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「離婚後の共同親権とは何か」読書会#9 レジュメ(最終回)

【前回】

Ⅰ 監護法の目標は子の利益を守ること、つまり「健康に発達する利益」を守ること

子の監護法(親権や監護に関する法律)は、国家のためでも親のためでもなく、子のための法律である。子が健康に発達できるよう、その監護のあり方を定め、解釈・適用されなければならない。つまり、監護法の目標は、子の「健康に発達する」という利益を守ることである。

<参考文献>P.175

Ⅱ 子が健康に発達するために必要なこと

1 安全と安心
 安全リスクは、証明の成否にかかわらず、取り除かなければならない。

2 監護の安定
 子が信頼する親から、日々情緒的な温もりや刺激を要るだけ受け取れる環境の保障。
 ・子の監護者は交代せず一定を保つこと
 ・家族関係の変化(監護親の再婚等)に子が適応できるようサポート
 ・子をめぐる周囲の情動関係の安定
  (特に主たる監護者の情緒の安定)
 紛争性の高い相手である他方親の子の監護への関わりが、監護親の資源を奪いその情緒を不安定にすれば、子の監護環境を悪化させることになる。

3 経済的水準
 子の監護費用は、子の健康な発達を支えるため、子と家族が、経済的困難を免れ安定した経済生活を送れるよう手当されるべき。その資金は国家・別居親いずれから来ても差し支えないが、別居親からの給付だけではまかなえないから、公的な経済的給付の充実を避けた家族法改正の検討に陥ってはならない。

4 子が自身の感情や意思を否定されず、尊重されること
 子の意思や心情は、可能な限り年少の子供からも聴取し、把握に努めるべきである。

5 監護における適・不適の評価は、子の立場で
 非監護親目線の「連れ去り」という言葉は、残された親の怒りを含んだ表現であり、そのような親本位の評価に囚われた議論こそ、「子の利益」のための監護法では注意深く排除するべきである。

Ⅲ 法改正を検討するときに立ち戻るべきこと

1 「親権」とは「責任」である

親権とは、「権利」ではなく、子への適切な監護と子の財産の適正な管理・法定代理を行い、子を守り養い健康に成長させるための責任である。

同P.178

(1)「子の視点」にたって「子の福祉」を目標に監護法制を検討するのであれば、民法の「親権」概念を、健康に発達する利益を子に保障するものとして再構築しなければならない。

 「親権」について、学説では、親は子の養育及び発達について責任と義務を負うこと、親の権利性は親として子に対して有する養育の義務を遂行するのに必要な限りで認められ、他人から不必要に干渉されない法的地位であるとする考えが主流である。しかし、端的に「親権は義務であり、820条の「権利」は権限の意味に解すべきだ」とする有力説もある。むしろ「親の社会的責務」という方がよく、「親権は権利でもあるし義務でもある」との説明も財産法的な権利・義務では捉えきれないことを認識しておく必要がある。
 家裁においても、親権とは親が未成年の子どもを一人前の社会人に育成する義務上の役目であり、子どもに対する監護教育の権利義務と子どもの財産上の管理処分の権利義務の二つに分けられ、権利というより義務という面が強いとの理解が示され、これが一般的なものと思われる。

同P.178~179

<参考>裁判所の見解
「親権は、あくまで子のための利他的な権限であり、その行使をするか否かについての自由がない特殊な法的な地位である。」

東京地判令和3年2月17日

(2)現行法上、「親権」の中心は、「監護・教育」である。
<親が子の発達を援助すべき責任類型>
 ①身上監護
 ②財産管理
 ③扶養

 民法は、①と②の責任履行のために「親権」制度を置いた。このうち、①は、財産の有無や法律行為の有無にかかわらず、日常的かつ不断に、すべての子に向けて行われなければならない親の責任であるという点で、②よりも重要である。

<参考文献>P.180

これらの援助が有効に機能する基礎・前提として、「安全」「安心」が保障される必要がある。

同上

(3)「親権」は、親が独自に持つ権利ではなく、子の健康な発達に必要なニーズを果たす親の責任である。

端的に「親の配慮」と用語を改めるべきである。

同上

(4)親が負担するこのような責任は、子が成熟(成人)するまでの間ずっと継続するものであって、親の離婚により消滅することはなく、離婚後も父母双方はこの責任を負担し続ける。

子の成長発達を援助すべき責任は、これを負担するのに適切な人が適切な時期に負担すべきものである。

同上

同居親が子の養育監護をすることは適切ではなく、同居親のみが子の健康な発達に必要なニーズを満たす責任を負担するのが適切である。

同P.181

(5)具体的事案において唯一最大の目標とされるべき「子の福祉」は、対象となっているまさに「その子の福祉」でなければならない。

抽象的な「理想的な」子と親、親子関係を想定して監護法を作り、司法を運用することは、個別具体的な「その子の利益」の検討を放棄するものであって、「その子の利益」の実現に合致しない。

同上

2 子の安全と安心の確保は証明責任の分配では守れない

(1)子の監護において、最も大切な子の利益は安全と安心である。
 共同親権制は、子どもが危害に巻き込まれるリスクが非常に高い。

(2)必要なのは、子の視点にたって、その安全と安心を守る方策である。
 家裁には後見的役割があり、手続的には職権探知主義が採用されている。
 外部から見えにくい安全リスクについて、監護親にその証明を求め、証明がないとしてこのリスクを無視するとすれば、それは、子の福祉の実現につき後見的役割を自認する法と司法の役割を放棄するものである。

(3)安全リスクを判断するために、家裁は、監護親と外部専門家の協力を得つつ、家裁が自らの役割としてスクリーニングを行うべきであるし、それを可能とする法でなければならない。

3 非科学的な一面的理解をしてはならない

(1)子の健康な発達に必要なニーズを満たし、その成長に責任を負う意思と能力がある人物は誰かを論ずる際には、まず、「法律上の親」が念頭に置かれることが多い。
 しかし、日本法においては、「法律上の親」と「血縁上の親」とは必ずしも一致せず、だれを「法律上の親」とするかは、生物学(遺伝学)ではなく、法政策によって定められたフィクションである。

(2)「離婚後共同監護」と「婚姻中共同監護」とは同一ないし類似の形態であると誤解されやすいが、両者は明確に異なる概念である。
 「離婚後も、双方の親が面会や監護を通じて子どもに関わることが、子どもの健康な発達に必要である」という一面的な理解を根拠づける科学的知見は存在しない。

4 最も影響を受けるのは紛争家族の子である

(1)ある形態の監護を法制度として導入するなら、最初に、「そのような監護法制が子どもの健康な発達にいかなる影響を及ぼすか」という事実を踏まえなければならず、特に、「実際に監護法制の適用を受ける対象の子どもの健康な発達にどのような影響を及ぼすか」という考察が不可欠である。
 その点、葛藤度が低いケースでは監護法制の如何は影響を及ぼすことはないが、葛藤度が高いケースでは深刻な影響を及ぼす。

(2)したがって、実際に監護法とその司法運用の影響を受けるのは、紛争家族の子どもである。その子どもの視点に立ってその福祉を守る監護法制でなければならない。

5 「共同」と「分担」は異なる

(1)欧米は共同親権であるといわれるば、多くの国では共同監護であり、近年では分担親責任であることを理解する必要がある。

(2)分担の場合は、それぞれの守備範囲では単独決定ができるが、共同の場合は両者の合意がなければならない。
 その結果、実際には一方に拒否権を与える制度となり得る。

6 選択制でも弊害はなくならない

選択制によって、双方で任意に共同で親の責任を果たすならば、そもそも現行法で採用している単独親権制でも可能であり、法改正は不要である。

他方、「共同監護」の法定には以下のリスクがある。
ア、事情の変化・時間の経過によって、十分な意思疎通や柔軟な意思決定が困難になるケースがあり、監護体制を固定してしまう制度には慎重になるべき。
イ、上記のような理由から、法が実際に意味を持つのは、もともと共同養育(監護)に適さない場合である。
ウ、子の立場からみても、「養育者は複数の方が単数よりもよい」との見解には理由がない。
エ、選択制の導入は、どちらが「標準」なのかという問題を惹起する。共同監護が標準であるとか、親の権利であるとかいう誤解を広めるリスクがある。
オ、真摯な同意を担保する方法が困難。

一方で選択的共同監護性の導入の必要性は乏しく、他方で予想される弊害は大きい。よってこのような制度は導入すべきでない。強い人(発言が強い人も含む)のためには法律は不要であり、弱い人のためにこそ法律は必要で、そこに焦点をあてた立法をなすべきである。

同P.192

7 裁判でできることには限界がある

(1)裁判所が監護の一部を決めても、実際の監護は、監護者と子の関係を前提に日々の無数のやり取りによって進んでいくから、それと調和しない裁判所の決定は、子の監護を害することはあっても、改善する効果を及ぼせない。

(2)裁判所は、目の前の子が、いったい誰に守られ世話され成長してきたのか、子は誰との間でその生存と発達のために必要なことを瞬間々々にやり取りしてきて、第一愛着を形成しているのか、そうした経験に基づき子は今後誰とくらしたいと望んでいるのかに基づき、監護者を指定・変更する判断をすべき。
 「裁判所が面会を命じれば、子が別居親と良好な関係を形成する」などというアクロバットな展開予測にすがってはならない。

(3)子は日々成長しており、裁判所が悩んで一定の判断を示したとしても、その判断はすぐに子の身の丈に合わないものになり、そのギャップは拡大していく。

(4)司法判断に時間がかかり、事態の展開に追いつかないという問題は、共同監護法制においては、重要自己の決定に、重大な懸念をもたらす。

8 実態調査と検証は不可欠である

(1)法改正を検討するならば、立法事実があるのか、懸念の解消法があるのかを明らかにするべきである。
 そのうえで、法制度の改正が一般社会と裁判事案の子の福祉に及ぼす影響について、実証的な調査が必要。

(2)面会交流原則的実施論の検証が全く行われていない。

9 先進国の苦悩と揺り戻し

(1)オーストリア
1995年に子の養育に関する親の責任の明記、共同養育の実現が目標となり、2006年に均等にかかわることを重視する改正を行ったが、わずか5年で挫折し、法改正が行われた。

(2)イギリス
2004年「29人の子どもの殺害」報告書の公表。
Wall判事「妻へのDVが認められても、子供には無関係でよい父親でありうるとする前提は誤り。」

イギリス最高裁判所家族部/実務指令12
「面会交流が最善」から「安全で子に資する面会交流が常に適切」なものと修正。

2016年「19人の子どもの殺害」報告書の公表。

(3)アメリカ
監護や面会交流中の殺人が2009年~2016年の間に報道されただけで470件。

連邦議会の上下両院
2018年「親権や面会交流を決めるには子の安全を最重視する決議」

カリフォルニア州
「子供は安全に暮らし、虐待から解放される権利」の明記。

Ⅳ まとめ

法と司法に求められているのは、「理想の家族」を語ることではない。紛争家庭の中で様々な困難に直面している子を念頭に、その健康な発達を保障するための手立てである。

同P.200

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