見出し画像

②“共にあった”。それだけでも、生きた証拠。


前回の続きです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



剣術の先生と真剣での稽古の最中、私は先生を切りつけてしまった。


元々体調が悪かったのか、傷のせいか熱が出て、その日から数日先生は里に滞在した。


その際私はしばらく先生の世話を許されていた。



先生の体調も少し回復した頃。

ある夜。


先生の体を拭いている時、流れでそのような関係になってしまった。


男女の関係だ。


好意を持って相手とそのような事をした事は無かったし、仕事でする事は多かったので何とも思わなかった。


ただの作業。




ただ、先生の自身に手は温かくて、本当に触れ方が優しかった。

他の男達とは違った。

その感覚は初めてだった。



そんな関係になり、数日経って怪我の具合も良くなったので先生はまた今までの暮らしに戻っていった。



私も次の仕事を待ちながら、腕を磨くよう鍛錬したり、作物や動物の世話など忙しく過ごしていた。



剣術の稽古は入らず、あれ以来先生とも顔を合わす事が無かった。 



ある日…。



体調が悪い日が続き、床に伏せる日もあった。


肉がついてきたかと思っていたが…おかしい。


そして気付いた。妊娠している。



花街での仕事の時は、事後薬を飲む。


子ができては仕事が出来ないからである。


 


はっとした。


…花街ではないから忘れていた…。


日にちから計算して…、

たどり着く思考は…そう。

先生以外はありえない。



血の気が引く。


やってしまった…。




…相談役の婆の所に行った。


堕ろす薬を早く貰わなければ。



仕置が待ってる。


幼い頃からの仕置だけは怖かった。


震えた。



叱咤されると思ったが、今回は産むように言われる。


時期が遅いという事と、里の人数が減っている事だった。



呆然としながら、歩いた。


どうして今まで気づかなかった。


どうして。



家に戻ると仲間は喜んでくれた。


産む事を許されるのは珍しい事。



ただ、先生との子とは言えなかった。


皆もどうせ知らない男の子だろうと思っているようで何も聞かなかった。



ただ私はショックでしばらく寝込んでしまった。


仕事が出来ないという事は、必要とされない気がしてしまう。


生きていていい理由が無くなる…。





ある日相談役の婆が来た。


「今仕事は出来ない。しかしたまたま今、先生は使用人を必要としているそうだ。産むまで奉仕してこい。」



と。




先生の使用人…。

何だか憂鬱だった。


先生はこの事をきっと知らない。


きっと、知らせないまま過ごすんだ。


身の回りの世話役が…、使用人が欲しいのか。

通うような女もいそうなものだが…。


そう思いながら、支度した。

大した荷物は無い。


何もできず、何の役にも立たないよりもいいか。



仲間には奉公の仕事とだけ告げ、出て行った。





少し大きくなったお腹をさすりながら、先生の家に着いた。



正直遠かった。


体力には自信があったが本当に遠かった。


休憩しながら来たが、昼も回っていた。



先生は一人で住んでいると聞いた。


一人で住んでいるとは思えない、とても手入れをされている綺麗な家であった。





声を掛けようとして覗いたら、先生が出てきた。


中に入るように言われ、そのまま家の中にあるものを簡単に教えてもらった。





先生は用事があったようで、すぐに出ていった。


夕刻には帰ると言っていたので、それに合わせて飯を炊いた。




道具や食料を触っていいものか躊躇したが、


“先生の使用人”


として来たなら構わないだろう。





正直何をしていいかは分からない。



けれど、ここで私も厄介になる。


迷惑をかけないようにしなければならない。


おそらくこの子を産むまでの話だ。産んでからはまた仕事に戻る事になるだろう…。


皆そうしていた。



それまでの間。

それが仕事。

数ヶ月の話だ。


飯を作るのは得意では無かったが、ある程度は仕込まれているのでおそらく大丈夫だろう。


生活はできる。

しかし使用人はやったことが無い。

炊事、洗濯、掃除…であろうか…。



飯が炊け、風呂の準備が出来た頃、先生が帰ってきた。


先生は風呂に入り、出てきた所に膳を用意した。



「お前の分は?」



そう聞かれた。


「残りを少し頂きます。」




少し飯を頂けるだけでも有り難い。



「持って来い」



沢山食うと思われたか…と少し悲しく思ったが、女の私の握りこぶしよりも小さい飯だけを見た先生はため息をついた。



「二人分ちゃんと作って一緒に食べてくれ」


そう言って、その日は汁や野菜、米を先生の分から分けて頂き、分けた食事を一緒に食べた。



夜、布団を出し手伝ってくれた先生は横に布団を並べたが、私は空いていた物置のような部屋に自分の布団を持って行った。


“私は使用人。世話係である。”



そうして、先生との生活は始まった。




先生は思っていた以上によく食べた。


男の人がこんなに食べるなんて知らなかった。


自分が作った食事を、「美味しい」と言って沢山食べてくれるのは嬉しかった。





家の傍には畑があった。


先生は道場に出るので私は畑をさわらせて貰った。


土を触るのは好きであった。




ある時声をかけられた。



「あんたが、先生の?」



子ども2人の手を引き、背中にはもう一人赤子が眠っていた。


少し年上のお姉さんだった。


名前は“トチ”





トチ姉さんは少し先の家に住んでいるそう。


私の知らない畑の事を教えてくれた。

そして料理の仕方。


他にも妊娠中の事や色々と。


私の常識は常識でないのかもしれない。

知らない事だらけであった。



有り難い事にトチ姉さんは私の事を何も聞かなかった。


使用人を雇ったと事前に聞いていたのだろう。



私は今まで子どもが可愛いなどと思った事は無かった。


しかし、トチ姉さんの子ども達は可愛かった。


私に無邪気な笑顔を向け、抱きしめてくれる。私の膝で寝る事もあった。


「大きくなぁれ」


と私のお腹を撫でてくれた。


「赤ちゃん、楽しみだね」


と顔をうずめてくれた。


優しく撫でてくれるその手が温かくて、不意になぜか涙がこぼれそうになった。




先生は里へも稽古に行っていたとは思うが、私は何も聞かなかった。


食事中、先生は一度だけ


「寂しいか?」


と聞いた。


「いえ。」


そう短く答えたが、正直寂しさなど全く感じていなかった。


どうせまた戻らなければならない。


戻る方が寂しいと感じるかもしれないと感じた自分に驚いた。





冬が訪れ…雪が積もる事も増えた頃、その日は風が強く寒かった。


石を温め、床に持ち込んだが寒かった。


横になりながら、はぁ…と、冷えた手を温めていた時…


戸の向こうに気配がした。



枕元に置いてある小刀を素早く手に取り、動ける体制を取る。


「かや。」




先生であった。


気配が里の者かと思った。




「はい。」


返事と同時に先生が戸を開け入ってきた。

先生はここには入った事がなかった。

先生は私の目線にしゃがみ、


「寒い。」


そう言った先生は私の手を引いた。


私はそのまま先生の寝床に連れて行かれ、先生の布団をかけられ横になった私を抱きしめるように先生も横になった。



そんなに寒かったのか…。

………確かに…寒いか…。


…身動きが取れない。


そして、ハッとした。


私は幼い頃から小刀が無いと寝れなかった。


とっさの事で驚き、その小刀を置いてきてしまった。


取りに行こうか…。

動いてもいいか…。

いや…でも…。


ぐるぐると考えを巡らせた…。



そういえば…私はいつから、何の為に小刀が必要なのか…。

身を守る為。

いつ奇襲をかけられるか、殺されるか分からない。

その相手は敵かもしれないし…味方かもしれない。



考えているちに、寝息が聞こえた。

先生が眠っている。


そうだ。

今は一人ではない。

それに、先生は強い。

私を抱きしめるこの腕が守ってくれるかもしれない。


…温かい。


人の肌がこんなに温かいものなんだと知った。


そして、無防備な姿をさらしてくれる事になぜか安心感を覚えた。

私を信用してくれているのか…。

いつの間にか…私は眠っていた。



その日から、一緒に寝るようになった。

寒いを理由に身を寄せ合って眠った。



お腹も大きくなり、産婆が見に来た。


ここで産むような準備をするので、不思議に思い、ここで産むのか聞くと、先生は


「嫌なのか?」


と、怪訝そうな顔をした。


里に帰るのでは?

しかし、聞けなかった。



この子が先生の子と知っているのか?


知らないのか。


怖くて聞けなかった。






もうすぐ春が来る頃…



私は男の子を産んだ。


先生の家で。


先生が、その子を抱いた。

泣いていた。


そして呟いた。


「ありがとう。夫婦になってくれて、この子を産んでくれて、ありがとう。」





…?



め…おと?




「夫婦…?」



掠れた声で聞いた。



「…?…あぁ。夫婦。」


きょとんとしていた。




“使用人として奉仕してこい”



そう言われて来た。



「この子が先生の子だと知っていたのですか?」


「…は…?」



「私は里に戻らないのですか?」



「…なぜ戻る?」



珍しく先生はあきらかに混乱した様子であった。


その姿が、少し可愛く見えてしまった。




…先生の態度を見ていると戻る必要は無いんだと思った。


そうだ。

大丈夫。


先生は強い。


きっと守ってくれる。


この子も、私も。


大切にされていると感じたこの数ヶ月が、確実に私を変えていた。


長と話はついているのだろうか…。

期限はあるのだろうか…。


疑問はつきない。


しかしここの暮らしが、ゆったりと優しく流れる時間が好きだった。



奪われるまでいいじゃないか。


私は、ここが大切な場所になっていた。


この暮らしが、愛しくなっていた。



そうか。


私は、先生を好きになっていた。


これが、人を想うという気持ちだった。







「夫婦とは何ですか?」



トチ姉さんに聞いてみた。



目を丸くしたトチ姉さんに、里の話を抜いた大体の経緯を話してみた。





トチ姉さんの旦那さんと先生は幼馴染だそうだ。


ある日先生は嫁を貰う事になったと話に来た。

腹に子がいる。迎えた先は助けてやってくれと頼んできたそうだ。


家も新しく改築した。

身請けにも金がいったが奮闘して何とかしたらしい。



この子が先生の子だと、先生はもちろん知っていた。



ただの使用人のつもりの嫁と、嫁にもらったつもりの旦那という経緯にトチ姉さんはしばらく笑いが止まらなかった。



そして、


「旦那の名前を沢山呼んで、一緒に沢山ご飯食べて、一緒に沢山笑う事だよ。家族もそう!深く考えなくても大丈夫だよー!母親なんか子ども見ながら笑ってりゃいいの!」



名前…。


先生の名前…そういや呼んだことは無かった。






夕刻、先生が帰宅した。


今日も稽古に明け暮れていたようで、着物の裾がほつれていた。


門下生もずいぶんと増えたと聞いた。



真っ直ぐに顔を見てみた。

私がつけた傷は不思議な事にほとんど分からなくなっていた。


そうだ…名前…。

足を洗う背中に向かって、


「きょうのすけ様、本日もご苦労さまでした。」



一瞬動きが止まったように思えたが、



「…あぁ。」



と短い返事をして手ぬぐいを受け取った。



こちらは見なかった。





赤子の泣き声が奥から聞こえた。


私は奥に急いだ。




可愛い我が子を抱き上げた所へ先生が後ろから私を子どもごと抱きしめた。



…反撃の反応をしてしまいそうになるのを抑えなければと思った。




気がつくと


私は…笑っていた。








その後は3人の男児、2人の女児を産み、不思議な事にあの里へ帰る事も無く、関わる事も無く、歳を重ね…穏やかな最期を迎えた。







何事も“定義”で括る必要はない。


“儀式”もいらない。


“形式”もいらない。


ただ、“共にあった”。


それだけが、生きた証拠である。




何も残さなくても、魂が覚えている。





それで十分ではないか。




私は幸運であった。







貴方は、どう、幸運にしますか?





“今”です。



魂の過去世になる世界は、“今”です。







未来の貴方に、貴方は何を言いますか?


何と伝えたいですか?



かよからの言葉は、


「“共にあった”。それだけでも、生きた証。」






生きた証は、魂にしっかりと刻まれていきます。


どうか、優しい想いを刻めますように…。




かやの話は以上です。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?