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日常を美しくする

作り手×住まい手の「フュージョン」
私は住宅設計者として、良い家を建てたいと思っている。そして、家づくりを考えている人も勿論、良い家を建てたいと思っている。しかし、両者の価値観が一致したとしても、必ずしも良い家が出来るわけではない。

例えば、建築界の巨匠、村野藤吾の建築を見に行った時である。
兵庫県宝塚市には村野建築が多い。その中で宝塚市役所とカトリック宝塚教会を見学して感じた事である。どちらも素晴らしい建築だった。魅せる階段、低い天井のアプローチから大空間へ誘う動線、光と空気…、自分では一生かけても辿り着けないであろう洗練された建築がそこにはあった。

しかし、両者には決定的な違いがあった。それは使い手の技量・美意識である。住宅で言うなら住まい手の「住みこなし力」だ。
前者は、村野建築の代名詞でもある螺旋階段が通行禁止になっており、あろうことか荷物置きのように使われていた。私にとって見学の一番の目的でもあった村野階段が…まさかであった。利用者はエレベーターもしくは螺旋階段すぐ裏にある非常階段を昇降していた。何か理由があったのだろう。しかし、市を代表する建物を村野藤吾に依頼したのだから、せめて物置だけにはしてほしくなかった。
気落ちしながら、カトリック教会へ。驚くことにコチラは真逆であった。礼拝堂に置かれた木造りの素朴なシェーカーチェアが、見事に整列していた。よく見ると床のタイル目地に合わせて椅子を整列させていたのだ。礼拝者でなくてもこの椅子に座り、祈りを捧げたくなる。それぐらい空間が荘厳で尚且つ優しい雰囲気に満ちていた。これには鳥肌が立った。設計は言わずもがな、使い手の美意識が合わさることでこうも素晴らしい空間が生まれるのだと感動した。

この貴重な体験を通して、「作り手と使い手は価値観だけでなく、美意識も揃えないと本当に良い建物は生まれない」と学んだ。言うなればドラゴンボールのフュージョンだ。両者が同じ価値観と美意識を持った上で、作り手は0から1を、そして使い手は1を100にも1000にも拡げていく。どちらかのパワーが強くも弱くもなってはいけない。両者のパワーバランスが合致して初めて、最高の戦士建築がこの世に生まれるのだ。

宝塚カトリック教会:荘厳であり優しくもある礼拝堂
シェーカーチェアが目地で揃っている!

日常を美しくする
この経験から私の設計理念は、住まい手の「日常を美しくする」ということに変わった。それまでよりも詳しく細かく家族をヒアリングする。そして家族の日常生活を僕の頭の中で想像する。その日常の背景となる空間や庭を、自分の設計経験や美意識をもとに「美しく」する。そうすることで家族らしい楽しくて幸せな暮らしが、美しく豊かになるのではないかと考えるようになったのだ。
実際、この設計理念のもと設計しだした家は、今までよりも「家族らしい」且つ「美しい」と感じるようになった。また、家族らしいという事は長い目で見ても良い家であり続けるという事になるのではないだろうか。これはとても大切なことだ。

実例(K邸):5人と1匹のための豊かなワンルーム
引渡してから3か月、すでに暮らしが馴染んでいた。

より良い家を目指して
冒頭に述べた通り、作り手も住まい手も良い家を目指している。そのために私ができることは、住まい手よりも高い美意識を持てるように日々の暮らしを向上させ、それを住まい手に伝えていくことだ。そうすることでより高次元の美意識を共有し、より良い家をつくることができるのではないか。

設計者である私自らが豊かで充実した暮らしを実践し、「私もそんな暮らしが送りたい」と共感してくれる住まい手が現れ一緒に家づくりが出来れば、両者とも幸せになる素晴らしい家づくりが出来るのではないかと強く感じている。

自邸のyoutube動画を下記URLからご視聴いただけます。
暮らしについて、家づくりについて、案内しています。
https://www.youtube.com/watch?v=a1Wgnl_w7Jw

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