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不審者を不審に見る目

この頃不審者を観察するようになった。しかしこうかしこまって言ってみるとなんか改めて気持ち悪い。

言い訳をさせてほしい。先日調子を大きく崩し、自分が躁鬱状態になった時に、普通の振る舞いや普通の生活が困難になった。そこで初めて、当たり前の生活ルーティンや日常の過ごし方に違和感を感じた。誰でも当たり前のように足が2本あって目が2つ見えてるとも限らないな〜とかそんなことを考えるようになった。身体的なことに限らず、突然叫びたくなるほど苦しくなったり、わんわん座り込んで泣きたくなったり、そう言ったことがなく過ごせることを前提に街が回ってるのは不便なように思った。

生きてれば泣きながら電車に乗って帰りたくもなるし、嬉しい連絡にスキップしながら目的地へ走ることもあるだろうが。と言いつつ周りを見渡しても神妙な顔で足速に歩くか連れ相手にはしゃいで話すか、など、なんとなく行動のパターンが決まってるように思い、こんなに人がいても人の行動は限られるように公共の空間が作られているんだと気がついた。

横断歩道をもたもた渡らずにいたら轢かれて死ぬし、整備された道で逆立ちしても迷惑だし。これが開けた広場や林なら話が違うんだろう。

そんな公共の空間で、調和から外れた行動を取る時、不審な行動と呼ばれ、それがあるラインを超えた意図的な行動となった時、その人は不審者と呼ばれるのだろう。

通行人を睨めつけながら何か文句を言い続けるおじさんを見つめ、なるほどこれは迷惑と頷きながら、しかし規則に人が合わせるのもそろそろ限界の時を迎えているように思えた。

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