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よかれと思ってしたことで、関係が悪くなるのが親子なのかも。

#20231205-309

2023年12月5日(火)
 我が家の夕飯は18時
 ランチョンマットと献立に合ったカトラリーを食卓に用意するのはノコ(娘小4)の仕事だ。
 ノコは毎食のこの仕事と週1回の鏡拭き――洗面台と玄関の姿見の2ヶ所をすることでお小遣いを得ている。

 宿題を終えてTVテレビを見ているノコに声を掛ける。
 「もう少しで6時だよぉー。ランチョンマット出したりしてー」
 TVをつける前にも先に用意することをノコに提案している。サッとランチョンマットとカトラリーを並べてしまえば、18時ギリギリまでTVを見ていられるのだから、そのほうがいいと思うのだが、ノコは「後でやる」という。
 私としてはTVの前であれ、後であれ、18時までにセッティングしてあればいいのだが、そうはいかない。
 用意されていない食卓に料理を盛り付けた器を置いていく。
 「6時になったよ。TV消して、ほら、ランチョンマットとか出して」
 ノコはリモコンを手に立ったものの、視線は画面に釘付けでボタン1つ押せない。
 「まだパパ来てないじゃん」
 本日休日のむーくん(夫)は2階で私物の片付けをしている。少し前にインターホンの室内コール機能で夕飯だと知らせたので、放っておいても下りてくる。
 「パパのことはいいの。もう来るから」
 18時になれば、次の番組がはじまる。そうすれば、ますますノコはTVを消せなくなる。
 「ノコさん、TV消してください。もう6時です。ご飯の用意して」
 一度ではない。
 三度、四度と繰り返している。
 ノコがようやくTVを消した。
 「よく消せました」
 一度で消してね、という言葉を私は飲み込む。ランチョンマットをテーブルに並べるノコはひどく不満げだ。

 「TVを消したら、ママは気持ちよくていいよね。私はスッゴク嫌な気分だけどね!」
 ノコはよくそういう。
 食事や入浴、就寝など約束の時刻通りにノコができて――といっても一回の声掛けではなく――私が「〇〇できたね」というと、「ママは気持ちよくていいよね」という。

 確かにノコが約束の時刻通りに動けば、私は気分がいい。
 それはノコを思うようにコントロールにできたからではなく、私もその時刻に向かって時計を気にしながら動いているからだ。
 18時に温かいものは温かく、冷たいもの冷たく、美味しい温度で食卓に並ぶよう考えながら料理している。入浴だってそうだ。ノコの入浴時刻にお湯が張られるよう、浴槽を洗い、脱衣所を整え、お湯張りのスイッチを押す。
 食事や入浴の時刻を決めているのは、家族3人が心地よく過ごすためだ。

 ――ママは気持ちよくていいよね
 ノコにそういわれる度に、もやもやした気持ちになる。
 私に都合がいいからだろうか。だが、この台詞をノコが吐くときは一度で消せたときではない。パッと自発的に消せたとき、もしくは一度の声掛けで消せたときはノコもスッキリした顔をしているし、どこか誇らしげでもある。
 二度三度、四度、五度と声を掛けてようやく動いたとき、ノコは捨て台詞のようにいい放つ。

 次の番組がはじまったら、TVを消せなくなるのでは。
 時間までに食卓の用意ができていなければ、お小遣いがなくなるのでは。
 ノコを想っての声掛けは、ノコにしてみれば余計なお世話なのかもしれない。
 親と子の関係で、子にとっての「余計なお世話」を親がしてしまうから、双方嫌な気分になってしまうのかもしれない。
 そこはちょいと突き放して、「あなたが選んだことなのだから」とお口にチャックする。
 TVが消しにくい状況にしちゃったのも。
 お小遣いがもらえなかったのも。
 あなたが決めたこと。

 よかれと思ってしたことが、うまくいかないのが親子かもしれない。

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