ケン!
花は街の片隅で、山道の隅っこで、そこを居場所として咲いている。そんな花々、ふらっと歩いた道や公園で、気づいた花の表情を写したい。日々の変化、ちょっとした変化として、こうした花がある事への気づき。日々の暮らしの見え方が数ミリ変わるかも、と想います。
カソウセカイ
本について考えるための文章をマガジンとしてまとめます。
よくよく観察すれば、僕らの周りには、色々な「モノゴト」に満ちている。 人が考え出した、作り出したならば、きっとそれには、少なくともその周辺には、固有名詞があるはずだ。 固有名詞があれば、それにまつわるなんらかのストーリーもあるんだと思う。 それと同時に、ストーリーも後から観た僕の「後付け」で、それはそれであると思う。 本当は偶然のモノゴトたちであってもそうする心の「動き」自体は何なんだろうか。
このなんか怠い感じが夏
夏の始まりに終わりを感じるせいで、夏の始まりがもっと眩しくなった。
ムクドリの飛び立ち距離が近くなった気がする夏の始まりの頃
この時期だったのかなあ。自分の子供の頃を朧げながら思い出す。カラスノエンドウの笛。久々だと忘れてた、作り方も鳴らし方も。今は便利で、インターネットで検索ができる。久々の音は、思ったよりも大きい。うちの5歳児がお気に召され、ほぼ毎日、一緒に爪の先を緑色にしながら、試行錯誤。膨らんでいる方がいい、硬すぎるのはうまくいかない。咥え方は深めがいいみたい。 鳴ると不思議に思い出す。子供の頃の唇の感覚、カラスノエンドウがよく生えていた、あの散歩道。
ジャスミンを マスク外して 確かめる
マンションの植え込みに立つ早咲きの桜の花。啄ばむメジロはいつも同じメジロだろうか。
どこへともなく 突然に人は去ってゆき 誰かが不意に口ずさむ歌になる ——bonobos 「GOLD」,2009 人と歌の関係。空気や風に人を同化する方法とも。
みんなが夢中になって 暮らしていれば 別に何でもいいのさ ——フィッシュマンズ「幸せ者」, 1996 中学生の頃、最初はどこか「不気味」だった。フィッシュマンズはそんなバンドだった記憶がある。暗闇の洞窟を歩いているときに、ふと聴こえてきそうな、空耳のような不安さ。そんなある種の違和感をもてる音楽は初めてだったのかもしれない。それは新しい空気の概念だった。
「リュウソウレッドすごくかっこいいよ!!」とうちの5歳児が報告してくる勢い。リュウソウレッドかっこいい。5歳児かわいい。
そんなマントじゃ寒かろう、コートを着ておいで、冬の蝉。
金しかない駒落ちの将棋でいかに「効果的に」負けるかという別の種類のパズルゲームのように。