邪魔なものを取り除くことが出来るでしょう。医者は骨を接ぎ、歯を抜き、腫瘍を切除出来ますが、癒すことは出来ません。そして大概、腫瘍を完全に取り除くことは出来ません。

 神がなされるのは癒し。それは新しいものを創りだすことです。癒しは創造、そして復元です。どんな薬もあなたの体を復元してはくれません。ただ神のみが人の体を復元することが出来ます。そう、神のみが癒し主なのです』


 『わたしたちはすべての影から自由になり、神の永遠の約束に向かって帆を揚げなくてはなりません。もしそれが出来たなら、イエス様はわたしたちの信仰に手術を施してくださるでしょう。彼はすべての疑い、恐れ、心配、罪、その他のすべてを取り除いてくださいます。そしてその信仰への手術が終わったとき、わたしたちは新しい生き物となるでしょう。わたしたちは全く違った人間になるでしょう。わたしたちに必要なのはイエス・キリストによる手術です』




「臆病者に用は無い」


 『ご存知のように、神はわたしたちを試されるのを好まれます。神はわたしたちの信仰がどう反応するのかを見たがっておられるのです。ご存知でしたか? 

 あなたが神に向かって言うとします、

「おお、主よ。わたしはあなたを信じます。あなたは救い主。そしてあなたは癒し主。あなたはひとびとに聖霊を与え、わたしが求めているものも与えてくださいます。わたしにそれを与えてくださるのは神、あなたです」

 あなたが罪を告白して神に、「もしわたしを癒してくださるなら、わたしはあれそれをします」と約束したとします。もしあなたが求めているものが即座に与えられず、それであなたが臆病者のようにさっさと逃げてしまうとしたら、神は決してあなたを使うことができません。神があなたに答えてくださることもないでしょう、神は信仰によってのみ、お答えになるのですから。あなたがさっさと逃げてしまうようなら、神はあなたにお答えにはなりません。

 本当の信仰とは、神が神であると信じ、そこで神を待つことです。神を信頼しなさい。

        “Be certain of God”



 神は臆病者ではないので、臆病者を使うことは出来ません。神に癒されたと証言するのが怖いのだとしたら、自分がほんとうに救われているかどうかを心配しなさい。神は臆病者に用がありません。神は臆病者を使えないのです。

     “Show Us The Father. It’ll Satisfy”




「なにが見える?」


 目を上げたら、あなたにはなにが見えますか? あなたの敵、それとも救い主? あなたの心はいま、なにを見ていますか?

 病気になって、医者にもう治らないと言われたとき、あなたの目を十字架に向けなさい。そこでキリストはわたしたちの罪のために傷つき、その打たれた鞭によってわたしたちは癒されました。医者が言ったことに注目してはいけない。彼が話すのは科学の働きです。神への信仰は、それよりも高い次元である霊の領域と神のうちに働きます。

        “By Faith Moses”


 あなたの病状がどれだけ悪くても気にしてはいけない。祈ってもらった後であなたは、「でもわたしはまだ病気みたいだ」なんていうかもしれない。そんなのはどうでもいい。それはただ天使達が集まってあなたの上に翼をかざしているだけです。ただそれだけ。神様の祝福です。もしそれでも癒しが確信できないのなら、心を静めて神に祈りなさい。神はあなたのそばにおられ、約束を果たしておられます。

      “Be Certain of God”




「テスト」


 イエスはおっしゃいました、
 「恐れるな、わたしだ」

 ペトロは答えて言いました、
 「主よ、もしあなたでしたらその証拠をみせてください」

 訊ねなさい、そうすれば与えられます!

 イエスはペトロに証拠を与え、ペトロはそれを自分自身でやってみようとし、失敗しました。(他の誰がやっても失敗するでしょう。)ペトロはイエスから目を離し、襲い来る波の大きさに目を向けてしまったのです。ペトロが波の大きさに注目したとき、彼は沈み始めたのです。

 祈ってもらったあとで自分の痛みを気にするひとは、必ず沈みます。痛みを気にしてはいけません。イエス・キリストから目を離さないでいなさい。キリストは約束を守られる方です。神の御言葉から目を離さないでいなさい。神はあなたを癒すと約束なさり、それが実現するまで見守ってくださいます。その約束はキリストの手の釘傷に深く刻まれ、その心の真ん中に埋め込まれています。神の言葉は確か以外のなにでもありえません。

 病や悩みごとから目を背け、イエス・キリストにあなたの目を向けなさい。

     “Jairus, A Secret Believer”




「証し」


 さあ外に出て行って、あなたが神に癒されたということを証ししてきなさい。そうすればあなたは良くなります。あなたが神に救われたことを証しすればそれが義とされるように、神の癒しを証しすればそれが癒しにつながります。(ローマの手紙4:20-22)神があなたを癒してくださいます。

       “Expectation”



 ある人は「体に何かを感じるまで、神に癒されたなどと証ししてはいけない」といいます。兄弟、何かを感じるですって? わたしは何かを信じています。それは神の言葉はいつも正しいということです。違いますか?

    “Talk On The Word”


(未完)




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