マッチングアプリの社会学

大仰なタイトルですが、私はただ『面白くて眠れなくなる社会学/橋爪大三郎』を読み、思ったことを書くだけです。

この本の中で、結婚には恋愛結婚とお見合い結婚の2種類があると書かれている。
恋愛結婚とは言うまでもなく恋愛を経て結婚するもので、お互いが結婚する理由に「好意を持っている」以外はない。さらに言えば好意を持つに至る理由、経緯も曖昧である。
お見合い結婚とは親や友人などがお見合いを設定し、はじめから結婚のみを目的とした出会いに端を発する結婚である。こちらには妥協の理論が適用される。つまり、親に勧められたから、だとか、相手のお家柄が良いから、だとか、なにか自分の外に責任を押し付けることができる。
もしかするとここに、婚姻率の低下が関連するのではないか、と推測することもできる。もちろん所得の低下、物価高もありますが。

そんな中で昨今はマッチングアプリ結婚と言えるような結婚が少なくない。特に東京都では都がマッチングアプリを推奨していたりもする。
しかし私は、これが婚姻率上昇に寄与するとは思えない。そしてその理由が、妥協の理論にある。

マッチングアプリには妥協の理論が通用せず、むしろ理想は高まるばかり。さらにマッチングアプリは自分から動き出して始める必要があり、ここに強制力はない。

これはよく言われている話ですが、アプリでは稀に自分の適正値を超えた異性とマッチしてしまう。それ故に自分の理想はそこを最低値としてしまうが、その異性は外れ値であって、かつ、そんなに魅力的な方と付き合えることは万に一つもない。
このスパイラルに陥ると、妥協の理論は遠く彼方へ消えてしまう。

意外と遊び人のほうが結婚を早くするのは、遊びの中で自分の適正値を測ることができているからでしょう。自分が相手してもらえるレンジの中で、ベストエフォートはここだろう、という異性を推し量る事ができている。ここには妥協の理論が働いている。

追い打ちをかけるように女性の社会進出が声高に掲げられている。もちろんこれ自体は悪いことではないし、推し進められて然るべきだと思いますが、妥協の理論に影響していることは否めない。
結婚せずとも充実した人生を(社会的にも)送ることができるようになったおかげで、「まあ私は結婚する必要ないわ」と言い訳の余地を残している。これは男性も然り。男性の場合はソロキャンプなどが同様の例としてあげられるかもしれない。

婚姻率を上げるには、妥協できる理由を用意してあげないといけない。残念ながら今のマッチングアプリにはそれがない。これはそもそもマッチングアプリ運営会社はユーザーに結婚してほしいと思っていない、という構造上の欠陥もある。
マッチングアプリ運営会社としては、適度に成功体験を与えながら如何に有料プランを長期的に利用してもらうか、が目的となっているため、結婚なんてされようもんなら利益は減ってしまうのである。それで言えば理想のつり上げは良い戦略と言える。

ここで論ったようなテーマについては既に財務省が検討しているみたいだが、解決策には至っていない。
その資料ではインセンティブの低下や人柄の不明瞭さ、多様な評価軸の不足が課題とされているが、私はこんなもの関係ないと思っている。とどのつまり、結婚する理由がないからしないのであって、人柄やサポートの手厚さなど無関係だ。結婚なんてのは「好きだから」か「やむなし」でするものであり、人柄がいいから、だとか、収入が高いから、なんてのは後付でしかない。

ひろゆき夫妻みたいに、ビザが取りやすいから結婚した、なんてのは良い典型例である。いやいや、そちらじゃなくて、「好きだから」結婚した例の方。ビザは後付で、好きだから結婚したのだと、私は睨んでいる。
好きだからでいいじゃん。愛してるからでいいじゃん。

参考文献
面白くて眠れなくなる社会学、橋爪大三郎、PHP研究所、2015
未婚化の進行とマッチングアプリ、山口 晶子/髙根 孝次、大臣官房総合政策課、2022

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