見出し画像

幸福日和 #098「毎朝の数分」

日本での仕事に一区切りをつけ、
世界各国を放浪していた頃のこと。

僕は滞在先のどの国でも、
朝の習慣にしていたことがあるんです。

それは、
その土地の「祈りの場所」に足を運び、
その場所で朝の時間を過ごすこと。

例えば、
香港や東南アジアにいた時は、
毎朝、寺院に通ってはその土地の人々の
お祈る姿を眺めていたんです。

また、ヨーロッパに滞在していた時、
パリでは、セーヌ川の辺りを歩いては
小さな教会へ通っていましたし、
ミラノでも薄明かりの教会の中で、
ほのかに入り込んでくる光を仰ぎ祈りを捧げる人々を見つめ、
静かな時間を過ごしていました。

僕はクリスチャンでも仏教徒でもありません。
それでも、信仰とともに一日を始める
人々の姿に触れていたいという思いがあったんです。

日本から離れ、どこか空虚な自分に
心の拠り所を求めていたのかもしれません。

✳︎ ✳︎ ✳︎ 

そうして、
毎朝、祈りの場所に足を運んでいるうちに
とあることに気がついたんです。

教会や寺院といえば、
多くの人は神様や仏様に祈りを捧げているのかと思いますが、
決してそうではなかったんですね。

一人一人が、
「それぞれの対象」に向けて祈りを捧げていたんです。

勉学に励む青年は、
学校に通う途中で協会に立ち寄り、
学業への思いを祈り捧げて学校へ向かい、

スーツを着た紳士も
行儀よく帽子を取ってビジネスへの思いを
巡らせていたようでした。

また、ある女性は、
一枚の写真とともに祈りを捧げていました。
話をきくと、それは闘病中の母の写真とのこと。

人それぞれに、
祈りや願いがあるのだと気付かされました。

そうして静かに
一日を迎えていく人々の姿に触れて、
心揺さぶられる思いでした。

毎朝の数分の習慣の中にこそ
彼らの生き樣を垣間見た、、、、。

✳︎ ✳︎ ✳︎

「毎朝の数分」
それは、
昼や夜の数分とは比べ物にならないほどの
重みがあるのだと思う。

あの頃、世界の人々が毎朝祈りを捧げる光景を
思い出しながら、そのように考えるようになったんです。

そうした時間にこそ、
自分の大切な思いと向き合っていたい。

その数分が、その日の数時間をつないでゆくし、
それが365日も続けば、
限りなく、自分の人生を歩んでゆける。

✳︎ ✳︎ ✳︎

そんなこともあって、
僕も毎朝の数分を大切にするようになったんです。

時間にしてみれば、
たった5分にも満たない時間だけれど、
毎朝起床するなり「一冊の小さなノート」を開く。

そこには自分の夢や願望、
数年後に実現したい未来が書かれているんです。

一ページ一ページを丁寧にめくりながら、
自分の肉筆で書かれた
その未来への思いをなぞってゆく。

そうして、
目覚めたばかりのまっさらな頭の中に、
その余白の中に、
自分のおもいを流し込んでゆくんです。

不思議なことですが、
その時は実現するかどうかわからないことでも、
毎朝のその数分の習慣を繰り返すだけで、
その方向へ向かってこられたし、
多くのことを実現させることもできた。

毎朝の数分の祈り。

それを繰り返すだけで、
日常が見違えるように変わるんです。

✳︎ ✳︎ ✳︎

皆さんの大切にしているもの
それはなんでしょうか?

その大切なおもいを、
ぜひ一日の初めに思い描いてみてください。

毎朝の数分でいいんです。

大切な家族の写真を眺める、
いつか行ってみたい地図を広げてみる。
自分の会社の未来を思い浮かべる。

人それぞれに
おもい、祈るべきものがあると思うんです。

その小さな祈りの積み重ねが、
必ずあなたの未来を支えていくことになりますから。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。