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諦めが肝心とは

みなさんお久しぶりです。私は相変わらず不健康です。抑うつ神経症。もう耳にタコができるほど「好きなことをやって欲しい」とカウンセラーに言われました。その「好きなこと」をやるにはそれ相応の対価や土台が必要なんですけどねぇ。

それはさておき、久しぶりのノート、ということは…?そう、私のメンタルが非常に良くない時である。私は不安な時ほど文字として書き起こして落ち着かせることが多い。ということで今私のメンタルは最悪だ。親に負担をかけ続ける生活、メンタルズタボロで部屋にこもりたくても猫が寂しそうな声で鳴くと部屋から出てあげなくてはならないと思うが無視する。(私の中の罪悪感が働き更に嫌になる)飼ってる猫はとってもとっても好きだがこういう時はとても辛い。言葉が通じないことをこんなにも辛いと思ったことがないレベルだ。今日楽しく出かけて帰ってきたはずがいきなりドン底まで落ちて死にたくなった。理由は自分でイマイチ分かってない。いや、分かってるはずだ。ただそれを表に出してしまうといろいろ危ない。あぁこれは私のメンタルが危ないという話。

正直言って私が今生きてることより今いなくなった方が親の損害が少ないのでは?と思っている。ズルズルスネかじって共倒れする前に自分がいなくなった方が今後を考えるとお金がかからないのでは?と思った。病院に行っても高いカウンセリング代がのしかかる。生きてて役に立たないやつは消えてくれとよく言われるものだが、だったら消える先、消えたあとの受け入れ先が欲しいものだ。いなくなってもいても迷惑がかかる。「諦めるな」なんて言葉もあるがむしろ何も初めてないし「諦めも肝心」ならば人生の諦めの終着点が欲しい。

なんにも出来ないくせにすぐこういうこと言う。



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