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二度と出会わないことが分かって寂しさを知る

滋賀県高島市の住職・行政書士・FPの吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活
のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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昨日はウチの末っ子の保育園の卒園式でした。
会場に入場する時から緊張した顔つきでしたが、卒園証書の順番を待つ間は大きなあくびを連発。
案外、大物かもしれません。

式は滞りなく終わり、クラスでの最後の帰りの会では担任の先生が涙ぐみながら最後のメッセージを伝えていました。
下の学年からの持ち上がりで長い期間接してくださった先生もいたので、明日以降、会わなくなる子どもたちが数多くいると思うと先生も寂しさを感じたのだと思います。

一方で、子どもたちは一人残らずニコニコ。
帰りの会の最後のあいさつで「また明日」と言っていましたが、全員が出会う「明日」はもうありません。
小学校に上がっても、同級生はほぼ同じ学校に上がって再会できますが、保育園の担任の先生とは会えません。
そのあたりから初めて「寂しさ」というものを感じ始めるのかな、と思います。
赤ん坊の時にはいわゆる喜怒哀楽などの原始的な感情表現でしたが、成長して様々な体験をすることで違う感情を身に着けていっていると感じます。
小学校の卒業式からは心身ともに成長しますし、違う中学校に進む子も出てくるので、寂しさで涙が出る子もいるでしょう。

寂しさなんて知らないでいれば幸せなのかもしれませんが、なんとも言えない感情を抱えて生きていけるようになることが大人になるということかもしれません。

責任感というものも成長しないかな、と期待しています。
我が子たちを見ているとあまり兄弟の仲の良さは感じません。
長男がお兄ちゃんとして振る舞いたかった時期に下の二人が合わせられなかったせいか、互いに意地悪をしあう関係です。
登校の際に長男には、長女と一緒にバス停まで歩いていくように言うのですが、何度も放っておいて一人で走って行ってしまいます。
この4月からは次男も連れて登校班長の一人となるので、少しは変わらないかな、と期待しています。

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